🌌井上靖を読む🌌
内省する人間
※未定稿
■井上靖『淀どの日記』1961年10月・文藝春秋新社/1964年5月30日・角川文庫/1996年2月10日・『井上靖全集』第十巻・新潮社/2007年11月25日・改版・角川文庫。
■原題「淀殿日記」/『別冊文藝春秋』1955年8月号~1960年3月連載。
■長篇小説(歴史・時代)。
■目次
l 全11章
l 篠田一士「解説」(角川文庫)
■494頁(角川文庫)/244頁(『全集』)。
■705円(税別・角川文庫)/9000円(税込み・『全集』)。
■2025年1月10日読了。
■採点 ★★★★☆。
1 はじめに
今更、井上靖でもないだろう、と思われる方も多いと思われる。また、わたし自身、同様な思いを否定することはできない。しかしながら、昨年の秋から、大した理由もなく、断続的に井上靖の作品に目を通してきた。正直に言えば、通俗小説の域を出るものではなく、文学史的なことで言えば、有体に言えば消え去る運命なのだろうな、とも思う。実際問題、丸谷才一たちが日本文学全集の企画をするものでは井上は落とそう*[1]、つまり収録に値しないと断ぜられていることからも、井上の文学的な価値の下落は否定できないものがある。つまり、ひと頃は、その作品がよく売れて、出版社や書店からは重宝されていたのであろうが、いまや、多くの読者はほぼ見向きもしない有様であろう。まあ、よくある話、ということになるだろうか。
井上靖は様々な小説作品をものしてきたが、そのコアとなるものは恐らく、終生書き続けた詩であろうと思う。この詩作品に表れた詩情とでも言うべき精神世界こそが、その数多の小説作品を底支えしているものである。しかしながら、散文詩の形式を持つ、井上の詩作品は、どこか観念的で、言葉を選ばず言えば或る種、紋切り型なのである。
言ってみれば時代に受け入れられるということは、このようなパターンこそが要求されるということか。時代の流れが変わってしまえば、それまでということにもなる。
わたしはここまで、そのような、紋切り型の或る種の心地よさに凭れ掛かって、井上の長篇小説を10冊ほど読んできた。しかしながら、取り立てて感想めいたもの、何か書き残しておくべき必要性をほとんど感じなかった。井上の作品は多く映画化やテレビドラマ化されているが、言ってみれば彼の作品は連続テレビドラマを見ているのと同じ、ということであろうか。
2 『淀どの日記』に瞠目する
ところが、今回、本書『淀どの日記』*[2]を手に取った。
結論から言えば、いささかならず瞠目したと言ってよい。今までの井上作品とは全く書法が違うのではないかとさえ思えた。
本作は、織田信長の妹、お市の方の長女、茶々の数奇な生涯を描く。茶々とその二人の妹たち、はつと小督*[3]は叔父である織田信長に攻められて、落城と共に、実父・浅井長政を亡くしている。その後、母・お市の方が柴田勝家に嫁したが、その義父もまた羽柴秀吉に敗戦し、落城とともに、義父・勝家、実母・お市の方を喪っている。その後、紆余曲折があったが、長女・茶々は豊臣秀吉の側室*[4]となり、その後、秀吉の後継者である秀頼を生み、絶大な権力を持ったが、1615年の大坂夏の陣により敢え無く自害したとされる。
したがって、歴史的事実に竿を差して、いくらでもドラマティックに描くことは可能だし、実際、そのような工夫も見られる。本作を書くに至るきっかけのようなものとして、作者は茶々若き日の知られざる恋物語を思い付き*[5]、それらを巧くに忍ばせて、物語の一つの駆動因としている。すなわち、京極高次と蒲生氏郷との叶わざる恋情のドラマがそれであるが、これは或る種の読者サービスのようなものであろうから、この物語の本質的な部分とは言い難い。例えば、江藤淳は「文芸時評」の中で、「茶々と京極高次の恋愛のような小説的な部分は、この作品のなかでは弱い部分だ。」*[6]としているが、卓見だと思う。
3 江藤淳の『淀どの日記』評
しかしながら、そう言う、江藤が本作の眼目を読み切っているとは言い難い。江藤は次のように述べている。
(前略)彼女にとっての歴史とは、落ちた城から運び出される輿の外に感じられる戦の気配、清洲や安土の城の婦人部屋を訪れる礼儀正しい大名達、やぐらの上からながめた出陣する軍隊の行列、といったようなものにすぎない。そのなかを時間はまるで時計のセコンドに刻まれているようにきちょうめんに等速度で流れ、この等速度で経過する時間のなかで花が幾度も咲いたり散ったりする。作者にとっての時間や歴史は、おそらくこういうものなのであろう。だが、茶々にとってのそれは本当にこういうものだったのだろうか。
