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2021年4月3日土曜日

これは第二の「FA宣言」である    柄谷行人『ニュー・アソシエーショニスト宣言』

  

 

民衆の意思はどこにあるのか?

 

 
 

新たなる政治言説空間へ③  

 
 

 
 

イソノミアあるいは 

世界共和国の方へ 

――柄谷行人『イソノミアと哲学の起源』 

を読む、あるいはNAMに関する再考察 

《補説》* 

*本論は後日UPします(多分?)。 

 これは第二の「FA宣言」である 

柄谷行人『ニュー・アソシエーショニスト宣言』 


 
 

🖊ここがPOINTS! 

① NAMとは一体なんだったのか? 

②   NAMはなぜ解散したのか? 

③   本書は読者に、新たな運動を独自で行うことを暗に呼びかけている。 


 


 

柄谷行人『ニュー・アソシエーショニスト宣言』2021210日・作品社 

2,400円(税別) 

インタヴュー・講演・スピーチ・短篇論文など(現代社会・現代思想)。 

装丁 小川惟久 

293ページ。 

目次 

序文 

<Ⅰ> NAM(ニュー・アソシエーショニスト運動)再考 

1 NAMの開始と解散 

2 一九九〇年代の動向 

3 生産過程から流通過程へ 

4 アナーキズムとマルクス主義 

5 NAM再考 

  

<Ⅱ> さまざまなるアソシエーション 

1 協同組合とアソシエーション 

1…社会主義と協同組合の関連について 

2…国家(略取=再配分)認識の刷新 

3…地域通貨と中間勢力について 

4…神の国について 

5…超自我・非戦の決意について 

2 アソシエーションとデモ 

序文 

1…日本人はなぜデモをしないのか 

2…二重のアセンブリ 

3…デモの始まり 

4…学生運動とは何か 

  

付録 

NAMの原理 

A…序論 

B…NAMのプログラム 

C…NAMの組織原則 

D…プログラム解説 

[付]海外版への序文 

NAM結成のために 

FA宣言 

  

あとがき 

  

*目次はウェブサイト「Karatani-b」より引用 

 

2021328日読了。 

採点 ★★★☆☆。 

  

  

  

 これは第二の「FA宣言」なのか? 

 

 結論から先に言うと、そういうことになる。 

 

1 そもそもNAMとは何だったのか? 

 

 ことの発端から始めてみよう。  

 思想家・柄谷行人の領導において、2000年に結成された社会運動組織に「NAMナムNew Asociationist Movement」というものがあった。少なからぬ文学者やアーティスト、知識人を集め、最盛期には700名もの会員を集めたものの、2002年には実質解散に至った。 

 外部から見ると、一体何が起きているのかさっぱり分からない、という有様ではあった。 

  

 さて、このNAMを開始するに当たって、創設者の柄谷が考えていたことはおよそこういうことだろう。 

 

 マルクスの言葉を引いて次のように述べている。 

 

《もし連合した協同組合組織諸団体(united co-operative societies)が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、〝可能なる〟共産主義以外の何であろう》(『フランスの内乱』一八七一年)。ここでマルクスがいうコミュニズムとは、アソシエーショニズムのことである。つまり生産者‐消費者協同組合のグローバルなアソシエーションによって、資本と国家を揚棄することである。(柄谷行人「序言」/柄谷行人編著『可能なるコミュニズム』2000年・太田出版・p.9) 

 


 


 通常、「association=アソシエイション」は、辞書的には次のような意味となる。 

 

  【名】 

  1. つながり、関連(性)、連関、連想(性) 

  1. 協会組合 

  1. 提携、同盟、合同、連合 

  1. 交際、付き合い、交友関係          

               (下線・赤字変換引用者。ウェブサイト『英辞郎 on the web』(アルク)associationの意味・使い方・読み方|英辞郎 on the WEB (alc.co.jp) 

 

 

 この文脈では「協会、組合、同盟、連合」ということになるだろう。社会思想的には「連合」となる。したがって通常「アソシエイショニズム」は「連合主義」と訳される(本書・p.259)。ということは「アソシイショニスト」は「連合主義者」となるが、問題は何を「連合」するのか、ということになる。そこで「組合」という訳語が浮かび上がってくる。となれば「組合の連合」ということか。 

