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2020年9月2日水曜日

詩から批評へ、そして批評から詩へ 加藤典洋「日常的な幻想という方向」・「ムテキであること、生きること」

 

📚讀書ノウト  🏈加藤典洋を読む🏈

 

 

詩から批評へ、そして批評から詩へ

 

加藤典洋「日常的な幻想という方向」・「ムテキであること、生きること」





 

■加藤典洋「日常的な幻想という方向」/『太宰治賞2011』2011年6月20日・筑摩書房・「ムテキであること、生きること」/『太宰治賞2018』2018年6月20日・筑摩書房。

■新人対象の小説賞・太宰治賞への選評(現代日本文学・批評)。

2020年9月1日読了。

■採点 ★★★★☆。

 

 

 僕はいま

 風の中誰か遠く人の声を聞く

 どこかわからない

 でもここが僕の場所

 

 風が吹いても

 動かない

 かすかな窪地

 

(加藤典洋「僕の本質」/『大きな字で書くこと』20191119日・岩波書店)

 

 

 これは単なる選評である。数多存在する文学賞の選評についての、当事者はともかく、論評するものがいるだろうか?

 無論、いないだろう。ここで試みようとするのは、選評としての可否を問うものではなくて、注目すべき批評の表れが、たまたま「選評」として表れていたに過ぎない。

 

 例えば、こうだ。

 ある作品が、先行するベストセラー作品をなぞりすぎていることを指してこう述べる。

 

「おい、目を覚ませ、もう真昼だ。」(『太宰治賞2011』p.13

 

 あるいは、別の作品について、こう述べる。

 

「最終的にこれを推さなかったのは、小説にはもう少し、作者一人の秘密の糸のような声が一本、まじっているはずだろう、という気がしたからである。(中略)感動的な歌はえてして、音楽的に、浅かったりする。水が易々と流れていく川があり、うなされもせずにすやすやと眠る子供がいる。私はそこを立ち去るのだが、その時、後ろ髪をひくものが、足りないのだった。」(『太宰治賞2011』p.13

 

 さらに言えば、これは詩的表現ですらないかもしれぬが、選評としてこれはありなのか、という意味で上げておく。

 

 「今回、選考をしていたら、庭を猫が横切った。ねずみやナスの「訪れ」をめぐる話をしているときだったので、誰かの使いのように思われた。」(『太宰治賞2018p.14

 

 例えば、以上のような次第である。

 

 

   さて、話はそれる。

 これは別稿でも論じたが、評論家の三浦雅士は、かつて知る人ぞ知る、80年代のニューアカデミズムムーヴメントを準備した辣腕の編集者であった。三浦は70年代前半は詩誌(厳密に言うと「詩と批評」誌)『ユリイカ』の、そして後半は思想誌『現代思想』の編集長として、その斬新な編集方針で、その名を高らしめたのだが、もう一つ際立ったことは毎回の刊行誌の巻末に掲載されていた「編集後記」である。単なる雑文ではないのである。ほとんど散文詩ではないかと思われるものだった。

 ある対象を批評するということは、その対象に対して距離を取ることである。しかし、距離を取れば取るほどその対象との乖離が生じ、俯瞰的な画像、全体像は得られるやも知れぬが、結局何なのか、あるいはその対象にとっての「即事的」な「実感」=「実観」=「実貫」は喪われるばかりである。

 三浦が「詩と批評」誌に出自しているのはまさにこの事態を適確に予告するものであった。

 三浦は事務的な「編集後記」であるべきところを能う限り「批評的=詩的」であろうとした。ここに一つの批評の形が花開いている。

 加藤は恐らく、三浦などの、いわゆる「柄谷派」には批判的な態度をとってきた。

 しかしながら、ある批評的な純度を高めるとある傾向を持った批評家たちは詩の言葉で批評を語るようになる。奇妙な符合ではあるが、まさにそうとしか言いようがない。それは文学的な感興から文筆活動を始めた者たちのある種の運命なのか。

 

 結果的に言えば、加藤は、その批評人生の最後を詩で閉じることになった。生前の最後の著書はライフワークとも云える戦後論の白眉『9条入門』2019年・創元社)であった。しかし死後の刊行も含めて最後の著書は非売品ながら、詩集『詩のようなもの――僕の一〇〇〇と一つの夜』2019年・私家版)であった。

 以て瞑すべきか。

 

 

※今回たまたま古書店で入手できた2018年度版と2011年度版について論じたが、2009年度以降のものは筑摩書房のHPで読むことができる。他日を期す。

 

🐧

2020/09/02 15:52

2019年9月12日木曜日

加藤典洋、恐るべし! 加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』


加藤典洋、恐るべし!



