📚讀書ノウト 🏈加藤典洋を読む🏈
詩から批評へ、そして批評から詩へ
加藤典洋「日常的な幻想という方向」・「ムテキであること、生きること」
■加藤典洋「日常的な幻想という方向」/『太宰治賞2011』2011年6月20日・筑摩書房・「ムテキであること、生きること」/『太宰治賞2018』2018年6月20日・筑摩書房。
■新人対象の小説賞・太宰治賞への選評(現代日本文学・批評)。
■2020年9月1日読了。
■採点 ★★★★☆。
僕はいま
風の中誰か遠く人の声を聞く
どこかわからない
でもここが僕の場所
風が吹いても
動かない
かすかな窪地
(加藤典洋「僕の本質」/『大きな字で書くこと』2019年11月19日・岩波書店)
これは単なる選評である。数多存在する文学賞の選評についての、当事者はともかく、論評するものがいるだろうか?
無論、いないだろう。ここで試みようとするのは、選評としての可否を問うものではなくて、注目すべき批評の表れが、たまたま「選評」として表れていたに過ぎない。
例えば、こうだ。
ある作品が、先行するベストセラー作品をなぞりすぎていることを指してこう述べる。
「おい、目を覚ませ、もう真昼だ。」(『太宰治賞2011』p.13)
あるいは、別の作品について、こう述べる。
「最終的にこれを推さなかったのは、小説にはもう少し、作者一人の秘密の糸のような声が一本、まじっているはずだろう、という気がしたからである。(中略)感動的な歌はえてして、音楽的に、浅かったりする。水が易々と流れていく川があり、うなされもせずにすやすやと眠る子供がいる。私はそこを立ち去るのだが、その時、後ろ髪をひくものが、足りないのだった。」(『太宰治賞2011』p.13)
さらに言えば、これは詩的表現ですらないかもしれぬが、選評としてこれはありなのか、という意味で上げておく。
「今回、選考をしていたら、庭を猫が横切った。ねずみやナスの「訪れ」をめぐる話をしているときだったので、誰かの使いのように思われた。」(『太宰治賞2018』p.14)
例えば、以上のような次第である。
さて、話はそれる。
これは別稿でも論じたが、評論家の三浦雅士は、かつて知る人ぞ知る、80年代のニューアカデミズムムーヴメントを準備した辣腕の編集者であった。三浦は70年代前半は詩誌(厳密に言うと「詩と批評」誌)『ユリイカ』の、そして後半は思想誌『現代思想』の編集長として、その斬新な編集方針で、その名を高らしめたのだが、もう一つ際立ったことは毎回の刊行誌の巻末に掲載されていた「編集後記」である。単なる雑文ではないのである。ほとんど散文詩ではないかと思われるものだった。
ある対象を批評するということは、その対象に対して距離を取ることである。しかし、距離を取れば取るほどその対象との乖離が生じ、俯瞰的な画像、全体像は得られるやも知れぬが、結局何なのか、あるいはその対象にとっての「即事的」な「実感」=「実観」=「実貫」は喪われるばかりである。
三浦が「詩と批評」誌に出自しているのはまさにこの事態を適確に予告するものであった。
三浦は事務的な「編集後記」であるべきところを能う限り「批評的=詩的」であろうとした。ここに一つの批評の形が花開いている。
加藤は恐らく、三浦などの、いわゆる「柄谷派」には批判的な態度をとってきた。
しかしながら、ある批評的な純度を高めるとある傾向を持った批評家たちは詩の言葉で批評を語るようになる。奇妙な符合ではあるが、まさにそうとしか言いようがない。それは文学的な感興から文筆活動を始めた者たちのある種の運命なのか。
結果的に言えば、加藤は、その批評人生の最後を詩で閉じることになった。生前の最後の著書はライフワークとも云える戦後論の白眉『9条入門』(2019年・創元社)であった。しかし死後の刊行も含めて最後の著書は非売品ながら、詩集『詩のようなもの――僕の一〇〇〇と一つの夜』(2019年・私家版)であった。
以て瞑すべきか。
※今回たまたま古書店で入手できた2018年度版と2011年度版について論じたが、2009年度以降のものは筑摩書房のHPで読むことができる。他日を期す。
🐧
2020/09/02 15:52


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