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2024年8月15日木曜日

三浦雅士――人間の遠い彼方へ その11   第5章 展開の方へ(承前) 2  思想としての批評 1 「無力感について」

 

三浦雅士――人間の遠い彼方へ その11

 

鳥の事務所

 


 

 

目次

第5章 展開の方へ(承前)    1

2  思想としての批評    1

1 「無力感について」    1

参照文献    19

 

 

 

 

章 展開の方へ(承前)

 

2  思想としての批評

 

1 「無力感について」

 

 1984年4月に三浦さんの出世作『メランコリーの水脈』が刊行されました。わたしは、最初、八王子のくまざわ書店の本店の1階で平積みになっている同書を手に取り、なんだか最近こういうのばかりだな、と失礼ながら思った記憶があります。




 わたしが購入して読んだのは翌85年の5月のことです。第2章でも触れたが、大江健三郎論「無力感について」を掲載誌『國文學――解釈と教材の研究』で読み、瞠目したのが、そもそものことの始まりです。

 一体、わたしは何に驚いたのでしょうか?

 驚くべきことに、読んでわかった、のです。無論、分かったはずがない。そんなはずはないのだが、わかった気がしたのです。

 プラトンに、――とか書き始めるのは、あまりいい趣味だと褒められるべき行為ではないのだが、プラトンに『メノン』なる対話篇があります。副題は「徳について」、すなわち平たく言うなら「徳は教えられるか」というテーマになっています。ここで言われている「徳(アレテー)」は道徳的な意味でのそれではなくて、或るものが持ち得る「特性」のような意味です。それはそれで議論の余地があるが*、それは一旦措くとして、何が言いたいのかというと、「想起説」のことです。

 

*プラトンなりアリストテレスなりを読んでいると、しばしば語釈、つまり言葉の語源的な解釈から哲学的な分析に入ることがあるが、それは古代ギリシャ語であればそうかもしれないが、他の言語では無理だと思うことがありますね。つまり哲学的な思考が言語によって相当強い制約を受けているのではないかと若年の頃思って、そのままになっています。もし「神の思し召し」があれば、別稿「悪の倫理学・本論」において究明したいものです。

 

 つまり、なぜ、人は何がしかのことを理解できるのかというと、それは思い出しているからだ、という、「想起説」そこから「イデア」云々の話に繋がるのだが、ここではとりあえず関係ありません。

 つまり、ちょっと極端な言い方をすると、それまでも少なからぬ文芸批評なり、思想書を手に取ったものの、わたしはまるで理解が覚束なかったのだが、三浦さんの、この「無力感について」を読んで、少なくとも分かった、と思えたのです。それは、あたかも自らがもともと考えていたことを「思い出した」かのようだったのです。

 無論、そんなことはない。そんなことはないが、そう思えたということが大切なのです。

   したがって、この事態はわたしにとって前代未聞の事態でした。批評が、評論が「分かった」と思えたのです。

 恐らく、これは、先にも触れたように、三浦さんの発言に宇佐見さんが自己の若き日の片鱗を発見したように*、他者の中の自己を発見することで自己を作り上げていく、ということなのでしょう。

 

*無論、三浦さん自身も宇佐見さんの中に自己を見出したが故に「師事」するまでになったのでしょう。先ほど触れたように、宇佐見さんの思い出を語った辻井喬さんでの講演(三浦「二つの名前を持つこと」/菅野編『辻井喬=堤清二』)で、三浦さんは、辻井さんその人の中にも三浦さん自身の姿を発見しています。そのことを白熱して聴衆に語っているのです。

 

 あるいは、この、大江健三郎論「無力感について――大江健三郎と現代」をこの項(「思想としての批評」)で論及するのはいささか場違いかも知れません。

 これは、いわゆるテーマ批評であって、あるいは、三浦さん自身の主題に引きつけ過ぎた嫌いはあるものの、だからこそ、わたしのような幼学者にも理解できたのですが。


大江健三郎氏


 蓮實重彦さんの『表層批評宣言』を介して、まずは大江さんと江藤淳との対立点ならぬ共通点についてから論考は始まります。大江さんと江藤さんが長らく対立したまま、江藤さんは帰らぬ人となった訳だが、その対立軸は、文字通りの政治的なものだったのだが、実は両者は「「根」の象徴を介して一つに結ばれる」のだが、互いに「無自覚」のまま、「「たがいに違ったことを語っていると信じ込」んでいる」と蓮實さんは論じています。