加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』





■加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』2011年8月25日・講談社。

■講義録(現代日本文学・現代思想)。

■2019年9月11日読了。

■採点 ★★★★★



 まさに、加藤典洋、恐るべし、と言わしめる記念碑的大著である。

 本著については詳細な追記することになろうが、とりわけ、そこに戦後思想(加藤の用語で言えば「戦後的思考」というべきか)の残影、残響を認める「かえるくん、東京を救う」の詳細な読解には脱帽するしかない。

 

 ただ、題名については誤解を生むので、単に『村上春樹の短編小説を読む』でよいと思う。



🦉

2019/09/12 1:39

2019年9月4日水曜日

ま、こういう日もまーまーあるよね


ま、こういう日もまーまーあるよね



201993日(火曜日)曇り時々雨

疲れはてて10:30ぐらいに起きる。洗濯をして、生ハムチーズ野菜サンドイッチを作って食べる。
 昨日の日記を書いてアップする。
 加藤『文学地図』読了。

村上春樹が自身の父のことを語った「猫を捨てる」所収の『文藝春秋』を買いにブックオフ鶴ヶ峰店に行く。全く暇人の所業である。
途中でヨコハマスープカレーしんぺーで豚角煮のスープカレーを食べる。






食ってる最中に凄い雷雨に遭遇する。👌

雨中歩いてベタベタになる!😢

やっとのことでたどり着いたものの部門が違うのでここにはない、と言われる。😢

まー、会社というものはそういうものだね。

特になにもない😭

少し小ぶりになったので駅まで戻る。

あー疲れた。


駅中のスタバでゴールドブリューコーヒーなるものを飲む。まー、そういうものか。

昨日ゲットしたばかりの加藤の『村上春樹の短編を英語で読む』を読み始める。なかなか面白い。
つまり、こういうことか。これで、『騎士団長殺し』直前までの、加藤の村上論はコンプリートしているわけだ。

   *書評は存在しているが。

①『村上春樹イエローページ』12
②『村上春樹の短編を英語で読む』。
③『村上春樹論集』12
④『村上春樹はむずかしい』
⑤その他

版元が越境するが、是非とも『加藤典洋 村上春樹全論集』の編纂が待たれる。というよりも『加藤典洋全集』が出ればいいのだが、難しいだろうな。せいぜいがテーマごとに編集された『著作集』か、テーマごとの論集だろうな。『加藤典洋 村上春樹全論集』は無論のこと、『加藤典洋 全戦後論集』は固いかな。

🐤
2019/09/04 0:11

構成に難あり 加藤典洋『文学地図――大江と村上と二十年』


構成に難あり




加藤典洋『文学地図――大江と村上と二十年』
◼️加藤典洋『文学地図――大江と村上と二十年』20081225日・朝日選書。
◼️文芸時評集・中篇評論集(現代日本文学)。
◼️201993日読了。
◼️採点 ★★☆☆☆。
 
  編集上の問題ではあるが、構成に難がある。言うなれば時評の短さから来る深度と中篇評論の深度が異なることによって、水圧のズレがあり、どうにも居心地の悪さを感じる。
 いっそのこと分けた方が良かった、と思う。恐らく多くの未刊行の書評があるはずなので、時評はそれと合わせると良かった。
 後半の評論はいずれも未成熟の印象を持つ。その分かさを足せばよかった。
 
 いずれも力作揃いなので残念である。
 
 ほかにも何点か論及したい点があるが、一旦ここまで。

🦉
2019/09/03 23:59

2019年9月1日日曜日

岩波書店HP 〈追悼 加藤典洋さん〉


【追悼記録】加藤典洋

岩波書店HP
〈追悼 加藤典洋さん〉


5月16日,文芸評論家の加藤典洋さんが逝去されました.
戦後の日米関係や,現代文学,映画,思想など幅広い分野にわたる批評活動を行ない,数多くの著作を執筆されました.その著作は多くの読者の皆様に読まれています.
謹んでお悔やみを申し上げます.

