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2021年4月19日月曜日

「こだまとひびき」 ――肯定が否定であり否定が肯定であるような対話による弁証法 柄谷行人『柄谷行人発言集 対話篇』

 📚読書ノウト📚  🌀柄谷行人を読む🌀 

  

「こだまとひびき」 

――肯定が否定であり否定が肯定であるような対話による弁証法 

 

柄谷行人『柄谷行人発言集 対話篇』 

  

 


 

柄谷行人『柄谷行人発言集 対話篇』2020年11月12日・読書人。 

7,800円(税別) 

対談集(文学・現代思想・現代社会)。 

ブックデザイン 鈴木一誌 

935ページ。 

目次 

現代にとって批評とは何か 戦後文学への新視点   入江隆則 

小林秀雄と保田與重郎   秋山駿 

生存の原理・死の原理   江藤淳 

民衆の胎幻影   渡辺京二 

漱石文学の運命   桶谷秀昭 

詩と批評の現在   佐々木幹郎 

漱石と現代   秋山駿 

知の変貌・知の現在   中村雄二郎 

肉体のエクリチュール   唐十郎 

「文学者」を疑え   田中小実昌 

ロマン派を超えて   絓秀実 

脱・線化のロゴス   平岡篤頼 

現代への視点 モダンとポスト・モダン   岩井克人 

『幻の男たち』について   浅川マキ 

現代思想の風景   竹田青嗣 

江戸江戸しさを脱構築する   川村湊 

高血圧の読書術と低血圧の読書論   日野啓三 

<漱石>とは何か   三好行雄 

変容する様式 ラディカルに向って   石原慎太郎 

「終り」の想像力 大江健三郎について   笠井潔 

今こそ「孤立を求めて、連帯を恐れず」の時だ   岩井克人 

「自由化」と「社会化」   長崎浩 

漫才とナショナリズム   富岡多恵子 

漱石―想像界としての写生文   小森陽一 

文学のジオポリティクス   島田雅彦 

カオスの辺縁 自由主義、超越論、資本主義   赤間啓之 

「啓蒙」はすばらしい   坂本龍一 

共同体・世界資本主義・カント   奥泉光 

「柄谷的」なるもの   金井美恵子 

批評のジャンルと知の基盤をめぐって   関井光男 

言葉の傷口   多和田葉子 

虚無に向きあう精神   大西巨人 

マルクス的視点からグローバリズムを考える 東アジア共同体の可能性   汪睴 

トランスクリティークと小説のポイエティーク   島田雅彦 

禅譲!?   福田和也 

天皇と不敬小説   渡部直己 

江藤淳と死の欲動   福田和也 

資本・国家・倫理   大西巨人 

トランスクリティークとアソシエーション   田畑稔 

カントとマルクス 「トランスクリティーク」以後へ   坂部恵 

日本思想は国境を越えられるか 西田幾多郎と京都学派をめぐって   小林敏明 

現代批評の核   福田和也 

国家・ナショナリズム・帝国主義   佐藤優 

「努力目標」としての近代を語る   大塚英志 

恐慌・国家・資本主義 ファンダメンタルな危機への処方箋   西部邁 

デモクラシーからイソノミアへ 自由―民主主義を乗り越える哲学   國分功一郎 

柳田国男の現代性 遊動性と山人   赤坂憲雄 

先祖・遊動性・ラジオの話   いとうせいこう 

九条 もう一つの謎   高澤秀次 

111年目の坂口安吾   佐藤優 

起源と成熟、切断をめぐって   渡部直己 

何のため 本を読むのか   横尾忠則 

批評、書評、そして坂口安吾   苅部直 

  

あとがき 

  

※ 目次はウェブサイト「Karatani-b」から引用した

(貼り付け元  <http://karatani-b.world.coocan.jp/books/books-6.html> )。 

  

20213月7日読了。 

採点 ★★★★☆。 

  

🖊ここがpoints! 

① 柄谷行人の未収録対話をもれなく収録。 

② 様々な論者との間に「弁証法」のドラマが展開。 

③  頻出する漱石の話題が柄谷自身の主題を炙り出す。 

 

   1 対話とは何か? 

