このブログを検索

ラベル 漫画を読む の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 漫画を読む の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年7月30日日曜日

心なしか、心躍る愉しい悪夢の形 フジモトマサル『〈新版〉夢みごこち』

 

🐏Keep Calm and Read Murakami~村上春樹を読む🐏 

🐭フジモトマサルを読む🐭

  

心なしか、心躍る愉しい悪夢の形

 

フジモトマサル『〈新版〉夢みごこち』 

  


  

■フジモトマサル『〈新版〉夢みごこち』旧版2011年1月・平凡社/新版・解説、村上春樹・2022年3月24日・平凡社。

■短篇連作漫画。

■目次 

l  18

l  村上春樹「フジモトマサルさんのこと」

163頁。

1,700円(税別)。

2023年7月13日読了。 

■採点 ★★★★☆。

 

  

目次

1 蜿蜒と続く悪夢... 2

2 心なしか、心躍る悪夢... 3

3 心の空き地に誘うイラストレイション... 4

参照文献... 5

 

 

 

 1 蜿蜒と続く悪夢

カフカの『変身』*[1]ではあるまいが、目が覚めたら、カモノハシになっている自分を発見する。実は記憶がないのだが、どうも自分は随分と自室に引きこもっていたようだ。で、眼が覚めると、アリクイ(?)のような奇妙な動物になっていて、牢獄にいる自分を発見する。で、眼が覚めるとカンガルーになっていて、墓石を自らどけて、墓穴から出ていく……。

 これが、蜿蜒と続くのだ。これを悪夢*[2]*[3]と言わずして、何と言おう。

 そして、どうもそれらは、現世に絶望した者たちによる1000年後の未来に向けて冷凍睡眠の中での夢のようでもあるのだ。目が覚めると「地球」(?)は何らかの理由によって、廃墟と化している、という具合だ。

 

 2 心なしか、心躍る悪夢

まさにこれこそ悪夢というしかないのだが、登場する者たちが、全て、愛嬌のある動物になっているせいもあって、心なしか、心躍るのだ。悪夢、とは言ったけれど、ずっと見ていたい、そういう愉しさのある夢なのだ。確かにそれは、現在の生の苦しさの反転とも言えるが、人は、そのような現世の反転を様々な形で考案し、実行することで、自らの生を長らしめてきた、とも言える。漫画もそのような夢の一形式と言ってもいいかも知れない。

 

3 心の空き地に誘うイラストレイション

 フジモトマサルは、元々イラストレイターから出発したことあってか、正直、彼の絵、イラストを見ているだけで、心が微笑む。

 それは、単に、いわゆる「かわいい」動物のイラスト、ということだけではない。何か、そこに、人を、孤独に隣接する、何というか、心の空き地のような場所に誘う。そこで、人は、裕かな沈黙の時間、静謐な沈思の空間を受容する。

 無論、それは本書でも言えることだが、その典型は、かつて、筑摩書房の刊行するPR誌『ちくま』の表紙を飾っていた「読書の情景」と銘打たれた一連のシリーズ作品だ*[4]。そこで注目すべきはフジモトの絵柄もさることながら、色彩の、正確には、光や影、あるいは雨の落ちる様までも含めた、色合いの美しさだ。門外漢であるわたしには正確には言えないが、その色は、音楽で言えば半音と言ったらいいのか、色絵の具や、色鉛筆などで明示される、はっきりとした赤や青、あるいは緑や茶色、というものではない。明確には何色とは言えぬ、中間色、曖昧な色なのだ。その色合いが人の心を、孤独の方に、愉しませるのだ。素晴らしい、というしかない。


 




 名久井直子の装丁も素晴らしい。カヴァーを取り去ると真っ暗な宇宙空間を漂う、ちっぽけな宇宙船が描かれる。巧みな意匠である。

 村上春樹が「解説」、というよりも或る種の追悼文を寄せている*[5]Web上での質問サイト「村上さんのところ」*[6]での、やはり素晴らしいイラストや漫画がとてもよかっただけに、村上自身も、まさに困惑とでも言うべき状況に陥ったことが分かる。

 全く惜しいイラストレイターを亡くしたものだ。とても残念だ。

 是非、フジモトの画業が散逸しないように、何らかの、全集のような形でまとめてもらい。

 

参照文献

カフカフランツ. (1915). 『変身』. クルト・ヴォルフ社.