【加藤典洋さんのプロフィール】(1948-2019)
山形県生まれ.東京大学文学部仏文科卒業.文芸評論家.
著書―『言語表現法講義』(第10回新潮学芸賞),『敗戦後論』(第9回伊藤整文学賞),『小説の未来』『テクストから遠く離れて』(両著で第7回桑原武夫学芸賞),『僕が批評家になったわけ』,『さようなら,ゴジラたち――戦後から遠く離れて』,『3.11 死に神に突き飛ばされる』,『ふたつの講演 戦後思想の射程について』,『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』,『人類が永遠に続くのではないとしたら』,『戦後入門』,『村上春樹は、むずかしい』など多数.

貼り付け元  <https://www.iwanami.co.jp/news/n29919.html>



🐤
2019/09/01 1:39




加藤典洋の仕事 「文学のほんとう」伝える批評 竹田青嗣・大学院大学至善館教授


【追悼記録】加藤典洋
加藤典洋の仕事 「文学のほんとう」伝える批評 竹田青嗣・大学院大学至善館教授

この5月に物故した、現代日本を代表する文芸評論家、加藤典洋の著作から3冊を選んだ。
まず『敗戦後論』。戦後の日本は、戦後の憲法や天皇制の処理において生じた「ねじれ」を無自覚のまま放置してきた、という主張は、分かりやすい発問とはいえない。だが、いま政治の問題は、護憲か改憲か、謝罪か謝罪不要か、天皇肯定か否定かといった焦点をもつ。その起点にあるのが加藤のいう「敗戦後」の問題である。
若者にはやや遠い問題のようにも見える。しかしこの本はむしろ、現代の若者に、自分が属する日本社会というものをどう考えるかについての重要な手がかりを与える。日本は侵略戦争をした結果負けた。現在の若者にとって、この戦争の責任を引き受けるべきなのか、そう考えなくてもよいのかが、一つのやっかいな問題なのである。
戦後の日本は、戦争は間違っており二度と「誤らない」思想を作るべきという考えと、いやそこには「正しさ」があったという考えとの間で、分裂してきた。だがべつの道もある。われわれは「誤る」という可能性をつねにもっている。そういうとき、ふつうの人間が生活の中で育てている“まっとうさ”の感度から、この誤りを立て直すような考え方がある。優れた戦後の文学にはそういう感度があり、その声を聞いてほしい、そう著者は言っている。この本を読むことは、若者に、自らが属する社会へのモラルというものを再考させるだろう。
作家の像に迫る
つぎに、加藤の批評論として、『世界をわからないものに育てること』。1980年代を通して、日本の文学界をポストモダン思想由来のテクスト論批評が席巻した。その看板は、作品(テクスト)の背後に作家の意を読むな、テクストのみを分析し解釈の多様性にかけよ、というものだ。しかし、加藤典洋の批評はこれに対する自覚的な対抗としてある。講演録「『理論』と『授業』」は、彼の批評論の全体像を鮮やかに伝える。
加藤によれば、読み手を、作家の秘(ひそ)かな動機や深い試みに近づくことへと強くさそう力、これがむしろ優れた作品に通有するものだ。この「作家の像」は真実である必要はなく、読者にのみ現れる“想像された”作家の「原像」である。加藤はこの批評理論を実行している。
話題を呼んだ百田尚樹の『永遠の0』についての言及もあるが、スターリン時代を生きた作家ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の批評がとくに面白い。
格闘者への友情
時代的に前後するが、90年代以降の新しい文学世代を論じた本格的現代小説論『小説の未来』。両村上(春樹・龍)からはじまり、川上弘美、阿部和重、町田康、吉本ばななといった作家たちの足跡をたどる。加藤によれば、現代作家たちに共通するのは、時代の新しい現実性に迫ることの困難との苦闘であり、それはテクスト論批評ではアクセスできないものだ。
印象深いのは、これは現代作家の格闘に対する友情のつもりだという言葉だ。加藤は、明敏な探偵のように、さまざまな手がかりを駆使して作家の秘かな動機や企てに肉薄する。たとえば、町田康には「喪失されたものの喪失」についての、吉本ばななには、「超越的なものと日常的なもの」をめぐる屈折した企てがある、と。
この本は、批評というものが、「文学のほんとう」とは何かを新しい世代に伝える、稀有(けう)なリレーだということをよく教える。加藤がいなければ、この時代の文学の感度は、もっと貧しいものになっていたかもしれない。=朝日新聞2019年7月27日掲載


