🐏Keep Calm and Read Murakami~村上春樹を読む🐏
悪の空洞化
村上春樹『夏帆――The Tale of KAHO』(村上春樹「夏帆」・「武蔵境のありくい」・「夏帆とシロアリの女王」・「夏帆とモーターサイクルの男、そしてスカーレット・ヨハンソン」)・村上春樹インタヴュー(ニューヨーク・タイムズ)
*以下ネタバレ注意。
*本稿は、単行本刊行時に改定する予定です。
■①村上春樹「夏帆」/『新潮』2024年6月号/加筆改訂版・『文芸ブルータス』2025夏・2025年8月15日・マガジンハウス。
②村上春樹「武蔵境のありくい」/『新潮』2025年5月号。
③「夏帆とシロアリの女王」/『新潮』2025年11月号。
④「夏帆とモーターサイクルの男、そしてスカーレット・ヨハンソン」/『新潮』2026年3月号。
⑤『夏帆――The Tale of KAHO』2026年7月3日・新潮社から刊行予定。
⑥Alexandra Alter“Haruki Murakami : Isn’t Afraid of the Dark”, The New York Times, Feb.
8, 2026 Updated Feb. 12, 2026.
■短篇・中篇連作?長篇小説。
■(今のところ)全4章。
■2026年2月9日読了。
■採点 保留。
〈要約〉
2026年7月刊行予定の村上春樹の新作長篇『夏帆』は、雑誌掲載の連作が長篇化する異例の形式をとる。「顔」を巡る自己探求と、動物たちが導く試練を描くが、悪との対話・対決の欠落や、安易な結末に疑問が残る。最終的な評価は、加筆が期待される単行本版を待つこととしたい。
〈English Summary〉
Haruki Murakami’s new novel, KAHO — The Tale of KAHO
(scheduled for July 2026), follows an unusual publication format, evolving from
a series of magazine installments into a full-length work. While the story
explores self-discovery through the motif of "faces" and trials
guided by symbolic animals, it leaves critical questions regarding the lack of
"dialogue with evil" and a somewhat simplistic resolution. A final
judgment remains reserved until the release of the definitive hardcover
edition, which may contain further revisions.
目次
2026年7月3日、村上春樹の新作長篇小説『夏帆――The Tale of KAHO』が新潮社より刊行される*[1]。長篇としては『街とその不確かな壁』*[2]以来3年ぶりとなるが、本作の特筆すべき点はその発表形式にある。村上の長篇は、一部の例外*[3]を除き全篇書き下ろしが通例であったが、本作は全4章が時期を置いて雑誌にバラバラに掲載された。
元々、第1章に当たる「夏帆」は朗読会*[4]用の短篇として書かれたものだ。それが過去の『ノルウェイの森』*[5]や『ねじまき鳥クロニクル』*[6]のように、短篇を起点として長篇へと発展を遂げた。雑誌掲載時から全篇を追ってきたが、一読者としては正直なところ、首をひねらざるを得ない部分が残る。
第1章「夏帆」は、短篇として一定の完成度を見せているとい言ってよい。シークレット・デイト*[7]の相手である「モーターサイクルの男」こと佐原から、主人公の夏帆が「君みたいな醜い相手は初めてだ」*[8]という凄まじい侮辱を受ける場面から物語は動き出す*[9]。
現代社会では、こんな酷いことは、よほどのことがあってもまず言われない。容姿をさほど気にしていない女性でも(ほとんどいないとは思うが)、面と向かって、こんなことを言われたら、相当不愉快極まるであろう。無論、二人はその場で別れる。
しかし、何故か、相手に興味を覚えた夏帆は再び佐原と会うことになるが、やはり物別れになる。彼女は著しく傷つき、後悔する。彼女はこう思う。
私は自らの人生から巧妙な復讐を受けているのかもしれない――そう思わないでもなかった。*[10]
彼女は、何故、「自らの人生から」「復讐を受け」ねばならないのか? なぜ、見ず知らずの第三者から、選りにもよって容貌のことで、侮辱されねばならなかったのか?