フジモトマサル. (2011年/2022). 『〈新版〉 夢みごこち』. 平凡社.

フジモトマサル, . (2020). 『フジモトマサルの仕事』. (コロナ・ブックス編集部, ) コロナ・ブックス(平凡社).

吉田篤弘, フジモトマサル. (2006). 『という、はなし』. 筑摩書房.

小池圭一. (1986). SPINOZA』全2巻. 作品社.

小池圭一. (2003). HEAVEN'S DOOR. エンターブレイン.

村上春樹, フジモトマサル. (2015). 『村上さんのところ』. 新潮社.

平井和正. (1973). 『悪夢のかたち』. ハヤカワ文庫JA.

平井和正. (1979-1983). 『幻魔大戦』全20. 角川文庫 .

 

 

🐤

2,409字(7枚)

20230730



*[1] [カフカ, 1915年]

*[2] 蜿蜒と悪夢が続く設定の小説などは他にも存在すると思うが、『幻魔大戦』 [平井, 『幻魔大戦』全20巻, 1979-1983年]などで知られる、SF作家の平井和正の初期の短篇に、文字通り「悪夢のかたち」という作品がある [平井, 1973年]

*[3] 夢、という枠を取っ払って、場面が次から次へと転換されていくのは、かつて、一部の読者に熱狂的に支持された、小池圭一の『SPINOZA [小池, 1986年]を思い起こさせる。無論、哲学者のスピノザとは全く関係ない。因みに、小池は16歳という当時最年少で手塚賞を受賞したことでも知られている。と、くれば、荒木飛呂彦の『岸辺露伴は動かない』の漫画家・岸辺露伴も16歳から漫画家デビューをしていることが想起される。彼のスタンド能力は人の過去の記憶を本のかたちにして読む「ヘヴンズ・ドア」だが、小池にも、全く内容は無関係だが、『HEAVENS DOOR』という短編集が存在する。単なる偶然か?

*[4] [吉田 フジモト, 2006年]にまとめられている。

*[5] 村上はこれより前に、フジモトの追悼作品集『フジモトマサルの仕事』 [フジモト 他, 『フジモトマサルの仕事』, 2020年]にも、本書収録のものと同じ題名ではあるが、若干内容の異なる追悼文を寄せている。

*[6] [村上 フジモト, 2015年]

2020年3月23日月曜日

日本漫画史上における至高の達成 つげ義春『つげ義春日記』 つげ義春『ねじ式』 つげ義春『無能の人・日の戯れ』


日本漫画史上における至高の達成

つげ義春『つげ義春日記』

つげ義春『ねじ式』

つげ義春『無能の人・日の戯れ』






■つげ義春『つげ義春日記』1983年・講談社/2020年3月10日・講談社文芸文庫。

 ■日記。

 ■2020年3月22日読了。

 ■採点 ★★★☆☆。








■つげ義春『ねじ式』表題作・1968年/1976年・小学館文庫。

 ■短篇漫画選集。

 ■2020年3月22日読了。

 ■採点 ★★★☆☆。







 

■つげ義春『無能の人・日の戯れ』初出・1975年~1986年/1998年・新潮文庫。

 ■短篇漫画集。

 ■2020年3月22日読了。

 ■採点 ★★★★☆。

 



 今春(2020年4月)刊行が開始される完全版全集『つげ義春大全』(講談社)に合わせて、長らく再刊、文庫化が見送られてきた『つげ義春日記』の文芸文庫版刊行を機に手に取った次第である。











 正直に言えば、この日記がつげの作品と独立した価値があるかどうかは疑問である。当然ではあるが、つげという不世出の漫画家の作品の「ある程度の」背景を知るにはうってつけの「作品」ではあるが、それ以上ではない。

 彼の精神的な病も相俟って、この日記の期間、つげは、呆れるほど仕事をしていない、あるいは、できない。

 そこが残念と言えば残念なところだ。



 話は余計なことだが、「ねじ式」の冒頭部分をカヴァー・デザインに採用したのは素晴らしい。まさにこのワンカットでつげの名は世界的に知られるところとなったのだ。

 惜しむらくは帯を排してカヴァー本体にキャッチコピーを刷り込んだことだ。デザイナーの美意識を疑う。



 同時に、過去の旧作も手に取ってみた。

 小学館文庫創刊時に二巻本で編集された『ねじ式』と『紅い花』ではあるが、正直、編集に取り留めがなさ過ぎて、筆者の意図がうまく伝わらないきらいがある。

 恐らく、つげは「ねじ式」や「赤い花」のような、ある意味では芸術としての文学という意味での「純文学」を志向した(ように見られる)作品で将来的にも、世界的にも名を成すのであろうが、個人的には、例えば「ねじ式」に見られる引用のオンパレードを思わせる高密度の世界は息苦しい。