 この蓮實さんの考えを三浦さんは引き取って次のように展開します。

 

 人間は自覚する存在だが、同時にまた自覚しきれない存在である。 なぜなら自覚とは遅れ以外の何ものでもないからだ。何が起きたのかはその後になってみなければ明らかになりはしない。そして、その後にはさらにその後が無限に続くのである。(中略)自覚しようとする意志がまさに避け難く無自覚を生み出すのである。一義的たろうとする意志が多義性を生み出し、明晰たろうとする意志が曖味を生み出す。これは自明というほかないことだが、しかしここで重要なのは、このような自覚についての自覚、あるいは――同じことだが――無自覚についての自覚が、根本的な無力感を惹き起してしまうということである。(中略) /実際、両者(大江と江藤。引用者註)は、こうして生ずる無力感を何よりも恐れてその文学を展開しているといってよいのではないか。(三浦「無力感について」/『メランコリーの水脈』p.202

 

 この問題は第2章でも触れているが、要するに「絶対的存在」の「無根拠性」の問題を問うていると、少なくとも、わたしにはそう読めたのです。繰り返しになるが、「絶対」とは平たく「神」と言ってもよいが、神が退席して、そこに誰もいない、何もないという状況こそ望ましいという人々もいたでしょう。これこそ「近代」なのだと。われわれは「自由」だ、自らの思うがままに、自らの欲するところに従って発言し、行動すればよいのだと。しかしながら、他者の欲望とぶつかったらどうするのか。無論、声が大きい方、武力が強い方、数が多い方、財力の優れている方が勝つのだ。「正義」はどこに行ったのか。いや、このような過程を通じて、様々なコミュニケーションが交わされる中で、やがて「近代」の持つ本来の可能性が次第に達成されるのだ。それまでは、われわれは耐えて、忍ぶのである。これこそがわれわれ「近代人」たる運命にして、宿命なのだ、と。

 しかしながら、そのような無秩序な状態を放置するわけには当然いきません。

 例えば、その「神の空席」に、「国家」、「国家とともに生きる、国民としての使命」を置くとすれば、それは江藤淳となるだろう。

 あるいは、そこに「戦後民主主義の理念」、「主体性を持って生きる市民」を持ってくれば、それは大江健三郎になるだろう。言うまでもなく、その後、大江さんは、評論や実際の行動では以前とは変わらなかったものの、小説作品では新興宗教めいた宗教団体を描き、なにやらそこに神の恩寵のようなものを認めようとしたのか、そこは議論が分かれるやも知れぬが、この問題は文脈を逸脱するので一旦措きます。

 つまり、ここで三浦さんによって「無力感」*と呼ばれている「無根拠性」を充溢させるために彼らの文学、あるいは政治的活動があったと言っているのです。よくよく考えれば、両者にとって、これは当然とも言うべきことで何が問題なのでしょうか。

 

*ちなみに、三浦さんは「無力感」という言葉を使っているが、――確かに大江さんは講演でこの言葉を使ってはいるものの(三浦『メランコリーの水脈』p.203)、この当時(1980年代)、大江さんも江藤さんも「無力感」に陥っていたかどうかはいささか疑問の残るところではあります。無論、最晩年の自裁直前の江藤さんは確かに「無力感」に陥っていたことは疑いないが、それは全く意味が違います。

 現在の大江さんがどうしているのかは不明ではあるが、2018年から2019年にかけて『大江健三郎全小説』(15巻・講談社)が刊行されて、やりきった感も漂わせつつ悠々自適の生活なのでしょうか(無論、大江さんは、この後、残念ながら2023年に亡くなりました)。

 たまたま20216月に、かの『江藤淳は蘇える』(2019年・新潮社)で一躍文名を馳せた平山周吉さんの編纂になる、江藤淳の『石原慎太郎・大江健三郎』(中公文庫)が刊行されました。末尾は大江さんのノーベル文学賞受賞に関するコメントで閉められている。江藤さんは、形式的に祝意を述べて、批評家としては全く読んでないのでコメントできないとしています。宜なるかな。

 