夏帆(かほ)という名は、旧仮名遣いでは「かお」と読める。本作は文字通り「顔」を巡る物語だ。作中で彼女が描く絵本には、顔を失った少女が、「そのへんにあった間に合わせの顔」*[11]を貼り付けて「自分の顔を探しに行く」*[12] 旅をする姿が描かれる。
いくつもの試練を乗り越えて、北の岬に到達したときに、そこに現れた背の高い青年から「君みたいな素敵な顔をした女性に会ったのは初めてだよ」*[13]と言われるが、むろんこれは、冒頭の佐原に言われた侮蔑的な言葉とは全く逆の言葉だ。
しかし、「醜い」の反対は「美しい」だろうが、この場合は「素敵な顔」とされている。そして、「間に合わせにとりあえず貼り付けてきた顔が、そのときにはもう本当の顔になっていたのだ。」*[14]という。つまり、顔の美醜についてはほとんど、どうでもよく、人生の試練こそが、内面を作り、それが「素敵な顔」になるということだろうか?
したがって、結果的には(つまり、本人にはその意図がなかろうが)、冒頭の佐原の言葉は、自らの人生に正対していない夏帆への「警告」だったとも言える。「醜い顔」と言うのは美しくない、と言うことではなく、「素敵ではない顔」ということではないか。
自らの人生からの復讐とは、人生を本当の意味で生きていないことからくる、様々な障害とも考えられる。人生を生きていない、自らの人生と正対していないというのは、例えば、夏帆にとっては、いささか不仲とも言える、両親、取り分け、母との関係の修復、あるいは母親との人生の生き直しである。
彼女は、それを第2章から第4章にかけて行っているとも言える。
しかしながら、試練の果てにその顔が「本当の顔」になるという結末は、人生の試練を経て内面が形成される過程を象徴しているのだろう。先に述べたように、佐原の暴言もまた、自らの人生に正対していない夏帆への過酷な「警告」であったと解釈できる。しかし、こうした通俗的な読みを拒絶する地点にこそ村上文学の核心があるはずであり、我ながら首をひねらざるをえない。この解釈については一旦保留としたい。
物語が進むにつれ、ジャガーやシロアリの女王、アリクイの夫婦あるいはスカーレット・ヨハンソン*[15]を名乗るホルスタイン柄の猫といった動物たちが現れ、夏帆に試練や助言を与える。これらは第1章で予告されていた展開*[16]だが、より本質的な問題は、近年の村上作品に共通する「悪との対決」の在り方にある。
『ねじまき鳥クロニクル』の綿谷昇、『1Q84』*[17]の新興宗教の教祖、あるいは『騎士団長殺し』*[18]の騎士団長。主人公たちは精神的な世界において、野球のバットやアイスピック、包丁でこれらの「悪」を葬ってきた。本作でも夏帆がジャガーを刺殺する場面があるが、なぜ彼らが「悪」と断定され、一方的に殺されねばならないのか、その必然性がいまひとつ判然としない。
わたし個人としては、村上は『ねじまき鳥クロニクル』以降の長篇は文学的な成功を収めているとは言い難いと考えているが、その要因の一つに「悪との対話」あるいは「悪との対決」の不完全さにあるのではないかと考えている。悪の側の論理や情理に踏み込む「対話」が欠落したまま、一方的に排除が行われているのではないか。これでは悪が「成仏」できないではないか。この問題は村上個人に留まらず、日本近代文学全体が抱える課題とも言えるだろう。
最大の問題点だと思うのが、第4章における佐原(モーターサイクルの男)の主題的変貌だ。第1章で、夏帆の存在の根底を脅かす「悪」として登場した彼が、第四章に至って「ちょっと言いにくいんだが、つまりなんというか、僕は君の守護天使のようなものなんだ」*[19]と名乗り、かつての暴言も主人公を守るために引っ越しをさせるための手段だったと釈明する*[20]。この回収の仕方は、物語を牽引してきた強烈な存在感に比して、あまりにとってもつけたような単純な着地に思えてならない。
村上の、これまでの短篇集において、単行本化の際にテーマを補完する「ボーナストラック」的な一篇が追加されてきた例*[21]を考えれば、単行本版で何らかの解決が示される可能性はある*[22]。
いずれにせよ、加筆修正されるだろう単行本こそが最終的な「作品」である。その全貌を待って判断を下したい。
参照文献
村上春樹. (1983年/1984年). 「螢」. 著: 『中央公論』1983年1月号/村上『螢・納屋を焼く・その他の短編』. 中央公論新社/新潮社.
