突撃、自分の◯ご飯!
2017年10月10日(旧体育の日)・火曜日・昼ご飯
ペッパーロースハムと熔けるチーズとキャベツのホットサンド with コンソメスープ。
■ペッパーロースハムと熔けるチーズとキャベツのホットサンド
大体いつも同じものを食べ続ける。食事的に独り暮らしだから食材が続くということと、まー、ホットサンドが料理だとしてということだが、同じ料理を少しづつマイナー・チェインジ、工夫、改良を加えていくわけだ。それで料理の味が向上するのかというとなかなかそうでもないのが残念ではある。
野菜を挟むならクレソンのような苦味を持っているものが望ましい。キャベツは生よりも、茹でるかレンジで加熱するかして、少し火を加えた方が、味、歯触りという観点から良さそうだ。
ところで、この問題は、キャベツのところで言う話でもないかも知れぬが、加熱することの味覚との関係性の考察へと我々を誘惑する。
本来火の使用そのものが生物的存在と相反するものだが、したがって人類を除くあらゆる生物は加熱しない生の形で食物を摂取する。つまり本来は生の形で生物的に「うまみ」を感ずるのである*。
*文化的な違いはあるにせよ、刺身で食べる生魚や卵かけご飯の美味さは他に換えがたい。しかしこの日本文化は人類的には相当な例外であろう。逆に日本人は野菜を生の形、つまりサラダの形態で摂取しない。欧米とは自生している野菜が違うのかも知れぬがほとんどは煮物ではないか。これは何故だろう。これと合わせて獣肉食の採否の問題も考えねばならぬ。忙しいな。こんなことやってられないんだけど……。
しかしながら人類はむしろ、その逆である。生の形での食物摂取は恐らくほとんどの文化圏で忌避される。
これは何故だろう。
偶然、火の入った食物を口にして、それにうまみを感じる。それが文化的に広がるというのは一旦はよしとしても、本来生で十分うまみを感じて然るべきところを、何故人類(だけ?)は加熱されて変質しているであろうものにも、うまみを感ずるのであろうか。おかしくないか。
さらにはこの加熱の問題は「苦味」の問題と接続する。苦味の主要な要素は「焦げ」である*。
*無論、他にも植物が持つ「あく」「えぐみ」などもあるが、詳細は別稿にて。
加熱によってなんらかのうまみが活性化するとしても、過加熱の帰着点であるところの「焦げ」には、炭化することで、なんらの栄養分も含まれていない。しかし適度な焦げを人類はうまみと感ずる。これは何故なのか。
さらに言えばこの問題は、根元的には、人類における「火の使用」の問題と関わってくる。が、到底そこまで論究することはわたしの手に余る問題ではある。まー無理でしょう。
■コンソメスープ
単なる粉末のインスタント。アサツキとかパセリとか散らすとよかったんだけど、在庫がなかった。
ちなみに本日10月10日は、我が愛するA**.Y*子さんの54回目の誕生日だ。Y*子さん、誕生日おめでとう。生きてますか。もう40年もお会いしていませんが、40年なんかあっという間ですね。二度とお会いすることもないでしょうが、お元気で。
シュート打つ女子中学生に薔薇ひとつ
20171010 13:33ー15:21
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