 以上のような次第で、「生産者‐消費者協同組合のグローバルなアソシエーション」すなわち、「生産者‐消費者協同組合の世界的な連合体」を作り、それをして国家と資本制経済に取って代わらしむべきだ、ということになろう。 

 

 では「協同組合」とは何か?    柄谷は本書において次のように述べている。 

 

彼(マルクス。引用者註)は『資本論』の中で、協同組合を高く評価しています。たとえば、株式会社は資本の消極的揚棄であるのに対して、協同組合は資本の積極的揚棄であると書いているのです。/実際、マルクスの考えた社会主義は、生産=消費協同組合を基礎に置いています。すなわち労働者のアソシエーションによる生産が社会主義です。そこでは、労働する者が同時に経営者です。生産協同組合によってのみ、労働力商品(賃労働)が揚棄される。(中略)協同組合では、全員が経営者=労働者なのです。/実は、株式会社と生産協同組合は類似しています。違いは、前者では、持ち株による多数決支配であるのに、後者では、持ち株の多寡にかかわらず、一人一票だということです(ロッジデール原則)。だから、現在の株式会社は、商法を変えれば、簡単に生産協同組合に変えられます。(本書・p.75) 

 

 

 ということは、協同組合はすでにある(とする)*。問題はそれを如何にしてアソシエイト=連合するか、ということなのか。 

 

*ご存じのように、生産者側、消費者側問わず「協同組合」は日本に限らず、世界中に無数に見られる。では、なぜ社会は変わらないのか(いや、実は変わっているのだろうか?)、なぜ社会は変わっていかないのか、本当はこの問題に答えねばならないのだ。 

 一つには資本制経済の中で生き残っていくためには、それに対抗するためには資本制システムと同じような行動パターンを取る必要がある。その帰結として「協同組合」を名乗りながら、ほとんど資本制経済下の企業群に埋没してしまった。二つ目には、何故にそうなるかと言えば、一言で言えば「哲学」、「原理」が欠けていたからに他ならない。資本制社会の抜本的な転覆などではなく、とりあえず自らが生き残ることだけを考えればそうなるのは当然の帰結であって、したがってNAMが解散したのは、それと全く逆のことが生じたと考えれば得心もいくだろう。納得できたからと言ってどうなるわけでもないが。 

 

 ところが、そうは簡単にいかなかったのだ。なぜか? 

 

2 NAMはなぜ解散したのか? 

  

 要は、こういうことかとは思うが、柄谷が構想していた「NAMNew Asociationist Movement」は、既に存在していたであろう、あるいはこれから誕生するであろう、大小のアソシエイションの連携を取り合う、あるいは連合する「場」、という意味ではなかったのか*。 

 

*揚げ足を取るようではあるが、その意味では「New Asociationist Movement」ではなくて「New Asociationist s Movement」であるべきではなかったのか。 

 

 ところが、ほとんどの多くの会員たちは、言うなれば思想家・評論家としての柄谷の「ファン」、あるいは読者であって、NAMはある種の「柄谷ファンクラブ」、あるいは、そのとき同時に刊行されていた批評誌『批評空間』のオフ会のような捉え方がされていたのではないだろうか。無論、「その種」の会員たちは、誰も社会運動を自ら起こすものはなく、理論的な議論に終始してしまった。当然地道に組合活動などをしていた活動家たちの心は離れていく。 

 

 

 柄谷は、この件について別のところで次のように述べている。 

  

(「NAM原理」が)今新しく見えるというのは、逆に言うと、発表された時点では、ほとんど理解されていなかったということです。そのことは、当時からわかっていました。NAMを二年で解散したのは、具体的にはいくつか理由はありますが、むしろ根本はそのためだった。(柄谷行人ロングインタビュー「今を生き抜くために、アソシエーションを――『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社)刊行を機に」/『週刊 読書人』2021年3月19日号・読書人) 

  

 要するにNAMは早すぎた、ということである。 

 

 具体的な人間関係の軋轢あつれきや組織運営上の様々な問題点はここでは、あえて触れない。偶々たまたま時を同じくして、NAMの関係者によって浩瀚な記録と総括が刊行されている。そちらを参照してもらいたい(吉永剛志『NAM総括――運動の未来のために』2001年・航思社)。



 

 

 3  では、これからどうすればよいのか? 

 

  さて、ではどうすればいいのか? 