 

 柄谷行人の未収録対談の集成である。 

 いささか話がややこしくなるが、もともと第三文明社から全5巻の対談の集成である『ダイアローグ』というシリーズがあった*。

 

第三文明社版の『ダイアローグ1』

 

*これも実はかなりややこしい。 

 

                          旧版 

 

                              新版 

『ダイアローグ』 

1979年 

冬樹社 

 

『ダイアローグⅠ』 

1987年 

第三文明社 

『思考のパラドックス』 

1984年 

第三文明社 

 

『ダイアローグⅡ』 

1990年 

第三文明社 

 

 

 

 

『ダイアローグⅢ』 

1987年 

第三文明社 

 

 

 

 

『ダイアローグⅣ』 

1991年 

第三文明社 

 

 

 

 

『ダイアローグⅤ』 

1998年 

第三文明社 

  

さらに、本書刊行後に第三文明社版『ダイアローグⅠ』と『ダイアローグⅡ』から抄出して『柄谷行人対話篇Ⅰ』(2001年・講談社文芸文庫)が刊行されている。 

 

 それとは別にインタヴューの集成が講談社文芸文庫から今のところ2冊『インタビューズ』が刊行されている*。 

 

*『柄谷行人インタビューズ』Ⅰ・Ⅱ・2014年・講談社文芸文庫。 

 

 また、それとは別に個人ごとの対話集も6冊存在する*。 

 

*①『柄谷行人 蓮實重彥全対話』2013年・講談社文芸文庫。 

②『柄谷行人 中上健次全対話』2011年・講談社文芸文庫。 

③『大江健三郎 柄谷行人全対話――世界と日本と日本人』2018年・講談社。 

④『柄谷行人 浅田彰全対話』2019年・講談社文芸文庫。 

⑤『終わりなき世界――90年代の論理』(岩井克人との対話集)1990年・太田出版。 

⑥『戦後思想の到達点』(大澤真幸によるインタヴュー)2020年・NHK出版。 

 

 そのいずれにも収録されていない対談が本書でまとめてある。全53篇。収録期間は最初の著書『畏怖する人間』が刊行される前年である1971年から『坂口安吾論』が刊行された翌年の2018年まで。上下2段組みで、ページ数にして935ページにも及ぶ「超大作」である。手に取るまでもなく、初見の感想は「辞書か?」という厚さ、そして重さである。正直、通勤、通学途中に電車などで読むのはちょっと辛い。セット販売でよいので2分冊か3分冊にして欲しいところだった。 

 詳細な索引も掲載されている。その意味では、最初から順に読む必要はなく、どこから読んでもよい。まさに「柄谷行人発言集」の名に恥じない一書ではある。 

 本書は「対話篇」とあるが、今後、未収録の講演録*などを収録する「講演篇」なども刊行されるのだろうか? 

 

*講演録の集成はちくま学芸文庫で進められているようではある。①『柄谷行人講演集成1995-2015 思想的地震』(2017年) ②『柄谷行人講演集成1985-1988 言葉と悲劇』(2017年)。公刊されているものはあと『戦前の思考』(1994年・文藝春秋)だが、こちらはすでに講談社学術文庫(2001年)に収録されている。 

 

 このような対談の類を、欧米では見られぬ形式であると、どういう訳か軽視する向きもあるが、そんなことはない。仮に日本独自の形式であれば、それはそれで素晴らしいことだ。 

  

 それにしても、よくもまあ、かくも莫大な対談をなしたことであろうか。 

  

 対談のメリットはいくつかあるが、まずは単著ではどうしても書けないことが、対話では思わず出てくる、ということがある。分かっていても、あるいは意識すらしていなかったことが、文章で残すのは躊躇ためらわれるものが、対話だと図らずも出てしまうということがある*。 

 

*例えば、福田和也との対談(「禅譲!?」1999年)において、戦後日本で「批評とは何か」ということは、結局「小説が読めるかどうか」なんだとして、それができるのは戦後日本では平野謙と江藤淳の二人だけで、「そして、三番目は僕だと思っているんですよ。」と述べた上で「こういうことは、今まで話したことがないでしょう?(笑)」(本書・p.p.558-559)と述べている。無論、とてもこんなことは文章では書けないことだ。 

 

 さらに相互の影響、反響ということもありうる。これについては図らずも、柄谷自身が本書「あとがき」で、的確に述べている。これに尽きるかと思う。 

  

