目次
2 思想としての批評(承前)
「村上春樹とこの時代の倫理」は文芸誌『海』1981年11月号(中央公論社)に掲載された後、単著『主体の変容』に収録されるとともに、他にも複数の村上春樹論集にも収録されたもので、初期の村上春樹論を代表するもので、内外に長く影響を与えました。また、ただ単に、それだけではなく、1980年代初頭のテキスト論の嵐が吹き荒れていた際に、それに直角に切り込む角度を持っていたものでした。それは「倫理」という視角でした。
後に「W村上」と称せられもし、どういう訳か、その後、そんなことは誰も言わなくなったが、先にも触れたように村上龍を論じた『限りなく透明に近いブルー』文庫解説(1976年)と、本論考「村上春樹とこの時代の倫理」は、あたかも生まれも育ちも、顔も姿も性格も違うが、確かに双生児のようにわれわれの目の前に現れたのでした。
が、一旦、村上龍のことはさて措いて、この論考について検討してみましょう。
繰り返しになるが、1970年代後半から1980年代前半にかけて、日本ではニュー・アカデミズム・ブームが起きていました。その頂点が82年の浅田彰さんの『構造と力』なのだが、これは別の言い方をすれば、フランスの思想家ジャン・フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』(1979年/小林康夫訳・1986年・水声社)を代表とするポスト・モダン思想であり、あるいはフランスの批評家ロラン・バルトの『作者の死』(1967年/花輪光訳『物語の構造分析』1979年・みすず書房)、蓮實重彦さんの『表層批評宣言』(1979年・筑摩書房)などに代表されるような「テクスト論」である。
いずれも主体(性)の消滅を含意していました。
リオタールの『ポストモダンの条件』は文字通り、「モダン」=「近代/現代」におけるマルクス主義、共産主義などの大文字の物語、つまり簡単に言えば皆が乗っかれる乗り物が終焉し、無根拠な小さな物語たちが無差別に散乱している状況こそ「ポストモダン」=「超近現代」=「近代の超克?」の条件なのだとしました。
また、バルトは事前の作者の意図による読解を否定します。作品は作者の意図を離れて、様々な読解を許容していると述べたのです。「作者の死」の所以です。
あるいは「歴史の終焉」を説いた日系アメリカ人研究者フランシス・フクヤマの『歴史の終焉』(1992年/『歴史の終わり』上下・渡部昇一訳・1992年・三笠書房)を挙げるべきでしょうか。1989年ベルリンの壁崩壊を始めとした共産主義勢力の崩壊、凋落によって、「歴史」は終わったのだとします。何となれば、イデオロギーの対立、抗争によってしか歴史は発展、進歩しないからです。となれば、われわれは今や歴史のない、あたかも武器を凍結した江戸時代の日本人のように平和な、何事も生じない、いささか、間延びした悠久の未来を生きることになると述べたのでした。
このような状況下では、大きな倫理は、当然その権利を失効してしまいます。極端な言い方をすれば、要は、人は何をやっても構わないのです。人々がそれぞれに行っていることの是非を判定する「倫理」がないのですから。
同じことは文学の状況でも見られました。
先にも挙げた村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』をその嚆矢とすべきだが、例えば、田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』(1981年・河出書房新社)、あるいは本項で取り上げる村上春樹さんの『風の歌を聞け』(1979年・講談社)、『1973年のピンボール』(1980年・講談社)などだが、要は都会に軽やかに生きる若者たちの、快適な生活と日常が描かれます。彼らは、あたかも高度経済成長による日本経済の遺産を食いつぶすかのように額に汗もかかず、まなじりを上げることもせず、都市空間を軽やかに生きます。日常のちょっとしたこと、朝起きるとプリ・セットされたFMからAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック、何じゃそりゃ? 大人向けのロックということです)が流れてくる。机ではなく、ライティング・デスクでちょっとしたメモを取る、青山に新しくできた少し気取ったカフェ・バーでアーリオ・オーリオを食べてみる。そういうちょっとしたことが何となく輝いて見える、つまり「なんとなく、クリスタル」という訳なのだが、それは村上春樹さんでも状況は似ています。そもそも村上春樹さんは専業の作家生活に入る前は国分寺や千駄ヶ谷でジャズ・バーを経営していたぐらいなのですから。