 むしろ、つげの実生活に竿を刺したような、いわゆる「私小説」的な作品の方が、好ましく思える。

 「ねじ式」などが描かれた奇跡の2年間の作品群と比較すれば、構成力などにおいて各段に劣っているという向きもあろうが、連作『無能の人』や断筆となった、「最後」の作品「別離」などはつげの、あるいは日本漫画史上における至高の達成だと、わたしには思える。

 いずれにしても、詳細は『つげ義春大全』にて。



 🐤

2020/03/22 23:57

2020年3月22日日曜日

つげ義春を求めて その③


つげ義春を求めて その





2020年3月22日(日曜日) 晴れ 休み。もう休み過ぎてどうにもこうにも、という感じだ。





11時ぐらいに起床。



ちょっとSGする。



いつもの生ハムとレタスのホット。チーズ・サンドウィッチとレトルトのカレー。

家事、洗い物、洗濯。



風呂入る。



SK



MD

①つげ義春『紅い花』1995年・小学館文庫。

②山口果林『安部公房とわたし』2013年・講談社。

③上野千鶴子『女遊び』1988年・学陽書房。

④上野千鶴子『スカートの下の劇場』1989年/1992年・河出文庫。

⑤ドストエフスキー『地下室の手記』1864年/2007年・光文社古典新訳文庫。



パックの寿司と焼き肉。



今に至る。



🐥

2020/03/22 20:55

つげ義春を求めて その②


つげ義春を求めて その②



2020年3月21日(土曜日) 晴れ ずっとJGで疲れた。





今日はSG。10時半ぐらいに出る。

何もできず。



帰りにダッシュでKBCBOに。



つげさんのちくまの全集は影も形もない(´;ω;`)ウッ…。



①つげ義春『ねじ式』1995年・小学館文庫。

②つげ義春『無能の人・日の戯れ』(解説・吉本隆明)1998年・新潮文庫。

③獅子文六『コーヒーと恋愛』1963年/2013年・ちくま文庫。

④中沢新一『対称性人類学――カイエ・ソバージュⅤ』2004年・講談社選書メチエ。

⑤『豪華版 日本現代文學全集35――石坂洋次郎・石川達三集』1969年・講談社。



焼きそばを食べて酒飲んで寝る。



🐤

2020/03/22 0:08

2020年3月20日金曜日

つげ義春を求めて


つげ義春を求めて



2020年3月20日(金曜日) 晴れ 春分の日で休み



昨日少し飲み過ぎたのか、目が覚めても体が重く立ち上がれない。

午後遅く目が覚める冷や汗ものの夢を見て、11時過ぎに已む無く起床する。

KSのメールにどんどこ返事を書いて、ブランチ。

生ハムのホットサンドウィッチとインチキ・パスタ・チーズ味。



つげさんの日記を読んでると、漫画そのものを読みたくなって、つきみ野のBOに行くも全く収穫なし。



『大全』を買うしかないのか。



①エマニュエル・トッド『グローバリズム以後』2016年・朝日新書。

②獅子文六『七時間半』1960年/2015年・ちくま文庫。

③辻井喬・堤清二研究会編『辻井喬と堤清二が出会う日―11月25日―』2017年・一般財団法人 アジア・ユーラシア総合研究所。

④高橋英夫『花田清輝』1985年・20世紀思想家文庫(岩波書店)。



というわけで、そのあと中央林間まで歩く。



約25分。



通りがかりのイタリアン・レストラン「Hal」で早めの夕食。






グリーンサラダ、本日のカルパッチョ、ピザ、ポークソテー・ゴルゴンゾーラソース、桜エビと春キャベツのアンチョビソースパスタ。



まーまーかな。ピザがとても美味しかった。



その後、東急ストアで食材を買って帰る。



今に至る。



🐤

2020/03/20 22:21

2020年3月13日金曜日

ついに『つげ義春日記』ゲット!!


ついに『つげ義春日記』ゲット!!





