⚽村上龍を読む

この国には、何でもある、だが、絶望しかない
村上龍『オールド・テロリスト』

【書誌情報】
単行本
· 書名: オールド・テロリスト
· 著者: 村上龍
· 出版社: 文藝春秋
· 初版発行日: 2015年6月26日
· 判型: 四六判(上製本)
· 頁数: 565 ページ
· 定価: 1,980円(本体1,800円+税)
· ISBN: 978-4-16-390239-5
文庫本
· 書名: オールド・テロリスト
· 著者: 村上龍
· レーベル: 文春文庫
· 出版社: 文藝春秋
· 初版発行日: 2018年1月4日(奥付日:2018年1月10日)
· 判型: 文庫判
· 頁数: 656 ページ
· 定価: 1,045円(税込)
· ISBN: 978-4-16-790993-2
連載情報
初出: 『文藝春秋』2011年6月号〜2014年9月号(連載後に大幅加筆修正を経て単行本化)
【読書メモ】
■2026年11月2日読了
■採点 ★★★☆☆。
村上龍の言わんとすることは理解できる。
また、オールド・テロリストたちの主張も分かるが、当然のことながら、それを全面的に肯定することはできない。
そこで、村上龍は普通の、というか相当ヘタレな中心人物(ナレイター)であるセキグチを用意した。彼は4件のテロ事件に直接遭遇していながら、結局何もできない。
テロリストたちの黒幕であり、暴走するオールド・テロリストたちを止めようとする老人に巨額の資金とともに指示を受けた主人公だが、やはり何もできない。
巨額の資金と住居などを与えられ、チームを組んで、謎を探求するのかと思いきや、彼は何もしないし、何もできない。この下りは村上春樹の『羊をめぐる冒険』を想起させるが、展開は全く違う。主人公はただ圧倒され、流されるだけだ。
また、作中には「満洲」という地名が何度も登場する。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』や、あるいは中上健次の『異族』などを想起させられるが、これらとも全く展開は異なる。
要は事件の荒波にもまれて、漂うだけだ。
とすると、一体この小説にどんな意味があるというのか?
それは啓蒙ということではないのか。
文学的意味とか、文学的な達成とかはもはやどうでもよく、この国の、どん詰まりの状況をいかに脱出するか――いや、具体的に脱出するかどうかよりも、「ことの状況を知らせる、認識させる」ということを村上は強く思ったのではないか?
おそらくは1960年から1970年代にかけての三島由紀夫や大江健三郎達は、文学で世界や社会が変わる、変えられると思っていた。文学とはそういうものであった。しかし、1970年代に入って、文学や思想が社会に対して持つ意味が変容した、あるいはそもそも、その意味を失ったのではないか? その焦りこそが三島由紀夫の自決であり、文脈こそ異なるが、柄谷行人のNAM騒動ではなかったのか? もはや文学や思想だけで、世界も社会も変わらないのであると。
村上龍も然り。彼の血肉を注いだ仕事は、あるいは小説の執筆ではなかったのかもしれない。経済情報を一般の市民に毎週伝えることを目的として発信し続けられたメール通信であるJMM(Japan Mail Media)。さらにそれをスケイル・アップしたプログラムがテレビ東京で放送された『カンブリア宮殿』だったのであろう。関係者によれば、村上龍はこの番組を一度として欠席することなく、番組の質問などもスタッフが書いた原稿の8割を書き直したという。
番組の最期の時期は、老衰(?)が著しく呂律も回っていなかったようではあるが、自己の限界まで番組に携わろうとしたのであろう。
ただ、最終的には文学なり思想の現実的な有効性のようなものを、村上龍は放棄したようにも思う。
要は読んでもらえなければ意味がない。読んで「なるほど」と言ってもらえなければ意味がない、ということだろう。
本作は、そもそも歴史小説のような教訓を含まない現代小説など読むのかと思われる読者層を持つ、老舗の論壇誌『文藝春秋』に3年余りの期間、連載された。無論、これは『希望の国のエクソダス』という前例というか実績があったからであろう。
その意味でも、過度な「文学的な」表現、つまり抒情的な表現やロマン主義的な描写を避けて、限りなく実写的な、則物的な表現に徹している。
したがって、というよりも、結果的に、恐らくは村上は書きっぱなしで、さほど手入れをしていないのか、相当、行き当たりばったりのストーリーになっている*[1]。
チームで難局を乗り切るのかと思いきや、重要な人物だと思われたマツノ君などは途中で消えてしまう。
黒幕と思われた老人も途中で亡くなり、大した役割を示さない。
問題は肝心の老人たちが、恐らく全体としては登場が少なく、「オールド・テロリスト」たちの存在感(彼らの主張や行動)が十分に感じられない点だ。
カツラギという女性の存在もしかり。ずっと中心人物セキグチに付き従うが、重要なアドヴァイスこそするが(確かに、自分で判断できないセキグチにとっては重要なトリガーにはなってはいるが)、具体的には何もしない。セキグチへの監視役なのかと思わされるが、どうもそうでもなさそうだ。最初に彼女が登場した書道教室になぜ二度と行かないのか?