村上春樹さんの最初の長篇小説、――実際には中篇小説と言ったところだろうが、そこには、作中の架空の作家デレク・ハートフィールドの作品名として「気分が良くて何が悪い」というテーゼが出てきます。
あるいは、それらは、村上さんのエッセイ集『ランゲルハンス島の午後』(1986年・光文社)に最初に出てきて、アジア、とりわけ中国語圏に瞬く間に拡散して流行語にもなった「小確幸」、すなわち「小さいけれど、確かな幸せ」という或る意味では既にステイトメント、つまり宣言にすらなっている気がします。確か、一通りの家事は熟こなせて、アイロン掛けが得意な村上さんはそこで、箪笥の中に下着がきれいに畳まれて並んでいることに「小確幸」を感じると書いていた(はずです)。
かつてフランスの哲学者・作家ジャン=ポール・サルトルは「飢えた子供を前にして文学は何ができるのか」とかなんとか言ったらしいが、そんなことは今やどこ吹く風と言った有様です。
作家が自らの主体性を失くし、生活に耽溺する。確かにそこに当時の若者たちは、あるいは今も変わらず、快楽を感じたのです。
しかし、それは単に快適だ、スタイリッシュだ、クールだ、というだけなのでしょうか。はたまた、それは自分の利益しか考えられない「ジコチュー」、「自己中心的」な考え方だけから来ているのでしょうか。
彼らは、70年代後半以降誕生した作家たちや、あるいはそのサポーターたる読者たち、彼らは、一見、主体(性)を喪失しているかのように見られます。
問題は、果たして本当にそうだったのか、そうなのか、ということになります。
そして、それは別の言葉で言えば、広く社会正義なども含めて、「倫理感」、「倫理感覚」、あるいは「倫理意識」、どう言ってもよいが、「倫理」というものが社会全体から欠損しかけていることの証左ではないのでしょうか。
三浦雅士の「村上春樹とこの時代の倫理」はこのような状況において、その鋭い切っ先を刻み込んだと言えます。
まず、「自分は他者の心を正確に摑むことができないのではないか」*、この問い掛けから始まります。多くの現代人のみならず、多くの現代小説がこの問いを巡っていることを述べ、実はこの問いは「自分は自分自身の心を正確に把握していないのではないかというより根底的な問いの一つ」*であって、これを突き詰めて考えていくと「ほとんど絶対的な次元へと移行」**していく。すなわち「他者の心を正確に摑むことなど決してできないという絶望的な答え」**に辿りつく。さらにはその「他者」は「絶対的他者」へと変貌する。「他者の心に達することができないという絶対的な苦悩は、絶対的な他者の心に達することができないという苦悩に接している。」***「絶対的な他者」とは「神であっても、宇宙の根本法則であっても、また人類の運命であってもよい。」***
* 三浦「村上春樹とこの時代の倫理」/『主体の変容』p.181。
** 三浦「村上春樹とこの時代の倫理」/『主体の変容』p.182。
*** 三浦「村上春樹とこの時代の倫理」/『主体の変容』p.183。
もし、これがそうだとすると、われわれはどうなるでしょうか。あるいはどうするのでしょうか。他者のことも、自分自身のことも、あるいは神との接触も絶たれているのです。
それでも神的な絶対者への探究、体験、実践を重ねた一群の人々
もいたことでしょう。
しかし、それ以外の大半の人々は、自分という島を繁栄させるだけの架橋は残したものの、多くの島に続く橋を多かれ少なかれ焼き払ったのではなかったか。
三浦さんはこの論考では、村上春樹さんの最初の長篇小説『風の歌を聞け』を中心にこの問題について展開しています。
この村上さんの最初の作品には、一読しただけでは容易に読み解くことが難しい、いわゆる若書きとは考えられないほどいくつかの伏線や、相当考え抜かれた(と思われる)構成を取っています。そして、にも関わらず、あるいは、それ故に、いわゆる急所、――作者村上さんが意識的には気づいていない作品のほつれ、したがって作品が本来要求している主題(を暗示しているところ)にあたるところは数か所あります*。
*ここでは詳細を論じないが、後の村上の長篇小説『ノルウェイの森』作中人物・直子を想起させる、半年前に自殺した彼女の書き込み。ラジオのディスク・ジョッキーで紹介される難病で寝たきりの少女の挿話など。