私はこれまでに対談集を15冊も出している。しかし、今ふりかえってみると、対談は難しいものだと思う。それはインタビューではないし、褒め合いであってもいけない。かといって、アカデミックな討論のようなものでもない。無造作に見えるとしても、対談には、ある種の役割分担、筋書きのようなものがある。それは日本独特の文化なのかもしれない。たとえば、漫才のように。(中略)/漫才とは旧来の儀礼的な「萬歳」にマルクス的な弁証法が加えられたものだ。そのことが、今や、大阪ではまったく忘れられている。しかし、私は大木こだま・ひびき*の漫才に、肯定が否定であり否定が肯定であるような弁証法の「こだまとひびき」を感じたのである。(「あとがき」/本書・p.p.892-893) 

 

 

*[引用者註] 大木こだま・ひびき(おおきこだま・ひびき)は日本漫才コンビ。1981年5月にコンビ結成(中略)じっくりとしたテンポ、間を大事にする正統派しゃべくり漫才コンビであり、あの横山やすしにも絶賛されていた。人生幸朗ばりのぼやきや、庶民の暮らしをネタにしたりと、ネタの数は多い。またボケ・ツッコミ担当と一応役割が分かれてはいるものの、漫才の形式としては珍しく、こだまのボケに対してひびきがつっこみ、それに更にこだまが一種の屁理屈のようなボケでつっこみ返すというパターンを持っている。                   (大木こだま・ひびき - Wikipedia 

 

 

 

 2 注目すべき対話者① 渡辺京二 

 

 さて、収録時期も、対話者も、さらにはテーマも幅広い、この浩瀚な対話集を一言でまとめるのは無理である。そんなこともあり、とりあえず、個人的に気づいた感想なりを書き留めておくにとどめる。 

 未収録対話集、ということもあるかも知れないが、次の4人の対話そのもの、というより、対話から窺うことのできる、その人の人間性や、思想、というよりも構え、態度、傾斜のようなものが醸し出されて大変興味深かった。 

 それは、渡辺京二、福田和也、渡部直己なおみ、そして絓すが 秀実の4人である。福田を除いて、失礼ながら、個人的にはさほどとは思っていなかったが、正直瞠目した、と言ってもよい。


渡辺京二氏

 

 本書には「評論家」と紹介されているが、むしろ民衆史家とでもいうべき渡辺京二とは本書収録の「民衆の胎む幻影」(1974年)を除いては、わたしの知りうる限り、柄谷との対話などの仕事を一緒に行った形跡はない。この対話を読んだ限りでは、方法論というよりも、何かしら人間性、なのか、お互いに馬が合う、ということがもしかしたら、なかったのかもしれない*。 

 

*この対談は柄谷の次の発言で終わっている。 

 

しめくくりとして何かいわなければならないけれども、お互いに自分の場所において必要なことだけをやりぬけばいいんだということだと思います。(本書・p.56) 

 

 

 しかしながら、柄谷の視点に対する渡辺の反転の仕方、というよりも反転のあり方には学ぶべきものが多々ある。 

 柄谷がエリック・ホッファーの言葉「The posessed are the dispossessed」(観念に憑かれた者は何かを奪われた者である)を引いて、「観念に憑かれるということ」に注意を促すと(本書・p.52)、むしろ渡辺は次のように、暗に批判する。 

 

日本の民衆というのは絶えず夢を見てきたのです。(中略)僕はそういう幻想がたえず生起する根拠からものを考えていきたいと思うのです。(中略)民衆が千年王国のような幻影を胎まざるをえない根拠を考えママければならないと思うのです。(本書・p.p.52-53) 

 

 熊本、という地域に根ざして(ほぼ)在野で活動を続ける民衆史家ならではの発言、と言えばそれまでだが、少なくとも、この段階の柄谷には、虚を突かれた形になったのかとは思う。NAM解体後の今であれば*、また違った応酬があったかもしれぬが。 

 

*例えば、最近のインタヴューでNAM解体に触れて次のように述べている(NAM活動の時期は原則ネット環境で議論することが中心とされていた)。 

 