 

 20年前と比べても、国家と資本制の軛くびきは強まることはあっても決して弱まることを知らない。さらには世界的な新型コロナ・ウィルスの蔓延によって、国政も、地方自治体も混乱の極みにあり、感染者、感染死亡者とともに、経営が立ち行かなくなった中小の会社や、何らかの形で仕事を奪われた労働者も増加しているであろう。また未来の後続者の立場で考えれば、地球環境問題の対策をも喫緊の課題である。まさに気が遠くなるばかりなのだ。 

 そんな、いまこそNAMの理念(「倫理的−経済的な運動」*)が生かされるときである。 

 

*巻末「NAMの原理」参照。 

 

 柄谷はこう述べている。 

 

NAMは解散したが、アソシエーションの運動が終わったわけではないということです。(本書・p.100) 

 

 

 さて、以上のような流れの中で、今年2021年に入って本書が刊行された。それも『ニュー・アソシエーショニスト宣言』ということなのだから、これは、いよいよNAM再結成か、あるいはそこまでいかなくても柄谷個人としての「ニュー・アソシエーショニスト」としての活動を開始する*という宣言なのかと思った。 

 

*柄谷はNAM解散後も細々とした形ではあるが、一人の思想家として、できうる限りの社会運動を継続している。一つは2011年に発生した福島第一原子力(核)発電所事故をきっかけに結成された「associations.jp」(通称アジャパー)であり、そこを通じてデモに参加している。また柄谷が住んでいる八王子の地域で「長池講義」という勉強会を開催していた。 

 

 

 もともとこれは『社会運動』*という雑誌に連載された「NAM再考」というインタヴューの連載**「NAM再考」がもとになっている。もともとの書題も「NAM再考」になるはずであった。 



 

* 生活クラブ生活協同組合グループ全体のシンクタンクである市民セクター政策機構が編集して、インスクリプトから隔月で発刊されていた。 

 

**インタヴュワーは2014年9月から15年3月まで高瀬幸途、15年5月、7月が加藤好一。 

 

 ところが一読してみると、具体的な何らかの運動をこれから開始する「宣言」*というよりは、確かに未来の展望はなされているものの、やはり過去の運動であるNAMの、よって来る理論的な由来と実際の運動の回顧が大半であった。 

 

*この「宣言」には「Manifest」が当てられている。つまり

「 New Asociationist Movement」ならぬ「New Asociationist Manifest 」となり、約つづめると「NAM」になるわけだが(表紙のデザインを見ると一目瞭然であるが)、言うまでもなく、この「Manifest マニフェスト」はひところ流行った「選挙公約」のことではなくて、 Manifest der Kommunistischen Partei 英訳すれば Manifest of the Communist Party すなわち『共産党宣言』(『共産主義者宣言』)の「宣言 Manifest」なのだ。因みに柄谷はこの『共産党宣言』が金塚 貞文の翻訳によって『共産主義者宣言』(1993年・太田出版/2012年・平凡社ライブラリー)として出版される際に「なぜ『共産主義者宣言』か」という解説を寄せている 

 


 

 「付録」として、かつてNAMを結成する際に起草された「NAN原理」や2000年6月に行われた「NAM結成総会」でのあいさつ「NAMの結成のために」、そして事実上のNAM解散宣言である「FA宣言」などが収録されているのは、単なる歴史的遺産として、ということなのか? 

 

4 本書は第二の「FA宣言」ではないのか? 

 

  さて、そこで本稿の冒頭に戻る。 

 

 本書は「第二の「FA宣言」ではないのか」ということについてであった。 

 「FA宣言」は言うなれば、結成者・柄谷によるNAMの解散宣言に他ならない。「解散の宣言」が何故に「FA宣言」なのか。 

 「FA」 とは、一般的には「プロスポーツ、特にプロ野球で、所属球団から選手契約を無条件で解除された選手。自由契約選手。」(『デジタル大辞泉』小学館)のことである。 

 野球が好きな(関係ないか?)柄谷行人はこのFAという言葉にひっかけて、次のように述べている。 

 

NAMを一度解散し、会員が自由な個人free agent*として、改めてアソシエーションを形成することから始めるほかはないそうして、さまざまなプロジェクトや地域運動がそれぞれアソシエーションとして成長したのちにその必要があれば、あらためて「アソシエーションのアソシエーション」としてのNAMを結成すればいい。(柄谷「FA宣言」/本書・p.282) 

 

* free agent 、つまりFAである。引用者註。 

 