が、とりわけ重要なのが、唐突に差し挟まれ、二度と作中では言及されることのない、主人公「僕」の少年時代の回想です。本文中では彼は「ひどく無口な少年だった」と独白します。しかし、要は軽い失語症か、三浦さんの言うように自閉症だったと言っているのだが、問題はそこにはありません。三浦さんの要約はポイントをついているが、あっさりしているので、一旦村上さんの原作に戻り、かつ三浦さんの所論としばらく外れることになります。ご了解ください。
*
主人公は「小さい頃、僕はひどく無口な少年だった」といいます。それを心配した両親は「知り合いの精神科医の家に連れていった」。「自閉症」云々という記述は本文には存在しないが、要するに自らの意思を他者に伝えることができないわけだから、「自閉症」の一種と考えて、さほど間違いではありません。
その精神科医は卓抜な比喩を用いて、話すことの重要性を主人公に伝えようとします。――山羊はやたらと重く、なおかつ壊れて動かなくなった時計を首から下げていました。そこで友人である兎がとても軽く、正確に動く新しい時計をプレゼントして、山羊はそれをとても喜び、首から下げて皆に見せて回ったといいます。そこで精神科医は次のように述べます。
「君が山羊、僕が兎、時計は君の心さ」
僕は騙されたような気分のまま、仕方なく肯いた。
(村上春樹『風の歌を聴け』p.31)
コラム~「鼠」とは何か?~
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~「鼠」とは何か?~
主人公「僕」の相方、「鼠」の自死は直接的には長篇小説第三作『羊をめぐる冒険』においてだが、仮に加藤典洋さんの言うように既に第一作で「鼠」が自死を遂げていたとすると、当然のことながら、主人公「僕」は「亡霊」とずっと「対話」してきたことになるが、実際には、第一作を除き、ほとんど「対話していない」。語り掛けか、同時並列的に物語が進行しているだけです。 これは別に加藤さんの「鼠」=亡霊説を退ける訳ではないが、かのウォルト・ディズニーは不遇時代に物置を走り回っている鼠からミッキーマウスの原型を着想したとされるが、村上さんの「鼠」も実は鼠なのではないでしょうか。「僕」は鼠と対話をしているのです。無論、鼠は本も読まないし、日本語で話すこともない。だから、「僕」の自問自答、想像、あるいは極端に言うと妄想です。となれば、「鼠」が実際の鼠でも、死んだ友人の亡霊でも大した違いはないが、『風の歌を聞け』を一貫して「僕」が本物の鼠と話しているところを想起すると、かなり「行ってしまった人」の話になるが、そういう可能性をも秘めた物語である気が、少なくともわたしには、します。 📓
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別の治療の機会にその精神科医は次のように述べます。
文明とは伝達である、と彼は言った。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。
(村上春樹『風の歌を聴け』p.33)
そして、
医者の言ったことは正しい。文明とは伝達である。表現し、伝達すべきことが失くなった時、文明は終わる。パチン……OFF。
(村上春樹『風の歌を聴け』p.35)
以上のように、ある意味では悲惨ともいうべき体験が軽やかな文体で語られ、その「悲惨」さとでもいうべき意味を脱色しています。
問題はここにあります。
村上春樹さんの作品には多くの自殺者が登場することで知られています。例えば、この『風の歌を聴け』を始めとする初期3部作は主人公の相方として「鼠」なる人物が登場するため、「鼠3部作」とも言われるが、3作目『羊をめぐる冒険』において、鼠は自殺しているが、加藤典洋さんの指摘*によれば、既に1作目の『風の歌を聴け』の段階で鼠は自殺している、といいます。その当否は一旦
おくとしても、いずれにしても、言葉はよくないが、自殺者のオン・パレードと言っても過言ではありません。
*①加藤典洋「夏の十九日間――『風の歌を聴け』」/『國文學――解釈と教材の研究』1995年3月号/加藤『村上春樹の世界』2020年・講談社文芸文庫。②加藤編「第1章 消えてゆく者への眼差し――『風の歌を聴け』」/加藤編『村上春樹 イエローページ』1996年・荒地出版社。③加藤「Ⅰ 否定性と悲哀――『風の歌を聴け』の画期性」/加藤『村上春樹は、むずかしい』2015年・岩波新書。
もし先の精神科医の言が正しいとすれば、これらの自殺者たちは「表現し、伝達すべきことが失くなった」が故に自ら生命を絶ったということになります。言葉を変えれば「表現し、伝達すべきことが失くなった」ものは存在の価値がない、あるいは存在していない、ということになります。「パチン……OFF。」