井上氏は、つとめて抑制した筆で、むしろ小説的な展開を避けながら、破綻のない叙事を進めている。茶々と京極高次の恋愛のような小説的な部分は、この作品のなかでは弱い部分だ。が、その破綻のなさは、井上氏が「歴史」という「形」の鑑賞家だからこそ保たれているのではないか。「淀どの日記」に出て来る乱世の英雄たちが、等しく人間臭に乏しいのも、作者が彼らをこの「形」の一つの模様としてながめているからではないか。
こういう心の動きかたは、歴史をもっぱら死人の集合体としてながめようという性質のものだ。井上氏は歴史の完結した「形」の美しさに魅せられ、その「形」を写そうとしている。この「形」をくずしてしまうような踏みこみかたを、井上氏は徹頭徹尾用心深く避けて
いる。だが、そういう「形」を描きながら自分が生きているということを、当の歴史を生きた人間たちは決して知らないのである。茶々は、おそらく、こんな生き方はしなかった、時間も歴史も、自分の前では決してこんな規則的な動き方をしなかったというであろう。この破綻のない作品は、こういう主人公たちからの抗議をすべて却下するところに成立している。
このような作者の心の傾きは、もともと抒情的なものである。「淀どの日記」は叙事を主眼にした作品だが、筆を叙事に抑制しようとすればするほど、作者の抒情的な資質があらわになるという皮肉をまぬがれてはいない。だから茶々の見た聚楽第の桜は美しい。歴史を「形」として鑑賞しようという態度は、それを第二の自然として見ようとする態度、
そのなかに生きた人間を、植物を模倣するものとしてながめようとする態度だからである。実をいえば井上氏にとって、現代や現代人というものも、またこんなふうに見えるのかも知れない。*[7]
要は、江藤によれば、井上は、「形」として歴史を見ようとするが故に、登場する人々は死体の集まりとなり、また、茶々もまた、その作者の視線を受けて、あたかも自然を眺めるかのように周囲の出来事や、往還する人々をそのように見ているのだ、ということになる。それは、井上の現代小説も同様だ、という手厳しい批判である*[8]。
4 「視る存在」=「推測する存在」=茶々
しかし、それは違う。全く逆だ。
淀はまさに「視る存在」なのだ。徹底的に「視る」ことだけをする。逆に言えば、彼女は「視る」ことだけを許され、他のいかなる自律的な行動や行為を禁じられた存在なのだ。その意味では、唯一とでも言うべき彼女の自律的な行動*[9]は、秀吉の側室になることが決定されたタイミングで、かつて恋心を抱いた京極高次に自身の肉体を与えようとするところ*[10]だが、これは先も言ったようにあり得ないし、小説の骨法上も、いささか、井上はミスをした箇所ではないかと思える。
さらに言えば、茶々は徹底的に人の気持ちを探る、推測する。これまた、そうするよりほかにないからだ。
この微細に描かれている淀の内面は、ある意味それは近代的な内面と通底しているとも言える*[11]。従来の井上靖の作品、とりわけ、歴史を扱ったそれでは、比較的、即物的とでも言うべく、内面の描写を避けてきている。江藤の言うように、現代小説でも、然りである。
しかしながら、驚くほど精緻な心理的内面こそが本作の眼目であって、物語の、すなわちは、歴史的な事実と思われる展開については、あくまでも、外枠、あるいは添えものに過ぎないとさえ思われる。
5 運命と一体化
それにしても、何故にこのようなことが可能になったのか。軽々には論じられぬが、一つは、与えられた運命を受け入れるしかない(それは実は男性も本来的は同じなのであるが)女性が主人公に据えられたことによることが多いのではないか、と一旦は思う*[12]。
このあと、井上は楊貴妃*[13]、額田女王*[14]といった女性を主人公として小説を執筆している。『風林火山』*[15]や『敦煌』*[16]、『天平の甍』*[17]あるいは『蒼き狼』*[18]といった、或る種、執念ともいうべき思いに取り憑かれたように行動する男たちの群像を描いてきた井上がこの期に及んで、何故女性を主人公とした小説を書いたのか、今ひとつ納得がいかなかったが、今回本作を読んで、なんとなく腑に落ちた部分がある。
運命に自らの人生を苛まれるのは男性、女性問わず、ひとしなみに人間に訪れる宿命のようなものである。しかしながら、少なくとも歴史的過去においては、女性の方が露骨にそれが主観的、客観的問わず表れるということではないか。
与えられた運命に対して、選択の余地なく、従うしかないのであれば、ひとは、その運命に殉ずるしかない。篠田一士の言うように、まさに淀は「運命のなかに同化した」*[19]ということであろう。あるいは運命と一体化したとでも言うべきか。
まさに井上靖の文学は人間の運命の何たるかを問うているのである。
その意味では『風林火山』の真の主人公は山本勘助ではなく、主君・武田信玄の側室・由布姫ではなかったか? 『蒼き狼』の主人公は鉄木真ではなくその側室・忽蘭ではなかったか?