東京勢と大阪勢が対立して喧嘩をするようになった。(中略)関東と関西で顔を見たこともないのに罵り合うようになってしまった。その後、インターネットが本格化した時期に気づいたのは、むしろ、人と人が直接会うことが重要だということです。それから「共食」ですね。共に食うこと。(柄谷行人ロングインタビュー「今を生き抜くために、アソシエーションを――『ニュー・アソシエ―ショニスト宣言』(作品社)刊行を機に」/『週刊 読書人』2021年3月19日号・読書人) 

 

 

 

  3 注目すべき対話者② 渡部直己と絓 秀実 

 

 渡部直己、そして絓 秀実と並べて論じてしまうのは、失礼ながら、なんとなく立ち位置が似ているからである。いずれも、なんとはなしに、柄谷の、単なる後続者のような印象があるのは、柄谷の引きでか、近畿大学で教えていたとか*、柄谷との共著、共編があるとか**、あるいは著書が何となく柄谷のものと似ているとか***、二人の共著があるとか****が理由として考えられるが、いずれも大変な実力者であることは、柄谷の発言からだけではなく、対話そのものの内容を読めば一目瞭然である。ただ残念ながら、わたしには未だに両者の区別が判然とはつかない(失礼)。 

 

*渡部は1995年~2007年、絓は2002年~2015年。 

 

**(1)渡部・絓両名との(あるいは両者を含む)柄谷の共著。 

①『〈批評〉のトリアーデ』(江中直紀・蓮實重彦・柄谷行人・中上健次との共著、1985年、トレヴィル)。 

②『必読書150』(柄谷行人・岡崎乾二郎・島田雅彦・浅田彰・奥泉光・との共著、2002年、太田出版)。 

(2)渡部と柄谷との共編。『中上健次と熊野』(2000年、太田出版)。 

(3)絓と柄谷との(あるいは両者を含む)共著・共編。 

①『皆殺し文芸批評 〜 かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル』(柄谷行人・清水良典・島弘之・富岡幸一郎・大杉重男・東浩紀・福田和也)、 四谷ラウンド、1998年。 

②『LEFT ALONE 〜 持続するニューレフトの「68年革命」』(井土紀州・松田政男・西部邁・柄谷行人・津村喬・花咲政之輔・上野昂志・丹生谷貴志)、明石書店、2005年。 

中上健次著、柄谷行人との共編『中上健次発言集成 1〜6』1995年~1999年・ 第三文明社 

 

***(1)渡部の著書 

①『日本近代文学と〈差別〉 批評空間叢書』(1994年6月、太田出版)。 

②『日本小説批評の起源』(河出書房新社、202、0年)。……①と②を合体させると柄谷の『日本近代文学の起源』となるが、無論、別内容である 

(2)絓の著書。 

①『メタクリティーク』国文社 1983年。 

②『日本近代文学の〈誕生〉 〜言文一致運動とナショナリズム』太田出版 1995年。……①は何となく柄谷の『トランスクリティーク』に似ているが絓の方が先。②はやはり『日本近代文学の起源』に似ている。こう見てくると柄谷の『日本近代文学の起源』がいかに強い影響力を後続者に与えたかが窺い知れる。 

 

**** 渡部・絓の(あるいは両者を含む)共著。 

①『「知」的放蕩論序説』(蓮實重彦・守中高明・菅谷憲興・城殿智行)、河出書房新社、2002年。 

②『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』 太田出版、2004年。 

 

 

絓秀実氏






 絓との対話「ロマン派を超えて」(1980年)は先行者への異和や「外国人としての眼」を持つことの重要性を論じていて、大変面白い*。 

 

*以下は柄谷の発言。 

 

僕はアメリカでは自分はマルクス主義者だと思った。マルクス主義者というのは外国人だと思うんです。外国人というのは、つまり権力を持ち得ないということです。内部にいるとマルクス主義者はマルクス主義者ではなくなるのです。マルクス主義とは異邦人の眼なんで、僕自身が外国人であると何から何まで変ちくりんに見える。(本書・p.174) (中略)結局、マルクス主義者とは言わばユダヤ人になることだと思うんです。アメリカのユダヤ人はもうだめですけど。つまり、不可解なものとしてものを見ること。レヴィ=ストロースに言わせれば、それが人類学者だということになるんでしょうが、レヴィ=ストロースだってそうなってない。(本書・p.175) 

