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2021年3月25日木曜日

関係者の手でなされた大変な力作    吉永剛志『NAM総括』

 📚読書ノウト📚  🌀柄谷行人を読む🌀 

  

関係者の手でなされた大変な力作 

吉永剛志『NAM総括』 

  


吉永剛志よしなが・たけしNAM総括――運動の未来のために』 2021年2月21日・航思社。 

3600円(税別) 

長篇評論(社会運動・現代史・現代思想)。 

装幀 前田晃伸 

398ページ。 

  

2021325日読了。 

採点 ★★★☆☆。 

  

🖊ここがPOINTS 

①一世を風靡したNAM関係者による結成から解散に至る、力作と言える考察。 

いささか長過ぎるのが難点。柄谷行人へのインタヴューも欲しかった。 

その柄谷のNAM関係の新著と刊行がほぼ同時期だったのは意味がある。 

  

 1 まさに力作 

  

 思想家の柄谷行人の領導において、2000年に結成され、その3年後にはあっけなく解体した社会運動組織「NAMNew Asociationist Movement」の結成からその解散までの3年間を、実際に内部にいた関係者の手によって「総括」する、まさに力作*、と言ってよい。 

  

*あるいは、いささか力が入り過ぎたかも知れないが……。


 

 
吉永剛志(よしなが・たけし)氏。1969年生まれ。

 

「使い捨て時代を考える会/安全農産供給センター」事務局。

 


 

元NAM関心系LETS連絡責任者、センター評議会実務案件議事進行。

 



  

 要は、何故に、かくも、もろくも解散に至ったのか、そもそもNAMなる運動は間違っていたのか、という点に尽きるかと思う。 

  

 一読した感想としては、必ずしもNAM、という運動の方向性が間違っていたとは思えないが、これは当然理由のあることではあるが、「組織」として成立し得ていなかったとか、人間関係の様々な軋轢とか、言葉で言えば実に他愛もない理由になるが、そういうことだったのであろう* 

  

*NAM創設者である柄谷行人本人は、NAM、あるいは「NAM原理」について次のように述べている。 

  

(「NAM原理」が)今新しく見えるというのは、逆に言うと、発表された時点では、ほとんど理解されていなかったということです。そのことは、当時からわかっていました。NAMを二年で解散したのは、具体的にはいくつか理由はありますが、むしろ根本はそのためだった。(柄谷行人ロングインタビュー「今を生き抜くために、アソシエーションを――『ニュー・アソシエ―ショニスト宣言』(作品社)刊行を機に」/『週刊 読書人』2021年3月19日号・読書人) 

  

 要するに早すぎた、ということである。 

  

 実際のNAMの現場のことは分からないが、理論的な「上層部」(?)と、それとは別に黙々と組合運動などを続けていた人たちとでも、全く考え方も行動パターンも違っていただろう。 

 筆者はその具体的な事実を内部の視点から歴史的に振り返ってみる。そのサブタイトルが「運動の未来のために」とあるように今後の「(社会)運動」の 活動に資すること大なり、と言えるであろう* 

  

 

*一般の部外者からすれば、ここは「未来の社会のために」と言ってもらいたいところだが。
 

  

 2 いくつか注文を 

  

 そこで失礼ながら、いくつか注文を付けておくとしよう。 

 

 ①一言で言うと長い。言いたいことがたくさんあるのは理解するが、一般向けにはもう少し内容を圧縮してもよかった 

 ②「補論『トランスクリティーク』、その実践への転形」は本書の理論的な骨格をなす部分である。「補論」、というよりも「結論」にあたる重要な章である。二段組でフォントも小さくなっているが、本論と同じ扱いにすべきである 

 ③これは今後の課題であるが、できれば様々な立場の、多くの参加者(離脱者も含めて)のインタヴューなり対話、座談のようなものが挟まれているとなおよかった。せめて柄谷本人へのインタヴューが収録されているとさらに良かった。画竜点睛を欠く、とまで言う気はないが。 

  

 3 NAMあっての『批評空間』 

  

 以下は蛇足である。 

  

 個人的な思い出を語るとすれば、『批評空間』の終刊、及び株式会社批評空間社の解散には心底驚いたが、正直、NAMの解散についてはさもありなん、という感想を持った気がする。


『批評空間』終刊号


 

 要は、批評家柄谷行人の固定的な読者ではあったけれども、必ずしも社会運動にさほど興味があったわけでもなく、これは一体何のことだろう、と様子を見計らっている間にあっけなく崩壊してしまったわけである。 

 その当時の感想をそのまま書けば、NAMと批評空間は別なのだから、独立して『批評空間』を継続すればいいのに、という思いであった。 

 しかしながら、『批評空間』は批評家が自らの活動の場として確保するといったようなものではなく、少なくとも、柄谷の中では、あくまでも社会運動体NAMのなかでこそ意味を成しえたのだろう。この点は今後、『批評空間』を論ずる際に大変重要な側面だと思う。 

  

 4 そろそろ怒るときではないのか? 

  

 さて、ところがあれから20年が経ち、日本も含めて世界は大変な状況に置かれている。世間を見てみると「資本主義」や現在の労働の有り様などはとうに雲散霧消して「新しい社会」が到来するような書籍が書店に溢れている。 

 しかしながら、一向にそれが実現する気配は毛筋ほどもなく、われわれは、ますます息をするのも苦しい社会に生きざるを得ない状況だ。それもますます悪化していくばかりだ。 

 そろそろ、われわれは怒りを露わにすべきではないのか? 

  

  コロナ禍において仕事や生活が追い込まれていくなかで、政権党は手を拱こまねいているばかりか、様々な失政も目にされる今日、柄谷行人の『ニュー・アソシエ―ショニスト宣言』(2021年・作品社)の刊行と軌を一にして本書が刊行されたのは、まさに「意味のある偶然」というべきであろう。 


  

 本書も含めて柄谷の新著については、さらに別稿にて考察の機会を持ちたい。 

  

 2245字(400字詰め原稿用紙換算6枚) 

  

🕊 

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