この作品には主人公がしばしばラジオ番組を聴取していて、そのラジオ番組のDJも狂言回しのように、この作品のなかで重要な役割を果たしています。この「パチン……OFF。」
はそのラジオのスウィッチを切るという操作を思い起こさせるが、文脈上は主人公がその医者の言葉への拒否、拒絶の意思を表すために、あたかもラジオのスウィッチでも切るかのように心を遮断していることを表しています。
主人公の、あるいは作者の異和はどこにあるのでしょうか。
一言で言うのであれば、仮に重くて、壊れて動かなくてもその時計は彼の心そのもので、他のものと交換できない、もし交換してしまったらそれは自分ではなくなる、という至極単純な理由によります。
無論、精神病であれば、あるいは話は別かも知れません。治癒しなければ日常の生活を営むことも難しいのであれば、確かにそれは治療しなければならないかもしれません。しかし、それでも心の交換はできない、それは自己自身の死を意味するからです。
その意味では医者の言っていることは正しいです。
*
そして治療に通っていた主人公は突然しゃべり始め、三か月しゃべり続け、その挙句、三日間高熱を出して寝込み、そして普通の人間になったといいます。
彼は「治癒」したのでしょうか。あるいはそうかも知れません。小説としての見た目と同じように軽やかにジョークの応酬で対人関係を対処していっています。いくつかそのようなシーンが挿入されています。三浦さんの批評から要約部分も含めて引きます。
『風の歌を聞け』は40の断章から成立しています。引用の冒頭の「5」は「断章5」を意味します。「鼠」は先にも述べたが、主人公「僕」の相方のことです。
5では「鼠はおそろしく本を読まない」ということが語られている。鼠は「僕」に「何故本なんて読む?」と問いかける。それに対して「僕」は「何故ビールなんて飲む?」という問いで答える。最初の問いは相手の気持を探ろうとしているのだが、後の問いはその問いを遮断しようとしている。ありていに言えば、前者の問いが素直であるのに対して、後者の問いはひねくれている。それでもなお鼠は、本とビールとは違うと述べたうえで何故と問うのである。だが「僕」はその問いをうまくかわしてしまう。たまたま手にしていた本がフローベルであったという理由から、「フローベルがもう死んじまった人間だから」というのだ。死んだ人間に対しては大抵のことが許せそうな気がするが、生身の人間に対しては、
切羽詰まったら、許せなくなるかもしれなというのだ。ひとつの考え方ではあっても、 これは答えになっていない。だから鼠は「許せなかったらどうする?」と畳みかける。「僕」は「枕でも抱いて寝ちまうよ」と答える。
これもまた問いの矛先をかわしている。何もしないというに等しいからだ。何もしないということは、生身の人間を許せようが許せまいが大きな問題ではありえないということだ。すなわちそれは、本を読むこともビールを飲むことも大差ない、
いずれも大きな問題ではありえないのだからという考え方を示唆している。 いや、 そもそも大きな問題などありえないということを示唆しているといってよい。会話は「僕」
のそういう考え方を雰囲気的に伝えている。だが、 この論理は会話の表面からは隠されているために鼠には正確に伝わりようがない。結果的に「僕」は鼠を自分の内側に受け入れようとしていないことになってしまう。むろん「僕」は鼠を拒絶しているのではない。会話が持続していることからもそれは推察できる。したがってむしろ逆に、
「僕」は鼠を自分の内側に導き入れることができないのだというべきかもしれない。そしてそれは「僕」が、 執拗に何故と問いつづける鼠の内側の憔悴に結局は辿りつけないことに対応している。だが、おそらく「僕」にとっては、
鼠の憔悴に辿りつけようが辿りつけまいが大差はないのだ。「結局はみんな死ぬのだから。」
「不思議だね。俺にはよくわからない」と鼠は言う。鼠には「僕」がよくわからないのだ。
こうして、軽妙洒脱とでもいうべきこの会話は、互いにわかりあえないことの確認に終っている。しかも、会話のこの軽妙洒脱さは、人と人はわかりあうことができないというまさにそのことによってかもしだされているのだ。(三浦「村上春樹とこの時代の倫理」/『主体の変容』p.p.185-187。傍線引用者)