 

 

 

渡部直己氏

 



 渡部との対話「起源と成熟、切断をめぐって」(2017年)では、渡部の一連の業績(『日本小説技術史』*(2012年・新潮社)あるいは『日本批評大全』(2017年・河出書房新社))への柄谷の賞賛が見られる。 

 

*これとは別に渡部には『小説技術論』(2015年・河出書房新社)がある。 

 

 いずれにしても、単に「柄谷の後続者」ではすまない「批評」の底力を両者とも持ち得ていることが充分了解される。 

 

 

 4 注目すべき対話者③ 福田和也 

 

 

福田和也氏

 



 そして、福田和也については何をかいわんや、ではある。福田との対話は3本収録されているのだが、いずれも興味深いが、とりわけ江藤淳の自死について語られた「江藤淳と死の欲動」(1999年)が大変重要な論点を提出していると思われる。 

 

 

 5 漱石論を巡る諸問題① 実証的研究への異和 

 

 さて、この一書を通覧して、さらに思うことは、無論、時期の問題もあるが、漱石について論じられたものが思いのほか多い、という事実だ。 

 と言っても、本書においては、主要なテーマとして漱石が挙げられているのはたかだか4本しかないのだが*、他の対話でも漱石に言及されているものを入れると10箇所前後にも及ぶ。

夏目漱石

  

*漱石を主要テーマとした対話。 

(1)本書収録。 

①「漱石文学の運命」桶谷秀昭/『柄谷行人発言集 対話篇』2020.11.12・読書人。   

②「漱石と現代」秋山駿/『柄谷行人発言集 対話篇』2020.11.12・読書人。   

③「<漱石>とは何か」三好行雄/『柄谷行人発言集 対話篇』2020.11.12・読書人。   

④「漱石―想像界としての写生文」小森陽一/『柄谷行人発言集 対話篇』2020.11.12・読書人。 

(2)他の対談集に収録。   

①「マルクスと漱石」 蓮實重彦/『ダイアローグ』1979.06.22・冬樹社。  

②「夏目漱石の戦争」 小森陽一/『ダイアローグⅤ1990-1994』1998.07.16・第三文明社。   

③「友愛論 夏目漱石・中勘助・中上健次」 富岡多恵子/『ダイアローグⅤ1990-1994』1998.07.16・第三文明社。   

④「夏目漱石をめぐって ―その豊かさと貧しさ」蓮實重彦、芳川泰久、小森陽一、石原千秋、浅田彰/『シンポジウムⅠ』1994.04.02・太田出版。 

 

 これは柄谷が「漱石論」*でデビューをしたため、編集側、あるいは読者側からすると柄谷、と言えば漱石、漱石と言えば柄谷という一つの図式が出来上がっていたのかもしれない**。 


「意識と自然」が収録されている『畏怖する人間』

 

*「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」1969年/『新版 漱石論集成』2017年・岩波現代文庫。現行のタイトルはヤマカッコ(〈〉)を抜いた「意識と自然」となっている。 

 

**言うなれば第一先行者である小宮豊隆のつくり上げた漱石像を第二先行者の江藤淳が破壊した。さらに第三走者に当たる柄谷が漱石像のパラダイムを更新した、と言える。この問題は後ほど触れる。 

 

 あるいは、柄谷本人としても、様々なものの見方、考え方の基盤に漱石論、というか、漱石を基軸に柄谷が考えたこと、考えてきたことが*、なにがしかの機会に出てしまうのだろうとは思う**。 

 

*同じことが、柄谷にとっては、漱石と並んでマルクスもそれに並ぶと考えられる。「マルクスを読むように漱石を読んできた…」(『新版 漱石論集成』2017年・岩波現代文庫の帯) 

 

**ただし、これは本書でも対話者の岩井克人がいみじくも述べているように、日本の近代の過程の中で思考する者は誰人も漱石を或る意味、物差しにして考えるのかも知れない。岩井はこう述べている。 

 

僕は、日本では、夏目漱石問題があると思うんです。漱石はイギリスというモダンの原理で動いている世界をある程度知って、日本に帰ってみるとポスト・モダンで動いている。漱石はそういう二重性を提起したわけですが、この問題はわれわれ日本で思考する者には常につきまとうテーマだと思うんですね。(本書・p.208) 

