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2018年3月2日金曜日

本が俺を呼ぶ(気がする)

本が俺を呼ぶ(気がする) 


2018年2月24日(土曜日)晴れ    暖かいようだ 






     昨日とは打って変った暖かさだ。昨日は凍るかと思った。 
  tkのoeで5時に起きて、念には念を入れて早めに行ったら、6時30分に着いた。そこから解散まで2時間立ちっぱなしだった。問題は寒すぎたということと、さらにそれに輪をかけて小雪というか霙までちらつき始めてしまったということだ。 まーそういうこともあるね。こういうのは嫌いではないのだが、腰痛がますます悪化。 

 2018年3月1日(木曜日)小雨後晴れ  5月中旬の暖かさだそうだ  

 そんなこんなでいろいろあったが、本日はTKのHPの日。例のごとくCKに出向く。辛くも3/5であった。なかなか難しいな。 
  昨日IYなことがあったのでKSに行くのを回避する。これでKBになったらそれはそれで……である。  

 こんな日はブックオフで散財する。  
 というかこの間の巡礼記を書いていなかった。  
 まず、例のごとく調布・円居に行った。この日は2月23日のことだ。あまり店内を物色せず、coco壱のカレーを食べに行った。  

①中沢新一・赤坂憲雄『網野善彦を継ぐ。』2004年6月25日・講談社。……帯のコピーが「その鋼のバトンを」というもので、ずっと読みたかった。二人は、全くもって「ポスト網野」というそぶりを全く見せずに*、着実にその地歩を固めているようだ。羨ましい限りだ。 

*専門が違うのでそういう感じがするのかな。 
  
②古市憲寿・國分功一郎『社会の抜け道』2013年・小学館。……國分さんの著書はすべて読みたい。  

 もう一回行った。いつ行ったのか?  

③中村雄二郎『現代情念論』1962年・勁草書房。……なんと中村雄二郎のデヴュウ作である。中村さんについては別稿*でも触れたが、80年代においては圧倒的な影響力を持っていた(気がする)。『術語集』(1984年・岩波新書)はほぼ辞典がわりでボロボロになってしまった。80年代のわたしのなかではこれと浅田彰の『構造と力』(1983年・勁草書房)と三浦雅士の著作の全点が必携アイテムだった。  
 後に書かれる哲学・思想・批評史においては中村さんの分がいささか悪い気がするが、しつこく言うが『術語集』の与えた影響は計り知れない。 

④多木浩二・今福龍太『知のケーススタディ』1996年・新書館。……多木さんの凄さももっと知らしめるべきだ。『天皇の肖像』(1988年・岩波新書)を始めとする新書で刊行された一連の書目の、啓蒙書でありながら専門書のレヴェルを落とさないという尋常ならざる偉業を成し遂げた……学者である、と書こうとして、一体多木さんは何者、何が専門なのだろう、という謎が浮かんで来る。もちろん、これは肯定的に述べているのだが。 

 という訳で、今日は時間の関係もあって、円居には行かず稲田堤のブックオフへ。 当初の目的は網野さんの未読の著書をゲットすること。 

⑤網野善彦『東と西の語る日本の歴史』1982年/1998年・講談社学術文庫。……これは未読。  

⑥網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』(正)1991年・(続)1996年・筑摩書房/2005年・ちくま学芸文庫。……これはちくまプリマーブック版で持ってるし、もちろん読んでるが、例のごとく発見できないので。  

⑦網野善彦『歴史を考えるヒント』2001年/2012年・新潮文庫。……これは雑誌『波』連載中から読んでいた(はずだ)。  

⑧池田晶子『人生は愉快だ』2008年・毎日新聞社。……なぜか池田さんの著書は10数冊持っているはずだが、なぜかほとんど読んでいない。なぜだろう。  

⑨末木文美士『日蓮入門』2000年・ちくま新書。……末木さんは、日本の仏教学者で信頼に足る、数少ない学者の一人である。その著『日本仏教史』(1992年・新潮社)は大変有益であった。  
 恐らく、わたしに残された時間を考えるとそこまで辿り着けないだろうが「日蓮教学の哲学的脱構築」及び「日蓮の教団」のために。  

⑩千田琢哉『好きなことだけして生きていけ』2013年・PHP研究所。……お説全くその通りである。同様の書題にホリエモン(堀江貴文)の『好きなことだけで生きていく。』(2017年・ポプラ新書)があるが、昨年の春ぐらいからこのテーマが無視できない存在となってきた*。しかし問題は山のようなSKだ。これさえクリアできれば問題ないのに。 

 *今Amazonで検索したら、同種のタイトルの書目が5、6冊存在する。つまり多くの日本人は内心「好きなことだけをして生きていたい」と思いつつも、この種の啓発書を読むだけで満足して、翌日から「社畜」に戻っているというわけか。 
 別稿でも記したが、日本において、このような啓発書の類いが一定の購買層を保持していることは社会学、あるいは社会思想(史)的な分析の対象と充分なりうる。 別の観点で言えば、日本人の社会倫理の中の「好き」という価値指標は著しく低いというべきだろう。つまりは「あなた自身はどう思うか、どう感じるか」という質問に弱い。つまり、答えられない。周りがどう思っているかが大切なのだ。要するに自分では何も考えていない。しかし、それが「会社社会」では最も重要なことなのだ。 


(11)丸山眞男『忠誠と反逆』1992年・筑摩書房。……まだ、わたしの学生時代には丸山眞男は存命中で、リアルタイムで『フルトヴェングラー』(ただし著者名は脇圭平・芦津丈夫・1984年・岩波新書)やら『「文明論之概略」を読む』(全3巻・岩波新書)なんかが次々と刊行されていたが、わたしの理解力不足で後者は上巻の冒頭であえなく挫折。  
 これは単行本で、帯こそなかったが、なんとたったの510円。そういえば先日見た、小林の『本居宣長』の単行本も500円だったな。そんなものなのか。  

     つまり、朝一で吉野家で牛丼を食べ、CKに行き、稲田堤のブックオフに行く。多摩センターに戻り、銀行回りをしてSKを返し、丸善。クロガーに行き、馴染みの薄い牛丼屋(名前失念)でカレ牛を食う。そのとき正面の(10メートル以上離れていたが)ミニスカートをはいていた女性がカウンターに座っていたので、危ないなと思って、「エロの倫理学」の記念すべき第一回「スカートの謎」の構想を得る。 同じクロガー内のカフェ(名前失念)の屋外のテイブルに行って上記を書き始めるが風が強いのとキーボードの電池が切れかけているのか、入力が難しくなったので撤退。 フーディアムに行きカレーの準備を買い集めて帰宅。疲労。 

 2018年3月2日 
 🐣  

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