「問いを遮断」、「問いをうまくかわしてしまう」、問いに対して「答えになっていない」答えを答える、つまりは「自分の内側に受け入れようとしていない」いや、そうではなくて「「僕」は鼠を自分の内側に導き入れることができない」と三浦さんは言います。しかしそれは軽妙洒脱な会話の応酬です。しかし「会話のこの軽妙洒脱さは、人と人はわかりあうことができないというまさにそのことによってかもしだされているのだ。」
では、この表面的なコミュニケーションとは裏腹な根柢的な「遮断」/「コミュニケイション不全」は一体どこから来るのでしょうか。
これも有名な挿話だが、「僕」の彼女は知り合った、その翌年に命を絶っています。
34で、「知り合った翌年に自殺した女の子」と知り合ったのがじつは去年であることが明らかにされる。つまり、その女の子は、今年の春に自殺したのである。語られている今が夏であるから、それは半年に満たない過去である。普通ならば、恋人が自殺してから半年にもならないというべきところだろう。だが「僕」
は、その女の子は「知り合った翌年に自殺した」と語るのである。つまりここでは、半年前の体験がまるで幼年時代の体験のように語られているのだ。
村上春樹の手法の秘密がここで明らかになるといってよい。彼は、過去も現在もおしなべて遠い昔の出来事のように書きしるすのである。暗鬱な体験を軽快に描くことがそれによって可能になったのだ。それはすなわち距離の問題である。この、過去も現在も等距離に置こうとする姿勢は、他者の内面に決して踏み込もうとしない「僕」の姿勢に対応し、そしてまた、自分自身の内面に決して踏み込もうとしない「僕」の姿勢に対応している。「僕」は現在にありながら現在にいないのだ。彼は遠くを見る眼でいまを見ている。
「何故彼女か死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕は思う。」
彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだという「僕」の言葉は、そのまま「僕」自身にも向けられなければならない。「僕」のすることもまた自分自身に「わかっているのかどうかさえ怪しい」ことなのだ。「僕」は「僕」自身にさえ距離をとっているのである。(三浦「村上春樹とこの時代の倫理」/『主体の変容』p.196。傍線引用者)
しかしながら、ここで説明されているように「半年前の体験がまるで幼年時代の体験のように語られてい」たり、「過去も現在もおしなべて遠い昔の出来事のように書きしる」したりすることが、必ずしも、少年時代の「自閉症」体験や、半年前に彼女が何も言わず自殺したことが原因ではないということです。
そもそも実はここにこそ三浦さんの視線があるのは火を見るよりも明らかです。
コラム~春樹少年は「棄てられた」のか?~
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~春樹少年は「棄てられた」のか?~
小説家の語る思い出話をそのまま素直に信じる訳にはいかないが、2019年『文藝春秋』に発表され、翌年単行本として刊行された『猫を棄てる』*は村上少年の幼少期の思い出を語るとともに、長らく仲違いしていた亡父との和解が語られていると、大変評判になりました。
*村上春樹 絵・高妍『猫を棄てる――父親について語るとき』2020年・文藝春秋。 本書には台湾の若手イラストレイターの高妍(ガオ・イェン)さんが装画・挿画を寄せています。リアルな感じであると同時に色調がセピアカラーで、なんだか懐かしいような印象を持たせます。
【図 村上春樹『猫を棄てる』書影】 書中、10数枚に渡るカラー印刷の挿画が収録されているが、その中の1枚がカバーの装幀も使われています。このカバーの絵はよくよく考えるととても奇妙です。村上さんを思わせる一人の少年が段ボール箱に入って本を手にしながら、何か物思いにふけっている、というシーンなのだが、この文章の中にはそんなシーンは全くないのです。無論、この段ボール箱は例の猫を棄てるときに使用されたものを思わせます*。 *無論大きさが違う。だから全く同じということはありません。 どういうことでしょうか。 あたかも、村上少年が棄てられた猫の立場になってみようと段ボール箱に入ってみた、とも言える感じです。 そう考えると、このエッセイは「猫を棄てる」という題名になっているが、猫が「戻ってきた」ことよりも猫を「棄てた」ことに心の重しがかかっているわけで、そのことは、恐らく、猫を「棄て」ようとした父親に、あたかも村上自身も「棄てられようとした」、そういう、ある種の心の傷のようなものがここに表れているのです。 だから、村上さんは一旦は父親に「棄てられた」存在なのです。 そのことをこのカバーの装画は明瞭に表しています。 