2020年3月12日(木曜日) 晴れ



いろいろ忙しかった。



なかなか進まず。



One noteが調子悪いので、メールで文章を書いている。



栄枯盛衰夢の間も。



昼、どこ行っても例のやつがない。



そもそも講談社文芸文庫がおいてない。どんな民度なんだ!!



それをメールで送ったらAKNTの本屋で買って来てくれた。うれしい。



それは、つげ義春の『つげ義春日記』(1983年/2020年・講談社文芸文庫)



やったー。



今は石坂洋次郎の短篇集『乳母車/最後の女』を読んでるので、それが終わったら、早速読まねば。



それよりも、『つげ義春大全』全22巻を買おうかどうか迷ってる。




 困ったものだ。



一冊3600円ぐらいで、毎月2冊ずつ刊行なので、毎月7000円もするじゃないか?



吉本隆明全集とおんなじじゃないか?



夜はトンテキ丼。



まー、まーかな。



🐥

20200313 0156




2018年4月11日水曜日

画 相 論 まんしゅうきつこ『まんしゅう家の憂鬱』

画 相 論 

まんしゅうきつこ『まんしゅう家の憂鬱』 




■まんしゅうきつこ『まんしゅう家の憂鬱』2015年12月・集英社/2017年11月25日・集英社文庫。 
■ブログ・漫画・エッセイ。 
■2018年4月9日読了。 
■採点 不可能。 


POINTS 
①内容的に常人の域を超えている。 
②ブログ上でのコマワリが「画相」という観点で重要だ。 
③その意味ではブログのまま書籍化せよ。  



 1 常人の域を超えている 

 これはなんというかペンネームからぶっとんでいるが、ブログに掲載されていた時のタイトルは「オリモノわんだーらんど」*なのだから、もうこれは常人のなしうるところではない。 

*https://manshukits.exblog.jp 

 これを読むと、家族関係など様々ご苦労されているようだが、それとはまた別に自らの足場を独特の異相空間に持っているようだ。 
 突如として井の頭公園の池を泳いだり、別れた恋人から逃れるために狂人の装いをしたり、夫と別居して一年後、突如としてもとの鞘に収まる、などはあり得ないが、それは現実の彼女本人の問題であって、一旦はよしとする(よしとするのか?) 


2 ブログ上でのコマワリ――間と等価性 

  小説や批評に文体があるように、漫画にも漫体?  画体?  があるとすると、そもそも、これはブログで発表された時のコマワリが大変重要であることが分かる。それを一旦ここでは「画相」という言葉で呼ぶことにしよう。無論、ここで我々は吉本隆明を方法的に踏襲する。 

 現在でもネット上にブログが4編残されているが、その内の、本書にも収録されている「妹」を比較してみると、本書収録のものは当然、通常の漫画のコマワリになっているが、ブログ上のものは、なんというか、紙芝居方式というべきか、絵があって説明、絵があって説明の繰り返しだから、単調なのだが、絵と絵の間の「間」がとても重要で、漫画の場合は比較すると早いと感じる。 
 この「間」とは奇妙なことに現実が呼び起こす時間感覚と相似形をなしている。つまり漫画で読むと見開きの単位で、読者はある一定の幅で見通しを立てられるが、ブログ上のコマワリではそれが封じられる。それが現実感覚を呼び起こすのではないか。 

 そして、ブログでは、一見、単調と思えるそれぞれの絵がほぼ等価に並べられている。そこに存在するものは、生を放擲したものの持つ或る種の視線、「向こう側からの視線」、より強く言えば「死の視線」である。 
 先に述べた「間」の問題と絵の等価性の問題は、実は同じ事態を矛盾すると思われる別別の側面から、それぞれ説明したに過ぎない。この矛盾は論究に値する。 

 無論、これらは期せずして為されたことであるが、主題、内容との親近性の問題も踏まえた上で、極めて重要な問題だと考える。 


3 ブログのまま収録せよ 

 その意味では漫画方式にコマワリを変えるのは一体にページ数の圧縮の問題と縦書き*変換による読みやすさの確保であろうが、圧倒的な後退である。極力ブログのまま収録すべきである。 

*縦書きと横書きの思考、表現、文化に与える影響についても一考に値する。 

 現在、作者は別のサイトに「リフォームワンダーランド」*なる作品を連載中であるが、残念ながら、これは単なる漫画である。内容的にも義理の妹のキャラクターなどは作りすぎである。 

*https://www.e-aidem.com 

🐤 
■2018年4月10日 12:10