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「木村政彦は本当に力道山に負けたのか」
増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
■増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』2011年9月30日・新潮社。
■長篇ノンフィクション(格闘技・柔道・プロレス・日本近現代史)。
■2020年8月26日読了。
■採点 ★★★☆☆。
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🖊 ここがポイント! |
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① 木村政彦は力道山との試合で不本意な約束違反にあい、敗北した。 |
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② 仮にそうだとしても木村が本当にやりたかった総合格闘技の隆盛が木村の真の意味での勝利を証明している。 |
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③ その意味で力道山戦の勝敗にこだわることは木村の格闘家としての実像を矮小化する。題号は『木村政彦正伝』とすべきであった。 |
準備期間14年、雑誌連載4年*、単行本で700ページに垂んとする力作である。
*『GONG格闘技』2008年1月号から2011年7月号・アプリスタイル。
かつて、「昭和の巌流島」決戦とも呼ばれた、柔道全日本選手権13年連覇、15年間無敗の天才柔道家・木村政彦と、その後の日本のプロレスの礎を築くプロレスラー・力道山が世紀の一戦を交え、あっけなく力道山の勝利に終わった。戦後の混乱も明けやらぬ1954(昭和29)年12月22日、蔵前国技館でのことである。
要は単純で、今日の総合格闘技の源流とも云える、かのエリオ・グレイシーをも敵地ブラジルで破った*稀代の柔道家・木村政彦が、なぜ、「たかが」プロレスラーの力道山に敗れたのか、いや敗れたはずはない、真剣勝負でやったら木村の勝利だったのだ、この一点を証明するために本書は書かれている。
*木村政彦vs.エリオ・グレイシー・1951年10月23日・於ブラジル・リオデジャネイロ・マラカナンスタジアム。
しかし、詳細なる論証の果ての結論は全く逆で、柔道側からいかに好意的に見ても木村の敗北だったとするものだ*。
*「木村政彦は、あの日、負けたのだ。」(本書p.582下段)
確かに力道山はブック破り*をしたが、相当な決意と準備を以てこの試合にあたっている。それに対して、木村は単なるプロレスの試合と考え、全く練習も、それ相応の構えも持たずにリングに上がっている。
*プロレスは事前に勝敗などを決めた台本(これをブックと呼ぶ)があり、それに則って行われている。これを意図的に破ることを「ブック破り」という。
非力な力道山の真剣さが、本来の力では、力道山よりも上回っていたにも関わらず、勝負として捉えていなかった木村を上回ったのであろう。
これは増田の立場からすると、この結論を下すことは、かなりの苦渋の決断だったと思われる。
さて、そこで思うのは、本書の題名である。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』。それは論点が違うのではなかろうか? それを言うなら「木村政彦はなぜ力道山に負けたのか」あるいは「木村政彦は本当に力道山に負けたのか」に尽きると思う。
要はスタンスの問題である。
必死に自らの足場を守ろうとする力道山と、食うためとは言え、単なる金儲けで気楽にやっていた木村のスタンスの違いであろう。
別にこれはどちらかが善で一方が悪という訳でもなく、この試合を以て格闘技的な勝敗が決せられるわけでもない。
話が飛ぶかも知れぬが、丁度逆の図式が小川直也vs.橋本真也戦である*。恐らく事前に台本ありの「プロレス」で行こうとされていたものを、小川の師匠、というかプロデューサーであるアントニオ猪木がガチンコのセメントマッチを指示してあのような結末になったと思われる。
*小川直也vs.橋本真也戦は1997年から2000年にかけて都合5回行われて4勝1敗で小川の勝ち越し。
部外者が軽々に言うことではないが、恐らく小川には柔道の大先輩・木村のプロレスに対する雪辱を果たすなどという気持ちはこれっぽっちもなかったと思うが、結果的にはそうなってしまった。
これ以降、ヒクソン・グレイシーvs高田延彦戦*などを始めとして、結局、真剣勝負でやったらプロレスラーは決して強くない、むしろ話にならないぐらい弱いという事実をまざまざと見せつけられる。しかし、それは当然の話だ。やっていることの次元がそもそも違うのだから。
*PRIDE1・1997年10月11日・東京ドーム。
これと並行して複数の格闘技系のプロレス団体(UWFなど)や、文字通り、真剣勝負の総合格闘技(PRIDEなど)が一時的ながら隆盛を極めたのも、要は真剣勝負でやったら誰が強いのかを、皆が見たいと思っていることの証左に他ならない。
確かに、木村は「プロレス」という枠内では「負けた」かもしれない。いや、厳密に言えばプロレスには、一般的な意味での勝敗など存在しない。だから、その意味では、長い人生の、ある瞬間に、木村は力道山の「ある何か」に負けたことは確かである。
だが、現今の総合格闘技の隆盛とその社会的認知こそが木村政彦の、真の意味での「勝利」と言わずしてなんと言おうか。
就中、かのグレイシー一族にとって「特別な存在」と言わしめた*ことこそ、もはや、力道山云々ということより何十倍も重要なことではないのか?
*アメリカ・デンバーで行われた第1回UFCで優勝したホイス・グレイシーは次のように発言した。「われわれグレイシー一族にとってマサヒコ・キムラは特別な存在です」と。(本書p.684からの援引)
したがって、増田は、自身が「あとがき」で述べているように、この渾身のルポルタージュの終章を書きあぐねているが、これには異論がある。
一つは、木村が「敗戦」後、長く生き延びたが、それは妻がいたからこそ生き抜いた価値はあったと述べている*がそうだろうか。そこにポイントがあるのか?
*本書p.688。「あとがき」にも同様の趣旨の発言がある(p.696)。
もう一つは構成上の問題ではあるが、木村の後継者である岩釣兼生のプロレスの参戦話で始め、岩釣本人が「書くな」*と釘を刺した、岩釣の地下格闘技参戦とその勝利の件で、本書を閉じているが、これもまた木村の存在を矮小化することにならないか。
*本書p.688下段。
ルポルタージュというのは、執筆者本人の作品である以上に、事実に竿を刺すべきものであるべきなのだから、連載時の混乱を残すことに意味はないだろう。
個人的な関心で言うと、台本通りに勝敗を分け続ければ、木村とも共存共栄ができたはずなのに、あえてブック破りに及んで、木村を叩き潰した力道山の、ある意味での「プロ格闘家」としての地力の強さ、いや、手段を択ばず、何がなんでも生き残ることだけを考えていた力道山の、人間としての、あるいは言葉はよくないが「生物としてのサバイバル力」の強さに驚嘆する。詳細な力道山の評伝が待たれる。
そして、この試合以降、木村と袂を分かつことになる稀代の空手家・後の極真会館館長・大山倍達の存在だ。大山については小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』(2006年・新潮社)がある。これを参照しよう。
さらに、本書ではほとんど言及がないアントニオ猪木、及び、その弟子でありつつ微妙な距離を取りつつ、自らの総合格闘技の道を究めようとした上で、謎のプロレス復帰を遂げ、今や病床に臥せっている、初代タイガーマスクこと佐山聡の問題をも考えねばならない。
本書には姉妹篇とも言うべき、同著者による『木村政彦外伝』(2018年・イーストプレス)がある。是非手に取ってみたい。
以上、述べてきたように本書は『木村政彦正伝』とすべきだろう。内容的にもその題号に十分耐えられるはずだ。
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2020/08/27 17:16

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