村上春樹. (1986年/1989年). 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」. 著: 『パン屋再襲撃』. 文藝春秋/文春文庫.
村上春樹. (1987年). 『ノルウェイの森』上下. 講談社.
村上春樹. (1994年-1995年). 『ねじまき鳥クロニクル』全3巻. 新潮社.
村上春樹. (2000年). 「蜂蜜パイ」. 著: 村上春樹, 『神の子どもたちはみな踊る』. 新潮社.
村上春樹. (2000年). 『神の子どもたちはみな踊る』. 新潮社.
村上春樹. (2005年). 『東京奇譚集』. 新潮社.
村上春樹. (2009年ー2010年). 『1Q84』全3巻. 新潮社.
村上春樹. (2013年). 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』. 文藝春秋.
村上春樹. (2014年). 『女のいない男たち』. 文藝春秋.
村上春樹. (2017年). 『騎士団長殺し』全2卷. 新潮社.
村上春樹. (2020年). 『一人称単数』. 文藝春秋.
村上春樹. (2023年). 『街とその不確かな壁』. 新潮社.
村上春樹. (2024年). 「夏帆」. 著: 「『村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会』――みみずくは春に本を読む」/『新潮』2024年6月. 早稲田大学/新潮社.
村上春樹. (2025年). 「夏帆」(加筆改訂版). 『文芸ブルータス』2025夏.
村上春樹. (2025年). 「夏帆とシロアリの女王――〈夏帆〉その3」. 『新潮』2025年11月号.
村上春樹. (2025年). 「武蔵境のありくい――〈夏帆〉その2」. 著: 『新潮』2025年5月号. 新潮社.
村上春樹. (2026年). 「夏帆とモーターサイクルの男、そしてスカーレット・ヨハンソン――〈夏帆〉その4(完結). 『新潮』2026年3月号.
🐣
5,629字(400字詰め原稿用紙15枚)
20260506 1915
*[3] 『ねじまき鳥クロニクル』の第1部は『新潮』に連載された。ただ、他の作家のように「自転車操業のように」(失礼)その都度書いて、掲載するのではなく、『ねじまき鳥クロニクル』の第1部、第2部の全篇が執筆された上での連載ではないかと推測される。
*[9] 村上は、何か意図的にルッキズムを批判するというよりも、ルッキズムvs.アンチ・ルッキズムのよって立つ地平をひっくり返す、あるいは暗に全否定? するような視点がある気がする。実際にある時期、「醜い」とされる女性をしばしば登場させていた。例えば、映画化もされた「ドライブ・マイ・カー」に登場する女性ドライバー・みさきは「ぶすい」(ぶすいに傍点)つまり「ブスだ」とされている
*[15] スカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson, [dʒoʊˈhænsən]、1984年11月22日 - )は、アメリカ合衆国の女優。多くのヒット作品に出演し、出演した映画の興行収入は累計53億ドル(約8300億円)で歴代4位となる(Wikipedia)。
*[16] 第1章に当たる「夏帆」には加筆修正版が存在する。いくつか加筆があるが、絵本の中で少女が冒険する下りに以下の加筆がある。「ジャングルの奥の小径で、穏やかな気性のアリクイの夫婦とすれ違ったこともある。彼女が小さく会釈をすると、アリクイたちはやはり小さく会釈を返してきた。「凶暴なジャガーにはくれぐれも気をつけるのですよ」とアリクイの奥さんが親切に忠告を与えてくれた。」