無論、この装画を描いたのは高妍さんだが、何枚かある絵のうちの、この絵をカバーの装画に使おうとしたのは、あるいはその案を許可したのは、恐らく村上さん本人だろうからです。あるいはこういう絵を描いて欲しいと指示を村上さんが出した可能性すらあります*。 *村上さんが自身の著作の装幀にかなりの思い入れを持っていることはいくつかの証言から知られるところです。例えば、以下を参照。高橋千裕・寺島哲也へのインタヴュー「村上春樹『騎士団長殺し』の装幀が生まれるまで」webサイト『Casa BRUTUS』2017年2月28日更新。高橋さんは『騎士団長殺し』の装幀者、寺島さんはその担当編集者。 📓
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つまり、「この、過去も現在も等距離に置こうとする姿勢は、他者の内面に決して踏み込もうとしない「僕」の姿勢に対応し、そしてまた、自分自身の内面に決して踏み込もうとしない「僕」の姿勢に対応している。「僕」は現在にありながら現在にいないのだ。」
ここには後年、論究される「幽霊」の問題*が、早くも顔を出しているが、詳細は別に論じます。ここで問題にすべきは、何らかの
原因があったかも知れない**が、それは別の問題であって、村上=「僕」が少なくとも初期の段階から、第三の視点からものごとを見る、第三の視点から、人と対する、ものごとに応ずる、ということが生じたということです。
*①三浦『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』2003年・新書館。②三浦「孤独の発明」/『群像』2010年1月号~2011年6月号・講談社。
**コラム「春樹少年は「棄てられた」のか?」参照。
それが、表面的には軽妙洒脱な受け答えであったり、あるいはそれは別の場面では「優しさ」となって現れるのです。
『風の歌を聴け』をあらすじとして書くと極めて単純な話になります。夏の帰省で故郷の街に帰っていた「僕」がたまたま知り合った女性と親密になりかけるものの、夏の終わりとともに「僕」は東京に戻ることになり、二人の関係も終わる、といった体のもので、言ってみればよくある話です。
ことの発端はバーで酔い潰れていた女性を、彼女のアパートに送ったことから始まるが、最初「僕」に対して悪意を抱いていた彼女は徐々に心を開き始め、電話で誘われるまでになります。
だが、やがて彼女から電話がかかってくる。ひどいことを言ったから謝りたかったというのだ。
それに対して「僕」は「僕のことなら何も気にしなくていい。それでも気になるんなら公園に行って鳩に豆でもまいてやってくれ」という。素直に語られたにしてもこの言葉は聞く側にはそうは聞こえないだろう。ユーモラスな口調はその裏にどこか人を拒絶するような響きを隠している。彼女は溜息をつく。それでもなお彼女は「今夜会えるかしら」と誘う。「僕」は応じる。
「……ねえ、いろんな嫌な目にあったわ。」
「わかるよ。」
「ありがとう。」
電話の最後に交されるこの会話は卓抜だ。伏せられていた内面が伏せられたままで通じ合った印象を読む者に与える。むろんそれは、それがまさに伏せられているために生じる印象である。(三浦「村上春樹とこの時代の倫理」/『主体の変容』p.194。傍線引用者)
「わかるよ。」 /「ありがとう。」、無論何もわかってないのです。わかった気がするだけですね。
その後、一週間ほど、彼女は旅に出ます。実はこれは妊娠中絶の手術のためなのですが。二人は、というよりも彼女は「僕」に親密さすら感じ始めています。
何故か。
「僕」が優しいからです。少なくとも、彼女にはそう感じられるからです。「旅行」から帰ってから二人は食事を共にします。
店を出た二人は鮮明なタ暮の中を歩いてゆく。女の内面すなわちその苦悩はすぐ手のとどくところにある。だが「僕」は沈黙したままだ。沈黙は、しかし、やさしい。沈黙のなかで彼女は自分の味わった苦痛を反芻している。「一人でじっとしているとね、いろんな人が私に話しかけてくるのが聞こえるの」と彼女はいう。「僕」が肯くと「大抵は嫌なことばかりよ」と彼女は続ける。幻聴体験を言っているのである。だから、しばらく間をおいてから「病気だと思う?」とたずねるのだ。女はほとんど自分の内面をさらけ出してしまっている。「僕」の沈黙のなかで、彼女は自分自身に深くかかわっているのである。「こんなこと話したのはあなたが初めてよ」と言うのはそのためだ。
