「オフ・サイドの感覚」
加藤典洋を悼む
ここに謹んで哀悼の意を表します。
たまたま、旧著である『太宰と井伏』*が「完本」として増補され文芸文庫に収録されたことを機に同著を読み直していたところに、突然の訃報に接し驚きを禁じ得ない。
*加藤典洋『太宰と井伏――ふたつの戦後』2007年・講談社/増補『完本 太宰と井伏――ふたつの戦後』2019年・講談社文芸文庫。
加藤ほど内外から叩かれまくった評論家は絶無ではなかったろうか。
デビュー作『アメリカの影』*に始まり、中期の問題作『敗戦後論』**、そして絶筆は『9条入門』***とくれば、文芸評論家というよりも、ほとんど社会思想家の相貌を呈していたが、そうであるにも関わらず、加藤典洋こそ、まさに「最後の文芸評論家」****というのに相応しい。
*加藤典洋『アメリカの影』1985年・河出書房新社。
**加藤典洋『敗戦後論』1997年・講談社。
***加藤典洋『9条入門』2019年・創元社。
****別稿で触れる。
わたしが最初に加藤を目にしたのは、『朝日新聞』に掲載された「オフ・サイドの感覚」*という短いエッセイである。そのころ、小林秀雄に耽溺していたわたしは、文中、言及されている小林に惹かれて手に取ったと思われる。
*加藤典洋「オフ・サイドの感覚」/『朝日新聞』1985年8月20日・夕刊//加藤典洋『批評へ』1987年・弓立社。
小林が批評家を始めて、二、三年後には「批評家失格」なる文章を書かざるを得なかったという事実を指して、そこに「ルール違反(失格)の感覚」を指摘する。言うまでもなく、これは小林一流の反語であって、目の前に展開されている文芸批評なるものが本当の文芸批評であるなら、俺は失格だ、と言いながら、無論、言いたいことはまるで逆であろう。つまり、君たちは狡いぞ、ルール違反だ、ということである。
と、論じながら、加藤は突然、話題を転じ、サッカーの「オフ・サイド」という反則規定について話し始める。加藤によれば「「ボールがプレーされた瞬間に、そのボールより相手側ゴールラインに近い位置にいる競技者」に適用される、反則規定」なのだが、これがなぜ反則になるのか。
「オフ・サイドの感覚を育てたのは、二つのサイドを分けるものが、ゴールではなく、ボールなのだとする感覚なのだ」、そして、
走る人の中には、ボールを置いて、その「向こう側」に走り去るのは、「狡い」、という感覚が育ったのである。ボールが転がるにつれて見えない戦場がうごく。そこにサイドを分つ境界を見るのは、走る人の運動の感覚であり、その、ボールとの「共生」の感覚である。(加藤典洋「オフ・サイドの感覚」/『批評へ』p.12)
ボールとは、それではここで、何だろう。それを時代といっても、状況といっても構わない。しかしそれはぼくにとっては、拘束するもの、ぼくを条件づけるものである。(加藤典洋「オフ・サイドの感覚」/『批評へ』p.13)
なぜ、批評が狡いのか、なぜ、ルール違反になるのか?
まさにオフ・サイドの感覚に乏しいからだと言わざるを得ない。
したがって、ではどうしたらよいのか。時代、我々を縛る様々な条件、状況から目を逸らさず、ボールと共に走り続けるより他にはない。
加藤は「戦後」という状況と共に走り続け、最後の最後までそのボールを手放すことはなかった。デビュー間近で書かれたこの一文は、加藤が批評家として確かな感覚を当初から持っていたことを示すものである。
我々はついに「最後の文芸評論家」を喪ったのではなかろうか。
若年の頃、見知った偉大なる先達の最初に出会った記憶のままに、この追悼文を同題とすることを寛恕されよ。
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20190521 01:30
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