 ここで、言うなれば「原点(オウ)」=小林秀雄が登場します。小林は江藤さんにとっては無論のこと、大江さんにとっても、常に参照すべき原点=幻点として存在しました。いや、近代日本文学の中において漱石と小林を抜きにして何かを語るということはほぼ不可能に近いことです。両者はあたかも呪術を所有する皇帝と法王でもあるかのように近代日本文学に君臨しました、君臨しています。それは三浦さんにとっても同じことです。しかしながら、この文脈では一旦漱石のことは措きます。

 三浦さんは、大江さんの位置を定点するために、小林の、大変著名な講演「信ずることと知ること」の一節を引用するが、これがなかなか手が込んでいます。この講演は、後に『感想』に収められたり、実際には各種の文庫や、あるいは小林の個人全集にも収録されて、多くの人に読まれているが、これにはオリジナルが当然のことながら存在します。もともとは「信じることと考えること」と題されて、学生向けの講義でした。また、その後、別の機会に、この講義の圧縮版とでも言うべき講演が一般向けになされています。後者は一旦措きます。前者は、その学生向けの講義会主催『日本への回帰』第10集に収められ、更に加筆ののち、現行の「信ずることと知ること」と改題されて『諸君!』に掲載されたものが、現在、巷間に流布されているものの底本ということになります。三浦さんは加筆前の、比較的講義に近いものから引用している。この辺りに三浦さんの手際の冴えのようなものが表れているが、これは後に詳論します。

 

 

今日のインテリというのは実に無責任です。例えば、韓国の或る青年を救えという。貴任を取るのですか。取りゃしない。責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです(三浦「無力感について」/『メランコリーの水脈』p.207から援引。傍線引用者)

 

 「韓国の或る青年」とは三浦さんの推測では詩人・金芝河(キム・ジハ)です。「今日のインテリ」というのは直接的には、その金芝河の救済運動を行っていた大江健三郎らのことを指すといいます。恐らくその通りでしょう。当時、同時代でこれを目にした読者にはそれは明らかだったのでしょう。

 大韓民国は、1961年、516軍事クーデターでの(パク・)正煕(チョンヒ)ヒ政権以降、軍事政権が続き、反対派には弾圧が行われていました。丁度この頃、金さんは死刑判決を受けていたのです。それに対するものです。

 後に、この下りを削ったのは、大江さんを直接攻撃する意図はないことから来ると思われます。思わず口が滑った、ということは「本心」ということになるが、それが出てしまったのです。ただ、それを直接に、言葉通りに、字義通りに受け取って欲しくない、ということでしょうか。

 では、ここで小林は何が言いたいのでしょうか。

 「信ずるということは、責任を取ること」だ、といいます。――どういうことなのか。そして「間違って信ずるかも知れ」ない。ということは、何かが真実かどうか、正しいか間違っているかどうか、ということは問題ではなく、何らかの機縁で、何かを「信じ」たとすれば、その責任を取る、と言っているのです。

 責任とは何か。責任を取るとはどういうことを意味しているのか。

 一般に「責任を取る」とはその当該の行為を為すに当たって就いていた職務を自ら辞することです。

 これが戦争責任などになれば、懲役はもとより死罪になることもあり得ます。つまり自らの生命を以て責任を取る、ということになるでしょう。

 「責任」であれば、場合によっては精神的な意味で留まることもあるだろうが、「責任を取る」と言った場合、精神的な意味とか、言葉だけの問題で済むことは少ないですね。やはり、その「責任」に見合うだけの、現実的な何らかの行為が要求されるものです。

 この講演の冒頭は、一世を風靡した「超能力者」ユリ・ゲラーの話から始まります。小林の口調では、あたかも「超能力」が存在するのは当たり前であるかのような口振りだが、ということは、超能力の存在の如何に関わることなく、つまり多くの人々は超能力などないのだと嘲笑うが、それに対して、小林は超能力の存在を信じていることになります。したがって、この件について小林は責任を取るということになるが、一体どうやって取るのでしょうか。

 逆に、当の批判されている大江さんの側からすると、より現実的な事案に関わることだから仮に韓国軍事政権の当局から拘束されるようなことになったとしても金さんを解放せよと言ったはずだから責任は取るつもりはあったのだと考えられます。

 この辺りはまともに取るとえらく混乱したことになりそうです。

 先に三浦さんが引用した直後から引用を続けます。 

 