「僕」は彼女を家まで送り、彼女の部屋に泊る。「今夜は一人でいたくない」と彼女が言ったからである。彼女は旅行していたのではなく、中絶で入院していたのだ。いくつかの会話を通して、人生に怯えている彼女の姿が鮮やかに描かれる。その彼女に対して「僕」はほとんど空気のように振舞っているのである。そしてそれが彼女には優しさとして受け容れられているのだ。
むろん、適度な無関心だけが優しさになりうるのだ。対象との隔たりだけが、その距離だけが優しさをもたらしうるのである。(三浦「村上春樹とこの時代の倫理」/『主体の変容』p.198。傍線引用者)
このように軽妙洒脱、あるいは優しさとみられる対人関係のコミュニケーションの型も、しかしながら、それらは本当は軽妙洒脱でも優しさでもない、距離を取ることで、相手を、あるいは自分という他者を傷つけないようにという極めて倫理的な対応の型なのです。まさに「この時代の倫理」の謂いです。
これは後に村上さん自身がディタッチメントからアタッチメントへと自己解説をして、いささか誤解を招くことになったのではと思うが、村上さんは中期以降突如としてアタッチメントへと路線を転轍したわけではありません。村上さんは初期から、十分アタッチメントの要素をもっていたのです。
参照文献
バルト ロラン. (1967年/1979年). 『物語の構造分析』.
(花輪光, 訳) 原著/みすず書房.
フクヤマ フランシス. (1992年/1992年). 『歴史の終焉』/『歴史の終わり』上下. (渡部昇一, 訳) 原著/三笠書房.
リオタール フランソワ ジャン . (1979年/1986年). 『ポストモダンの条件』. (小林康夫, 訳) 原著/水声社.
加藤典洋. (1995年/2020年). 「夏の十九日間――『風の歌を聴け』」. 著: 加藤典洋, 『國文學――解釈と教材の研究』1995年3月号/『村上春樹の世界』. 學燈社/講談社文芸文庫.
加藤典洋. (1996年). 「第1章 消えてゆく者への眼差し――『風の歌を聴け』」. 著: 加藤典洋 (編), 『村上春樹 イエローページ』. 荒地出版社.
加藤典洋. (2015年). 「Ⅰ 否定性と悲哀――『風の歌を聴け』の画期性」. 著: 加藤典洋, 『村上春樹は、むずかしい』. 岩波新書.
高橋千裕, 寺島哲也.
(2017年2月28日). インタヴュー「村上春樹『騎士団長殺し』の装幀が生まれるまで」. 参照先: 『Casa
BRUTUS』:
https://casabrutus.com/categories/culture/39084
三浦雅士. (1978年/1982年). 「解説」/「『限りなく透明に近いブルー」について」. 著: 村上雅士龍/三浦,, 『限りなく透明に近いブルー』/『主体の変容――現代文学ノート』. 講談社文庫/中央公論社.
三浦雅士. (1981年/1982年). 「村上春樹とこの時代の倫理」. 著: 『海』1981年11月号/『主体の変容――現代文学ノート』. 中央公論社/中央公論社.
三浦雅士. (1982年). 『主体の変容――現代文学ノート』. 中央公論社.
三浦雅士. (2003年). 『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』. 新書館.
三浦雅士. (2010年-2011年). 「孤独の発明」. 著: 『群像』2010年1月号~2011年6月号. 講談社.
浅田彰. (1983年/2023年). 『構造と力――記号論を超えて』. 勁草書房/中公文庫(中公論新社).
村上春樹. (1979年). 『風の歌を聴け』. 講談社.
村上春樹. (1980年). 『1973年のピンボール』. 講談社.
村上春樹. (1987年). 『ノルウェイの森』上下. 講談社.
村上春樹, 安西水丸.
(1986年). 「小確幸」. 著: 『ランゲルハンス島の午後』. 光文社.
村上春樹, 高妍.
(2020年). 『猫を棄てる――父親について語るとき』.
文藝春秋.
村上龍. (1976年/1978年). 『限りなく透明に近いブルー』. 講談社/講談社文庫.
田中廉夫. (1981年). 『なんとなく、クリスタル』. 河出書房新社.
蓮實重彦. (1979年/1985年). 『表層批評宣言』. 筑摩書房/ちくま文庫.
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2024082114改稿


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