 その後、NAM解散後の受け皿として緩やかな連絡会議「Free Associations」*が作られたようだが、現在休眠状態にある。 

 

*つまり「FA」である。これらに加えてFAには「自由連想」の意味も含められている。本書p.283。 

 

 つまり、2003年の解散時には、言い方は悪いが、とりあえず、みんな勝手にやろう、ということになったわけだ。 

 

 そこで、本書のタイトルの問題に戻る。 

 元々は連載時と同様に「NAM再考」という題だった。誤解を招かないためにも、内容的にもそれが妥当であろう。 

 しかし、担当編集者の内田眞人氏から次のように提案されたという。 

 

昨年秋、作品社で出版することに決まったあと、内田氏から「ニュー・アソシエ―ショニスト宣言」にしてはどうかという提案があった。過去の検討ではなく、未来に向かうことを強調したいということであった。私も同感であった。というよりむしろ、未来のほうがこちらに向かってくる、と感じている。(柄谷「あとがき」/本書・p.292) 

 

 

 

 「未来に向かう」、……確かにそうかも知れない。いつまでも過去にこだわっていても仕方がない。 

 しかし、われわれ労働者=消費者、すなわち、Free Agents=Free Associationsとしては、来たるべき、すなわち本来あるべき「未来」を招来すべきなのではないか? 

 

 したがって、われわれは柄谷行人はおろかNAMの原理すらにも、参照することはあるにせよ、決して頼り切ることなく、まずもってわれわれ自身の力で新たなる未来社会を構想し、それに向かって行動*を始めることが重要かつ緊急の課題であろう。 

 

*問題は何を、いかにして、始めるか、だが、無論、それについては本書にはヒントめいたことしか書かれていない。例えば「デモ」をするとかか。 

  

 つまり、今回の「ニュー・アソシエーシニスト宣言」とは、再度われわれに向けられた「FA宣言」であると言える。 

 

 

『NAM原理』原本(2001年・太田出版)

【資料】「NAMの原理」 

B……NAMのプログラム 

 われわれが開始するNew Associationist Movement(NAM)は、一九世紀以来の社会主義的運動総体の歴史的経験の検証にもとづいている。そのプログラムは、極めて簡単で、次の五条に要約される。これらに関して合意があれば、それ以後の活動はすべて、各個人の創意工夫に負う。 
(1) 

 NAMは、倫理的−経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。 
(2) 

 NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。それはトランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動である。それは資本制経済の内側と外側でなされる。もちろん、資本制経済の外部に立つことはできない。ゆえに、外側とは、非資本制的な生産と消費のアソシエーションを組織するということ、内側とは、資本への対抗の場を、流通(消費)過程におくということを意味する。 
(3) 

 NAMは 「非暴力的」 である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜなら、NAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制貨幣経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄であるから。 
(4) 

 NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。 
(5) 

 NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戟が不可欠である。(本書・p.p.221-222) 

 

【付記】 

 本書のあとがきには2つの「弔辞」が掲載されている。一つは太田出版で蔭に陽に柄谷やNAM、『批評空間』を支え、もともと本書の母体となるインタヴューを準備した高瀬幸途へのもの。高瀬氏は本書を単行本として刊行する準備の途上で帰らぬ人となった。 

 もう一つは、柄谷らが作った批評空間社・社長、編集者の内藤裕治へのものである。 

 柄谷が自身の書物を刊行する際に、出版社ではなく、編集者との関係を大切にすることはよく知られているが、この二人ほど柄谷を支えた編集者はいなかったであろう。それが、あろうことか、まだ少壮と言える年齢で旅立つとは。柄谷の無念にも似た思いはこの「弔辞」から窺うことができる。 

 とりわけ内藤裕治がもし2002年の段階で亡くなっていなかったら、あるいは日本の、いや世界の社会運動、現代思想の歴史は変わっていたかも知れない。少なくとも、NAMが解散されたとしても『批評空間』は続いていただろう。ということは、運動としてのNAMは続いていたことになる。なんとなれば『批評空間』はNAMのプロジェクトの一つだったからだ。 

 いずれにしても、今となっては致し方のないことである。 

 

 以て、高瀬幸途氏と内藤裕治氏、お二人の御冥福を心よりお祈りする次第である。 

 

 

 

🖊7,551字(四百字詰め原稿用紙換算19枚) 

🦢 

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