竹田青嗣(タケダセイジ)大学院大学至善館教授(哲学)
1947年生まれ。早稲田大名誉教授。著書に『欲望論』など。加藤氏との共著に『二つの戦後から』。

貼り付け元  <https://book.asahi.com/article/12583474>




🐥
2019/09/01 1:30

文芸評論家の加藤典洋さん死去 「敗戦後論」など 『朝日新聞』web版


【追悼記録】加藤典洋

文芸評論家の加藤典洋さん死去 「敗戦後論」など
『朝日新聞』web版・2019年5月20日18時32分配信。


「敗戦後論」をはじめ、文学から社会時評まで幅広く論じた文芸評論家の加藤典洋(かとう・のりひろ)さんが16日、肺炎で死去した。71歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻厚子さん。
1948年、山形市生まれ。「言語表現法講義」で新潮学芸賞。「敗戦後論」では伊藤整文学賞を受賞した。他に「戦後入門」「アメリカの影」などの著書がある。

貼り付け元  <https://www.asahi.com/articles/ASM5N5V5TM5NUCVL03C.html>



🐤
2019/09/01 1:15

これはまさにお告げ、ではないか


これはまさにお告げ、ではないか

20198月31日(土曜日)晴れ 比較的暑い

SMT5日目。暇過ぎてかえって疲れる😢
今日、明日は朝一からだが、5時終わり。

空腹だったので、例のごとく、富士そばで冷やし紅生姜天蕎麦、紅生姜入り竹輪天のせ、大盛を喰う。旨し。




佐藤書房行くも何もなし。

已む無く町田に行く。

①山田太一『シャツの店』1986年・大和書房。
江藤淳『昭和の文人』1989年/新潮文庫。
③吉本隆明・笠原芳光『思想とは何か』2006年・春秋社。
④吉本隆明『夏目漱石を読む』2002年・筑摩書房。
坪内祐三編『文藝春秋八十年傑作選』2003年・文藝春秋。
⑥穂村弘『短歌という爆弾』2000年・小学館。
⑦穂村弘『ぼくの短歌ノート』2015年・講談社。

 というわけで、今日は、まーまーかなー、もう一歩かなー、と思って、もう一回、一階に降りてみた。

すると、

加藤典洋の村上春樹『1Q84』論所収『村上春樹『1Q84』をどう読むか』2009年・河出書房新社。

以下、加藤典洋への追悼文所収。
内田樹、マイケル・エメリック、津村記久子『小説トリッパ―』2019年SUMMER・朝日新聞出版
黒川創、マイケル・エメリック『新潮』2009年8月号。
⑪竹田青嗣、原武史『群像』2019年7月号。
⑫高橋源一郎『群像』2019年9月号。

という感じで、これはまさに、『【追悼記録】加藤典洋』を編集せよ、とのお告げ、ではないかと思った。

加藤さん、ちょっとお時間をください。真面目にやります。


🐧
2019/09/01 0:50

2019年8月20日火曜日

(仮称)『【追悼記録】加藤典洋』を編集しようと思っている


(仮称)『【追悼記録】加藤典洋』を編集しようと思っている


2019年8月19日(月曜日) 曇り☁のち大雨

 今日は午前中に出た。12時ちょいすぎにKS

 18時半ぐらいまでSGする。疲れた。まだ全てが終わったわけではない。
 全てを終わらせようとすると、休みの日すら14時間ぐらい働かないと終わらないってどういうことなんだ。