 

 さて、無論、漱石論ということで言えば、柄谷について言えば『漱石論集成』を参照するにしくはないが、その傍証として、本書収録の漱石対話についても一旦浚さらってみたい。 

 

 一つには、実証的研究への異和、ということがある。これは、批評家としては当然のことながら、漱石の学問的な研究と文芸批評的な意味での漱石論は無論、違う、ということなのだが、一旦は無数に現れて来ていただろう、いわゆる「学問的な」漱石研究に対して苛立ちを隠していない。 

 柄谷は秋山駿と対話(「漱石と現代」1977年)で次のように述べている。 

 

今の精緻な漱石研究というものが何か不愉快なんですね。非常にこまかくなってるけども、どこか根本的にだめなんじゃないかという気がする。今年日本へ帰って来てから、ある雑誌の「漱石特集」というのを読んで、本当に泣きたくなるような気がした。非常に綿密になり、こまかくなっている……言わば実証的なんですよね。しかし、科学の歴史でもそうだし、あらゆる学問の歴史がそうなんだけれども、まずあるアイディアが確定したら、そのあとすごく実証的になるんですが、その実証からあるアイディアが出てきたことはないと思うんですよ。(本書・p.98) 

 

 無論、ここで言及されている「ある雑誌」が具体的に何で、いかなる論文を否定しているかを、まさに「実証的に」問うことには何の意味はない。そこに現れていた、ある種の風潮のようなものを指していると考えてさほど間違いはなかろうと一旦考えることにする。 

 しかし、はたしてそうだろうか。 

 個人的な考えだが、ここには漠然とではあるにせよ、江藤淳の影が翳かざされているような気がしてならない。 

 柄谷の文壇デビュー作は先にも述べたように「漱石論」*である。これは、その当時、既にある一定の「漱石像」を形作っていた江藤淳に読ませるために書いたとは柄谷本人の弁である**。すなわち、ある意味「挑戦状」を叩きつけたわけだ。 

 

*「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」1969年/『新版 漱石論集成』2017年・岩波現代文庫。 

**「僕は、江藤淳に読ませるつもりで「漱石論」を応募しました。江藤淳を超えるつもりで、そのことを理解できるのは江藤淳だけだろうと思っていました。」(柄谷の発言。本書・p.585) 

 

 

江藤淳氏

 



 先行世代、例えば、江藤淳や吉本隆明らに対して、柄谷がある種の特殊な感情を持っていたことは、本書でも窺い知れる*。 

 

*以下は渡部直己との対話(「起源と成熟、切断をめぐって」2017年)から柄谷の発言。 

 

 僕は若い時に、江藤淳のことを、文章を書く手本にしていたことがあるんですよ。同じ英文学出身だし、書くことにおいて影響を強く受けた。これも余談だけれど、江藤淳が亡くなった後、福田和也からおもしろい話を聞いたことがあります。江藤がこんなことをいっていたそうです。「柄谷くんというのは実に無礼な男だ。しかし、文章はいい」(笑)。意外だなと思ってね。僕はひとに文章がいいということで褒められたことがないし。おそらく彼は自分自身の影を、僕の文章の中に見たんでしょうね。実際に僕は影響を受けていたから。(中略)吉本隆明には具体的なアドバイスをもらったことがあります。(中略)「あなたは全部の雑誌に書きなさい。『群像』や『文藝』だけでなく、『新潮』、『文學界』にも。全部に書けるようになった時、やっと一人前だといえる。(中略)吉本隆明はその頃、雑誌『試行』をはじめていたんだけど、僕に『試行』に書けとは、ひと言もいわなかったですね。そして、全部の雑誌に書け、といったのです。そういうこともあって、江藤淳にしても吉本隆明にしても、僕の中では一般に見られているイメージとはちょっと違う見方がありますね。(本書・p.p.877-878) 

 

 そんなこともあり、江藤淳の或る種の方法論上の「変更」とでも言うべきものについては強い異和感を持っていたことは想像に難くない。 

 つまり、それが「実証的方法」とでもいうものだった。 

 今となっては、ほぼ「通説」に近い捉えられ方をしているやも知れぬが「嫂あによめ登世とせ」の問題*である。言うまでもなく江藤淳が、漱石と嫂登世との間に道ならぬ関係があったことを指摘したことを指す。これに関しては、例えば、大岡昇平**との間に論争もあった。 