信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから、集団的なイデオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イデオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐しいものです。集団は貴任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。そういう時の人間は恐しい。恐しいものが、集団的になった時に表に現れる。本居宣長を読んでいると、彼は「物知り人」というものを実に嫌っている。ちょっとおかしいなと思うくらい嫌っている。嫌い抜いています。 (小林秀雄「講義 信ずることと知ること」/『小林秀雄 学生との対話』2014年・新潮社・p.47。傍線引用者)

 

  ここまで引用してやっと意味が分かります。

 元々、この講演の原題は「信じることと考えること」というものでした。確かに、よくよく考えれば、「信ずること」の対、反対概念として「考えること」というのはいささかのズレがあります。単純に考えれば「信じないこと」、あるいは「信じることができないこと」となるはずだが、何故、「信じない」のか、何故、「信じることができない」のか、と考えてくれば、恐らく、それは「知る」からでしょう。「知っていること」が多過ぎて、あるいは「知ること」に重心が余りにも傾き過ぎて、人は「不信」へと赴くのでしょう。

 そして、自信のなさが「集団」を組むことになり、そこでは、もう既に個人の「主体性」などなくなり、匿名へと化してしまいます。従って、具体的な「責任」を取るものなどいない、ということになります。

 

 小林は、先に引用したすぐ後でこう言っています。

 

 彼の言う「物知り人」とは、今日の言葉でいうとインテリです。僕もインテリというものが嫌いです。ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。左翼だとか、右翼だとか、保守だとか、革新だとか、日本を愛するのなら、どうしてあんなに徒党を組むのですか。 (小林秀雄「講義 信ずることと知ること」/『小林秀雄 学生との対話』・p.47

 

 以上のように読んでくれば理解できるが、議論の混同があります。知ることに偏した「物知り人」=「インテリ」たちは「信ずる力」を失った。それを支持しているのが匿名の「大衆」だ。「大衆」たちは集団でジャーナリズムに踊らされる。そこには「責任」はない、という展開だが、無論、大江さんたちが果たして「信ずる力」を失っているかどうかは、判定しようがないが、無責任だということにはなりません。

 さて、三浦さんは先に引用した箇所を引いた後で、こう述べています。

おそらく小林秀雄にいわせれば、人間には責任を取れることなどほとんど何ひとつないのだ。信ずることができるだけなのだ。(三浦「無力感について」/『メランコリーの水脈』p.207

 

 とすれば、信ずることの強弱しかないということになりはしないでしょうか。人間は信ずることしか本当はできない。しかし、「知」とのバランスを適正に取ることによって、狂信と不信の間を、あたかも、両側に急峻な崖が下り降りている「尾根道」を辿ることこそが望まれる生き方なのではないのか。

 この後、三浦さんは吉本隆明の大江評を参照しながら、従来、小説と評論が截然と区別されてきたことを再検討すべきではないかと論じています。平たく言えば、大江さんの小説は人間の暗部に竿を指していて面白い。しかし、『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』などに代表される、主として反戦・反核、平和運動に関わるルポルタージュ、評論の類が、紋切り型で、とても同一人物が書いたとは思われないほど面白くない。極めて優等生の答案を見ているようで、仮にこれが大江さんの表の顔だとすれば、むしろ、小説に見られる露悪趣味は裏の顔なのか、あるいは単に装われたものに過ぎないのか、いずれにしても、大江さんの小説と評論は全く別個に扱われ、論じられてきた。あるいはこの切断については、ほとんどの場合、論じられることはなく、無視されてきた。

 つまり、小林の大江さんに対する批判も、そう考えてくれば、小林的に言えば、そんなつまらないこと言ってるんじゃない、ということなのかも知れません。

 そこで、吉本さんは、この大江さんの反核の論理について、一旦批判しているが、考え直したのか、こう述べています。

 

だがまてよ、とわたしはすこし真剣になって思い返す。大江のこの核終末論は、被虐的(マゾヒック)な論理が病理の域まで入り込んだ極致ではないかとかんがえたのである。 フロイト的な云い方をすると大江は、無意識の領域では、核戦争による世界の滅亡を願望し、 その願望を意識的には打ち消すところに、「世界終末の核戦争への想像力を育てよ」という主張があらわれるというメカニズムになる。 (中略)わたしはにわかに大江健三郎の反核への長年の固執の根拠にすこし興味を覚えた。(吉本隆明/三浦「無力感について」/『メランコリーの水脈』p.210より援引。傍線引用者)

 