 ま、いいや。

 KSに行く前にNTTのしぶそば。うまっ!!   枝豆とコーンのかき揚げ蕎麦。


 
  SG終わってからHM駅前の箱根蕎麦でかき揚げ蕎麦。あ、いずれも冷やしね。




 そのあと、HMBOを巡るが、何もなし。

 HNUBOも巡るが、いまひとつ。

 ①ジム・フリージ『ペット・サウンズ』2005年/村上春樹訳・2008年・新潮クレスト・ブックス。……昨年、村上春樹の『雑文集』だったと思うが、ブライアン・ウィルソンのことを知り、大変興味を持ちCD(『Pet Sounds』『Smily Smile』だったと思う)も買ってみた。とても素晴らしかった。

 で、そのあとTCMZに行く。超久し振り。

 だからここからは新刊。

 ②加藤典洋『9条入門』2019年・創元社。
 ③加藤典洋『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』2017年・幻戯書房。
  ……真剣に加藤さんの遺された作品を全て読んで、(仮称)『【追悼記録】加藤典洋』を編集しようと思っている*

*無論これは、赤坂憲雄編『追悼記録 網野善彦』2006年・新書y(洋泉社)のパクリであるが……。

 で、帰ろうと思ったら超土砂降りでやんの。
止むを得ずSTBに入ってここまで書く。

その後SZYでレンズ豆のミネストローネとキャベツとアンチョビのソテーとチーズとポテトを焼いたものを喰う。
 帰宅。寝る。

🐤
2019/08/20 15:30

2019年8月17日土曜日

「最後の文芸評論家」加藤典洋の論跡を辿る ラジオ番組『ねじれちまった悲しみに』明日夜放送


「最後の文芸評論家」加藤典洋の論跡を辿る
ラジオ番組『ねじれちまった悲しみに』明日夜放送



【番組概要】
◆タイトル:『ねじれちまった悲しみに』
◆放送日時: 2019年8月18日(日)19:00~19:55 TOKYO FM・FM長野・Hi-Six(エフエム高知)
Rhythm Station(エフエム高知)では同日20:00~20:55
◆放送局:TOKYO FM、Rhythm Station(エフエム山形)、FM長野、Hi-Six(エフエム高知)
◆出演: 小川哲 マイケル・エメリック 上野千鶴子 長瀬海 藤岡泰弘
◆語り: 藤間爽子


 




 本年5月に逝去した加藤典洋の生前刊行された最後の著作は『9条入門』(2019年・創元社)だった。文芸評論家としてのデビュー作が戦後日本文学投影されたアメリカについて論じた『アメリカの影』(1985年・河出書房新社)だったことを思うと、この符合には加藤自身の問題意識が当初から一貫していることが分かる。戦後の問題を避けては加藤の文芸評論は成立し得なかった。
 その思想の根幹を成す『敗戦後論』(1997年・講談社)刊行の際には左右両サイドから徹底的な袋叩きに遭った。おそらくここに加藤の孤高の思想の姿が表れていると言っても過言ではない。
 従来の、右は右、左は左の思考の枠組みからではなく、これはおかしい、と感じたことを忌憚なく述べたところに、加藤が周囲からの理解されづらい所以があったかもしれぬ。

 本年は奇しくも加藤に強い影響を与えた江藤淳の没後20年にあたる。
 別稿でも触れる予定だが、それを記念する回顧展(企画展「没後20年 江藤淳展」2019年5月18日~7月15日)が神奈川近代文学館で開催された折、社会学者の上野千鶴子が講演を行った(2019年6月1日)。その中で上野は江藤をして「戦後批評の正嫡」としているが、「ポスト江藤淳」として加藤の名を挙げている(上野千鶴子「講演 戦後批評の正嫡」/『新潮』2019年9月号・p.189)。正にその通りである。
 先年、たまたま東京でも相当大規模な書店に行って驚いたことがある。江藤淳の書籍がほとんどないのである。まさに焼き払われたとで思わせる根絶のされ方だった。加藤の事跡もそのような事態にならぬことを心から祈るばかりだ。
 今回のこのラジオ番組が、加藤典洋という、まさに「最後の文芸評論家」を我々がより一層知る機縁となって欲しい。