 

*江藤淳の以下の書目を参照。 

①『漱石とその時代』第一部・1970年・新潮選書。 

②「登世という嫂」/『決定版 夏目漱石』1974年・新潮社。 

③『漱石とアーサー王伝説』1975年・東京大学出版会。 

 

** ①大岡昇平『文学における虚と実』1976年・講談社。 

大岡昇平『小説家 夏目漱石』1988年・筑摩書房。 

 

  

 漱石が嫂とどんな関係にあろうと、作品の重量からすれば、さほどの問題ではない。もともと「精神的な意味での孤児」の「孤独感」・「孤立感」という自身の心情を以て漱石を捉えようとしてきた江藤が、例えば、この嫂の問題から、なにやら鬼の首をとったような仕儀となり、「アーサー王」研究を一つの頂点として、それ以降の「漱石論」*も含めて、実証的な方法に自縄していく江藤の自縛ぶりに、柄谷は予言者的に異和を表明しているような気がする。 

  

*これ以降の江藤の漱石論には以下のものがあるが、とりわけ『漱石とその時代』は第二部以前と第三部以後ではあたかも別人が書いたのでは思われるほど、歯触りが異なる。 

①『漱石論集』1992年・新潮社。 

②『漱石とその時代 第3部』1993年・新潮選書。 

③『漱石とその時代 第4部』1996年・新潮選書。 

④『漱石とその時代 第5部』1999年・ 新潮選書(未完作、解説桶谷秀昭)。 

 

 

 6 漱石論を巡る諸問題② 批評とは何か? 

  

 つまり、これは、そもそも「批評とは何か」という問いと隣接しているのだ。柄谷は、桶谷秀昭との対話(「漱石文学の運命」1974年)で次のように述べている。  

  

われわれは作品を読むことで、たえず漱石を発見しているというか、創造しなおしているわけですね。本当の漱石なんてものはないというのがぼくの考えです。創造しなおされたとき、漱石がまさにこんなふうだったというふうに見えてくる。それが批評というか、文章の力というものだと思う。(本書・p.63)* 

 

*注意して欲しいのが、この発言が1974年だから、最初の単著『畏怖する人間』が刊行されてしばらくたったときのことなのだ。最初の最初から柄谷は分かっていた、という他はない。 

 

 

 つまり、実証的な意味において何らかの「正解」があるわけではない。漱石を読み返す度にその都度再発見されてくるもの、それを読み解くのが批評の意味だということだろう*。 

 

*柄谷の「漱石論」の纏めである『漱石論集成』は最初に登場して以来都合2回、装いと一部内容を変えて登場している。あたかもフロイトが言うところの「反復強迫」であるかのように。 

①『漱石論集成』1992年・第三文明社。 

②『増補 漱石論集成』2001年・平凡社ライブラリー。 

③『新版 漱石論集成』2017年・岩波現代文庫。 

 

①原著

 

②増補 平凡社版

③新版 岩波現代文庫版



 7 漱石論を巡る諸問題③ 何が問題にされてきたのか? 

  

 しかしながら、それにも関わらず、その柄谷の言葉に反して、実は絶えず、われわれ読者は「〈意識〉と〈自然〉」で提示された分裂する漱石、あるいは漱石の中の分裂という主題*に強制的に送還されていく気がする。あたかも漱石の問題はここにしかない、とでも言うように**。 

 

*柄谷はデビュー作「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」の冒頭でT.S.エリオットの「ハムレット論」を引いて、エリオットが「ハムレット」の中で主人公の苦悩に妥当する「客観的相関物」がないことで作品を否定していることを、逆否定して、むしろ、相関物がないところに意味があるのだと論じた。さらにそれは「倫理的なレベル」と「存在論的なレベル」が分裂していることによるとした。 

 

**柄谷は社会学者・大澤真幸との対話で次のように述べている。 

 

漱石研究は僕以降にもたくさんなされたのですが、僕が提起した問題に反応した人がいなかった。(中略)しかし、ここから出発しない漱石論は屑くずですね。(柄谷行人・見田宗介・大澤真幸『戦後思想の到達点』2020年・NHK出版・p.31) 