井上靖はこれらの先行する作品の執筆を進める中で、内心、何か思うところがあったのではないだろうか?
6 何故、「日記」なのか?
ところで、この作品は『淀どの日記』と題されているが、何故『日記』なのであろうか。実際、本文は日記体ではなく、客観的な文体で書かれている。何故、これは『日記』とされているのか。
井上自身は、あるいはそこは無頓着で、大した意味もなかったかも知れない。しかしながら、「日記」という言葉を選択するに当たって、無意識に念頭にあったと思われるものが、内省する人間像、ということではないか。人は深夜、一人、日記を紐解くことで、まごうことなく「個人」となる。そこで、彼/彼女は、自らの一日の言動を振り返るとともに、周囲の他人や、環境、自然について思いを巡らすであろう。つまり、人は日記帳を前にして、「内省」的になるのだ。
そこでわれわれが想起すべきは『紫式部日記』のような存在であろう。
井上は、日記体で本作を書くにはいささか、重いと思ったのか、そもそもそんなことは考えてもいなかったのか、不明だが、現行の客観体の小説の本文においても、十分、淀の内面は徹底的に描かれていて、その叙述は緩むことはない。
その意味で、本作は、歴史小説の形を採ってはいるが、現代文学の位置に確かな足跡を残した作品として、より顕彰されるべきものである。
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① 4,213字(11枚) 20250113 2111
② 5,408字(14枚) 20250114 1326
*[8] 余談になるが、わたしは、同様の批判を江藤自身の代表作たる『漱石とその時代』
*[9] 強いて、もう一ヵ所、茶々の自律的行動を捜すとすれば、最終段に至って、落城寸前の大坂城から、秀頼の妻である千姫(徳川家康の孫)を逃がすまいと裾を押さえるところか
*[12]これが性別を問わないことは言うまでもない。ロシアへの漂流民・大黒屋を描いた『おろしあ国酔夢譚』では、まさに運命に蹂躙されるしかなかった男の半生を描いている
*[19]
参照文献
井上靖. (1955年).
『風林火山』. 新潮社.
井上靖. (1957年).
『天平の甍』. 中央公論社.
井上靖. (1959年).
『敦煌』. 講談社.
井上靖. (1960年).
『蒼き狼』. 文藝春秋新社.
井上靖. (1961年/1964年/1996年/2007年). 『淀どの日記』. 文藝春秋新社/角川文庫/新潮社/改版・角川文庫.
井上靖. (1961年/2000年). 「淀どの日記」(インタヴュー). 著: 『朝日新聞』1961年11月19日/『井上靖全集』別巻. 朝日新聞社/新潮社.
井上靖. (1965年).
『楊貴妃伝』. 中央公論社.
井上靖. (1968年).
『おろしあ国酔夢譚』. 文藝春秋.
井上靖. (1969年).
『額田女王』. 毎日新聞社.
井上靖. (1974年/2000年). 「「井上靖小説全集」自作解題」「第十四巻」. 著: 『井上靖小説全集』第十四巻/『井上靖全集』別巻. 新潮社/新潮社.
丸谷才一, 鹿島茂, 三浦雅士. (2006年). 『文学全集を立ちあげる』. 文藝春秋.
江藤淳. (1961年/2019年). 「(文芸時評)昭和三十六年十二月」Ⅱ. 著: 『朝日新聞』1961年11月24日/『全文芸時評』. 朝日新聞社/新潮社.
江藤淳. (1970年/1983年/1996年/1999年). 『漱石とその時代』全5部. 新潮選書.
篠田一士. (1964年/2007年). 「解説」(『淀どの日記』). 著: 井上靖, 『淀どの日記』. 角川文庫/改版・角川文庫.
鳥の事務所. (1993年). 「静止画像の夏目漱石――江藤淳『漱石とその時代』第三部」. 著: 『鳥』1993年12月号. 鳥の事務所.
福田千鶴. (2006年). 『淀殿――われ太閤の妻となりて』. ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本選評伝〉.
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