老人たちの主張は単純で「戦後の焼け野原の状態に戻せ」、つまり戦後の営々と再建されてきた国家や社会は間違っていた、全部ゼロに戻し、やり直せ、ということになるが、果たしてそうなのか?
日本人が少なくとも第二次世界大戦が終結した段階での(大方の)総意は「もう二度と戦争はいやだ」ということに尽きるはずだ。したがって、日本の戦後のあり方が間違っていたということと、武力によってそれを正すということは別問題ではないのか?
村上は「この国には何でもある。だが、希望だけがない」という、政治家にすら口にされるほど、人口に膾炙された名言を持つ『希望の国のエクソダス』という作品があるが、そこでは若者たちが主人公(群)で、荒唐無稽ではあったかもしれないが、この国をこう変えればいいというヴィジョンのようなものがあった。
本作品は、それに対して老人たちが対象となっているが、主人公にはなり切れず、最後は、個人的な見解ではあるが、希望ではなく「絶望」だけが残った。最後的には、オールド・テロリストたちは全員死ぬのである。
つまり、自らの死期を漠然と意識したであろう村上龍が遺した言葉はこういうことになるだろうか。
「この国には、何でもある、だが、絶望しかない」と。
🐤
2,289字(400字詰め原稿用紙6枚)
2026年11月3日 16:08
【梗概】
物語の舞台は、経済の停滞と社会の閉塞感が広がる2018年の東京。
主人公のセキグチは、かつて活躍したものの、雑誌の廃刊によって職を失い、妻子にも去られた元フリージャーナリストである。無気力な生活を送る彼のもとに、NHKへのテロ予告を取材する仕事が舞い込む。
予告は「満洲国の人間」を名乗る老人からのものだった。セキグチが現場に赴くと、予告どおり事件が起こり、彼はその後も続発する高齢者による一連の事件を追うことになる。
取材の過程で、セキグチはカツラギという謎めいた女性と出会い、老人たちの計画の核心へと導かれていく。彼らは戦争や戦後の困難を生き抜いた世代であり、現在の日本社会に強い怒りと絶望を抱いていた。
老人たちが掲げるのは、「日本を再び焼け野原にする」という過激な主張である。彼らの行動は単なる破壊衝動なのか、それとも社会の根本的な変革を求めるものなのか。セキグチは彼らの思想に反発しながらも、その言葉によって自らの価値観を揺さぶられていく。
【作品の主題】
本作は、高齢者によるテロという衝撃的な設定を通して、次のような問題を描いている。
- 社会の閉塞と絶望:経済的衰退や格差のなかで、希望を失った人々の怒り。
- 世代間の断絶:戦争を経験した世代と、戦後の社会を生きる世代との歴史認識の違い。
- 破壊と再生のパラドックス:社会を壊すことによってしか変革できないのか、という問い。
本作は、村上龍が繰り返し描いてきた「既存の社会秩序が崩壊する可能性」を、高齢者という意外な主体を通して描いた長編小説である。
【『オールド・テロリスト』主要登場人物】
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登場人物 |
役割・人物像 |
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セキグチ(関口哲治) |
54歳の元週刊誌記者。テロ事件の取材を通じて、老人たちの計画に巻き込まれていく主人公。 |
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カツラギ(カツラギ・ユリコ) |
若い女性。謎めいた言動を見せ、セキグチを老人たちの世界へ導く。 |
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マツノ |
セキグチの元同僚。ウェブマガジンの編集者で、ITに詳しい。 |
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オガワ |
セキグチの元上司。テロ事件の取材をセキグチに依頼する。 |
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キニシ・スギオ |
老人たちのテロ組織の呼称。「気にしすぎの人たち」に由来する。 |
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ミツイシ(光石幸司) |
老人たちの中心人物の一人。企業経営者で、社会の根本的な変革を目指す。 |
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コンドウ |
寝たきりの老人。老人たちの計画の核心に関わる重要人物。 |
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アキヅキ |
高齢の精神科医。老人たちの活動に関わる。 |
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ヨシザキ |
NHKへのテロ予告電話をかける人物。 |
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由美子 |
セキグチの元妻。 |
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アスナ |
セキグチと由美子の娘。 |