 

  

 1992年(実際には91年の末*)発表の小森陽一との対話(「漱石――想像界としての写生文」)は現行の『漱石論集』に収録されている本論に当たる「漱石試論」の「Ⅰ」・「Ⅱ」・「Ⅲ」に収録されている基幹論文の全てが出そろった段階での対話である。その意味では、この対話では、柄谷における漱石論のいわば総決算に近い内容が展開されている。 

 

*この対話は「1991年12月20日」に実施されたと考えられる(本書p.378)。 

 

  

 先の註の中でも述べたが「〈意識〉と〈自然〉」で展開された、漱石の長篇小説には「倫理的な問題」と「存在論的な問題」による構造的な亀裂がある。この初期段階では、言うなればハイデッガーの論理によって表現されていた。この問題が、20年後の1990年代においては、ラカンの「象徴界」と「想像界」として見られている(本書・p.365)*。 

 

*この対話で言及されている精神医学者ジャック・ラカンの問題は『増補 漱石論集成』に収録されていた「漱石のアレゴリー」(1992年。これは『群像』臨時増刊号(1992年5月)に同時に発表された「詩と死――子規から漱石へ」とセットで考えるべき論文)に詳しい。以下余談。ところが『新版 漱石論集成』においては、同内容を一部含む講演「漱石の作品世界」(1994年)に置き換えられてしまった。確かに後者の方が、講演ということもあり、意が十分尽くされていることは間違いないが、先ほど述べた理由から、ということと「漱石のアレゴリー」には独自の意味があるという理由によって、こちらの『漱石論集成』には「漱石のアレゴリー」を、「漱石の作品世界」は『講演集成』に収録させるべきではなかろうか。 

  

 この対話でも冒頭から展開されているのが、漱石は、いわゆる「近代的な意味での小説」を書いていない。漱石が書いていたものは「写生文」、あるいはもっと言えば「文」である、という問題だ(本書・p.359)。柄谷が言うところの、この「文」というのは、ジャンルを問わない多様性のある文章のあり方だった(本書・p.p.361-364)。 

 ラカンの考え方に沿って言えば、漱石の「多様性」というが、彼はずっと「想像界」にとどまっていたわけだから、実はそういう多様な形でしか、漱石は書けなかったのだ。言うなれば、漱石は一種の「病」に陥っていたと考えられる(本書・p.364)。 

 それが、やがて漱石の中では「治癒」していった作品が『彼岸過迄』から『明暗』までの作品だということになる(本書・p.p.367-377)。 

 と、まとめてしまえば話は簡単ではあるが、様々問題は残る。 

 

 これらの漱石を巡る問題圏は、当然、これは「漱石試論」の長大なスピン・オフと言ってよいのか不明ではあるが『日本近代文学の起源』(1980年・講談社)の論域にある。 



『日本近代文学の起源』原著

 

 柄谷は「日本近代文学」が「制度」的に作られたもので、なおかつ、それは「終り」*を迎えものだと論ずる。 

 

*柄谷行人「近代文学の終り」2004年/『柄谷行人の現在――近代文学の終り』2005年・インスクリプト。この論考は、皮肉なことに日本以外の諸外国で議論を巻き起こしたらしい(柄谷行人「文学という妖怪」・ジョ・ヨンイル「実験としての批評――村上春樹、中上健次、柄谷行人」翻訳・高井修/(小特集)「『近代文学の終り』再考」/『文學界』2020年3月号参照)。 

 

 それがなぜ問題なのか?  そこにいかなる問題が伏在しているのか? 

   漱石の格闘の跡に、柄谷はいかなる格闘を見出し、そして自らの格闘といかに重ね合わせたのか、これらの問題圏・問題群をこそわれわれは問わねばならぬのである。 

 

🖊【付記 

 まだ、いくつか論じたいことがあるが、一旦ここで措くことにする。 

 本稿末で触れた問題、「「文学」とは何か――「漱石試論」Ⅰ・Ⅱ・Ⅲと「日本近代文学の起源と終り」の諸問題」についての考察を急ぐことにする。 

 

 

 

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210419 2101 

 

🖊12,736字(四百字詰め原稿用紙換算32枚) 

 

 

 

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