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2021年3月23日火曜日

眼から鱗が落ちる    柄谷行人他『必読書150』

 📚読書ノウト📚  🌀柄谷行人を読む🌀

 

眼から鱗が落ちる

柄谷行人他『必読書150』



■柄谷行人・浅田彰・岡﨑乾二郎・奥泉光・島田雅彦・絓秀実・渡部直己『必読書150』2002年4月15日・太田出版。

■1200円(税別)。

■ブックガイド・座談。

■ブックデザイン 鈴木成一デザイン室。

■221ページ。

■目次

 序文  柄谷行人

 discussion  反時代的「教養」宣言

 must books  必読書150
        人文社会科学50
        海外文学50
        日本文学50

 side readings 参考テクスト70

リストを見て呆然としている人々のために ―あとがきに代えて  奥泉光
*柄谷行人による「必読書」解題は、以下17点。

    【人文社会科学】
  • デカルト 方法序説
  • ホッブズ リヴァイアサン
  • スピノザ エチカ
  • カント 純粋理性批判
  • キルケゴール 死に至る病
  • マルクス 資本論
  • ヴァレリー 精神の危機
  • ウィトゲンシュタイン 哲学探究
  • 本居宣長 玉勝間
  • 内村鑑三 余は如何にして基督信徒となりし乎
    【海外文学】
  • フォークナー アブサロム、アブサロム!

    【日本文学】
  • 田山花袋 蒲団
  • 古井由吉 円陣を組む女たち
  • 後藤明生 挾み撃ち
  • 円地文子 食卓のない家
  • 北村透谷 人生に相渉るとは何の謂ぞ
  • 小林秀雄 様々なる意匠

■2021年3月22日読了。

■採点 ★★★☆☆。


 最低限必要とされるブックガイドとのことだが、いや、まったく読んでないのに愕然とするしかない。汗顔の至りである。


 多くの読者が柄谷の名前で手に取るのであろうが、豈図らんや、他の論者の面々も相当な書きっぷりだ。眼から鱗が落ちる、とはまさにこのことだ。


 これは、別稿でも触れることになるが、先日刊行された、柄谷の未収録対話集*に収録されていた絓秀実**・渡部直己***との対談において、彼らの相当な力量に目を瞠ったが、本書でもその力と技はいかんなく発揮されている。これは、もちろん、その人の持つ批評眼も要求されるのはもちろんのことだが、なんと言っても、とにもかくにも読書の量こそが理論的な背景になっているのは当然のことである。


*『柄谷行人発言集 対話篇』2020年・読書人。




**柄谷行人・絓秀実「ロマン派を超えて」/『流動』1980年3月号初出。

***柄谷行人・渡部直己「天皇と不敬小説」/『週刊読書人』1999年9月10日号初出。柄谷行人・渡部直己「起源と成熟、切断をめぐって」/『週刊読書人』2017年3月3日号初出。


 さらに、造形作家にして美術評論家の岡﨑乾二郎が該博なる知識と経験に裏打ちされた端倪すべからざる批評を繰り出してくる。これには驚いた。岡﨑に『ルネサンス 経験の条件』(2001年・筑摩書房*)なる主著があることも知ってはいたし、それを浅田彰が激賞していた**ことも頭に入っていたが、いやはや恐れ入った。



*現在は文藝春秋から発行されている文春学藝ライブラリーという文庫に入っているが(2014年)、どうして、筑摩書房はこれをちくま学芸文庫に入れなかったのであろうか?   謎だ。

**大澤真幸・田中純・岡﨑乾二郎・浅田彰「共同討議 『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」/『批評空間』III-1・2001年10月・ pp.121-162。


 さて、もちろん全部読まねばならぬが、残された時間を考えると、なかなかそうもいかぬ。

 気になったものだけ挙げてみる。

 キルケゴール『死に至る病』(1849年/斎藤信治訳・1939年・岩波文庫)について、柄谷によればこうだ。




「人が信仰に至ることなどありえない(中略)。信仰していると思っている人も、実は絶望している(ことを知らない)。さらに、絶望していることをどんなに自覚しても、それから出られるわけではない。キルケゴールによれば、いまだかつて、キリスト教徒などいたことはないのだから。」(本書・p.71)


 というのだが、では一体どうすればいいんだ、と叫びたくなる。


 あるいはアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』(1924年/巌谷國士訳・1992年・岩波文庫)について、いささか文脈が捉えづらいが、岡﨑はこう紹介する。


「《精神にとって、あやまちをおかすことの可能性は、むしろ善の偶然性なのではないか》という彼の認識を共有することは容易ではない。」と言っているように、これだけではなんだか分からないが、「本書(中略)から知ることができるのは、主観という偶然(責任)から必死で脱出しようとする、きわめて理知的な方法の数々である。」とされてある(本書・p.79)。個人的な関心で言えば「偶然」をどう捉えるかということのヒントが隠されているようである。


 さらにまたマーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』(1962年/森常治訳・1986年・みすず書房)について、やはり岡﨑は「メディアの変化は社会の組成のみならず、個々の人間そのものまでをも変容させる。すなわち精神は内容ではなく、メディアによって形づくられた容器である。」と述べている(本書・p.88)。


当然と言えば当然のことではあるが、熟慮とともに、現代的な事例を踏まえつつ、さらなる具体的な検討が要求されるであろう。



 以上のような次第であるが、ないものねだりを一つ言うと、ぜひどこかの書肆で、本書の新書版か文庫版を出してくれないだろうか。多分このままだと埋もれていくに違いない。


🐦

2021/03/23 3:22


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