🐦
2019/08/17 15:12


2019年5月21日火曜日

「オフ・サイドの感覚」 加藤典洋を悼む

「オフ・サイドの感覚」 

加藤典洋を悼む 


 

文芸評論家の加藤典洋氏が5月16日に永眠されました。 

ここに謹んで哀悼の意を表します。 

  
 たまたま、旧著である『太宰と井伏』*が「完本」として増補され文芸文庫に収録されたことを機に同著を読み直していたところに、突然の訃報に接し驚きを禁じ得ない。 

*加藤典洋『太宰と井伏――ふたつの戦後』2007年・講談社/増補『完本 太宰と井伏――ふたつの戦後』2019年・講談社文芸文庫。 

 加藤ほど内外から叩かれまくった評論家は絶無ではなかったろうか。 

 デビュー作『アメリカの影』*に始まり、中期の問題作『敗戦後論』**、そして絶筆は『9条入門』***とくれば、文芸評論家というよりも、ほとんど社会思想家の相貌を呈していたが、そうであるにも関わらず、加藤典洋こそ、まさに「最後の文芸評論家」****というのに相応しい。 

*加藤典洋『アメリカの影』1985年・河出書房新社。 
**加藤典洋『敗戦後論』1997年・講談社。 
***加藤典洋『9条入門』2019年・創元社。 
****別稿で触れる。 

 わたしが最初に加藤を目にしたのは、『朝日新聞』に掲載された「オフ・サイドの感覚」*という短いエッセイである。そのころ、小林秀雄に耽溺していたわたしは、文中、言及されている小林に惹かれて手に取ったと思われる。 

*加藤典洋「オフ・サイドの感覚」/『朝日新聞』1985年8月20日・夕刊//加藤典洋『批評へ』1987年・弓立社。 

 小林が批評家を始めて、二、三年後には「批評家失格」なる文章を書かざるを得なかったという事実を指して、そこに「ルール違反(失格)の感覚」を指摘する。言うまでもなく、これは小林一流の反語であって、目の前に展開されている文芸批評なるものが本当の文芸批評であるなら、俺は失格だ、と言いながら、無論、言いたいことはまるで逆であろう。つまり、君たちは狡いぞ、ルール違反だ、ということである。 

 と、論じながら、加藤は突然、話題を転じ、サッカーの「オフ・サイド」という反則規定について話し始める。加藤によれば「「ボールがプレーされた瞬間に、そのボールより相手側ゴールラインに近い位置にいる競技者」に適用される、反則規定」なのだが、これがなぜ反則になるのか。 
 「オフ・サイドの感覚を育てたのは、二つのサイドを分けるものが、ゴールではなく、ボールなのだとする感覚なのだ」、そして、 

走る人の中には、ボールを置いて、その「向こう側」に走り去るのは、「狡い」、という感覚が育ったのである。ボールが転がるにつれて見えない戦場がうごく。そこにサイドを分つ境界を見るのは、走る人の運動の感覚であり、その、ボールとの「共生」の感覚である。(加藤典洋「オフ・サイドの感覚」/『批評へ』p.12) 

ボールとは、それではここで、何だろう。それを時代といっても、状況といっても構わない。しかしそれはぼくにとっては、拘束するもの、ぼくを条件づけるものである。(加藤典洋「オフ・サイドの感覚/『批評へ』p.13) 

 なぜ、批評が狡いのか、なぜ、ルール違反になるのか? 

 まさにオフ・サイドの感覚に乏しいからだと言わざるを得ない。 

 したがって、ではどうしたらよいのか。時代、我々を縛る様々な条件、状況から目を逸らさず、ボールと共に走り続けるより他にはない。 


 加藤は「戦後」という状況と共に走り続け、最後の最後までそのボールを手放すことはなかった。デビュー間近で書かれたこの一文は、加藤が批評家として確かな感覚を当初から持っていたことを示すものである。 

 我々はついに「最後の文芸評論家」を喪ったのではなかろうか。 


 若年の頃、見知った偉大なる先達の最初に出会った記憶のままに、この追悼文を同題とすることを寛恕されよ。 
  

🐦 
20190521 01:30