 つまり、大江さんが何物かに憑依かれたかのように反戦・反核を声高に叫ぶのは、意識的な言動ではなく、「無意識の領域では、核戦争による世界の滅亡を願望」しているからでは、ということになります*。これを受けて三浦さんは「大江健三郎の小説が死に色濃く染めあげられているのとまったく同じ理由によって、評論もまた死に色濃く染めあげられているのではないか」とまとめているのです。

 

*以前から、大江さんの小説が多大な読書とそれに関わる莫大な知識の賜だとは大江さん自身も認めるところです。と考えれば、大江さんの小説は意識的な産物であって、大江さんの反核に関わる評論こそ無意識の産物だということになりませんか。

 

 となれば、大江さんは自身の内実に一貫して誠実だったことになります。だが、恐らく、大江さんがそうであればあるほど、誠実であろうという意思的な努力を続ければ続けるほど、無根拠の底なし沼が大江さんを、そして意識であろうとする文学者たちを襲うでしょう。三浦さんは本論考を次のように結語しています。

 

  無力感はしばしば人を宗教へと誘う。小林秀雄もまたその一例といえなくもないであろう。(中略)大江健三郎にとってもおそらく事情は変りはしない。その文学がどのように宗教に遭遇するかしないか、 おそらくそこに現代文学の帰趨がかかっているといって過言ではない。(三浦「無力感について」/『メランコリーの水脈』p.212

 

 以上のように見てくると、大江さんの具体的な小説作品についての言及はほぼ皆無ではあるが、小林秀雄に始まって、江藤淳、吉本隆明、蓮實重彦と、戦後日本の主要な批評家たちを縦横無尽に、あたかも、自身の思考を展開するために、手足のように使い尽くしています。詩人たちの下りでも書いたが、まさに、弱冠*37歳のこの青年は全てが分かっているのです。少なくとも戦後日本文学の批評の全景は全て見通している、そう、わたしには思えました。無論、その後三浦さんの全著作を読み進めていくうちに、それが批評だけにとどまらず、小説に対しても、詩歌に対しても、同様の視界を三浦さんが持っているということを納得させられたのでした。

 

*本来「20歳の男子」、「若年」を指す「弱冠」という言葉を果たして37歳に適用してよいか迷うところだが、世間一般の会社では60歳や65歳が「定年」となっているが、政治や文学、思想、芸術の世界で60歳など、まだ洟垂れ小僧でしょう。政治家はともかくとして、文学者たちは死の直前まで、自身の文学を極めるものです。いや、死の瞬間こそその文学、思想、芸術の最極点であるべきなのです。何となれば、市井に生きるわれわれにとってはもとより、彼らにとっても人生こそ作品だからです(三浦『人生という作品』参照)。

 

 その後、三浦さんはその世界を美術に、音楽に、そして、舞踊へ拡張していくことになります。

 

参照文献

プラトン. (紀元前4世紀/2012). 『メノン――徳(アレテー)について』. (渡辺邦夫, ) 原著/光文社古典新薬文庫.

江藤淳. (2021). 『石原慎太郎・大江健三郎』. (平山周吉, ) 中公文庫.

三浦雅士. (1983年/1984). 「無力感について――大江健三郎と現代」. : 『國文學――解釈と教材の研究』1983年6月号/『メランコリーの水脈』. 學燈社/福武書店.

三浦雅士. (1984). 『メランコリーの水脈』. 福武書店.

三浦雅士. (2010). 『人生という作品』. NTT出版.

三浦雅士. (2016). 「二つの名前を持つこと」. : 菅野昭正 (), 『辻井喬=堤清二――文化を創造する文学者』. 平凡社。

小林秀雄. (1975年/2014). 「信ずることと知ること」. : 小林秀雄, 『学生との対話』. 講演/新潮社.

小林秀雄. (2014). 「講義 信ずることと知ること」. : 小林秀雄, 『学生との対話』. 新潮社.

大江健三郎. (1965). 『ヒロシマ・ノート』. 岩波新書.

大江健三郎. (1970). 『沖縄ノート』. 岩波新書.

大江健三郎. (2018-2019). 『大江健三郎全小説』全15. 講談社).

平山周吉. (2019). 『江藤淳は蘇える』. 新潮社.

蓮實重彦. (1979年/1985). 『表層批評宣言』. 筑摩書房/ちくま文庫.

 

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