💊ガシャポン放浪記
ガシャポンとは世界征服の密やかな表れである
――ガシャポン放浪記――前書 ・改訂版
ガシャポンとは何か?
浅学にして私はガシャポンの成立とその歴史、あるいはその意味、影響については詳らかにしない。
ガシャポンとは株式会社バンダイの登録商標で、ほかにはガチャポンとかガチャガチャとかと称する、小型の自動販売機を経して販売される、100円から400円ぐらいの価格帯のカプセルトイのことである。
wikipediaによれば、カプセルで商品が供給される小型自動販売機そのものは1960年代にアメリカで発明されたそうだが、70年代に日本に輸入され、今に至っているらしいが、見たわけでもないので、どうもそんなところだ、で誤魔化すことにする*。
*そう言いながらこのような日常の些細な文化的表徴を真面目に考察することはとても大切な学問的営為だと考える。しかしながら、一介の会社員である私には及ぶべくもないので、対処療法的な単なるエッセイでお茶を濁すことにしよう。
ところで、わたしが最初に買ったガシャポンの類いは一体何だったのだろうか?
全く思い出せない。
最初に映画館で観た映画なら覚えている。東映マンガ祭りで「仮面の忍者 赤影」の3D版を観た。例の赤青のメガネが必要だったが、まだ幼稚園児だったので無くしてしまったことも覚えている。 近所のひろみちゃんとさとみちゃんの姉妹と行った。ひろみちゃんがわたしの初恋のひとだ。まーどうでもいいか。
ガシャポンではないが、当時ケロッグのコーンフレークにおまけがついていて、これがなかなか精巧なものだった*。
*これは今でも持っている。
その辺からその類いを集め始めて、社会人になってからいわゆる大人買いというのか、「ふんだんな」資力にものを言わせて病気のように買い集め始めた。
ベストヒットは簡単には言えないがキカイダーとハカイダーだろうか。これについては、また別稿で触れたいと思う。
さて、そんなわけで冒頭の問いかけに戻る。ガシャポンとは一体何なのか、と。
ガシャポンとは、ある意味では世界の一部分を圧縮した形で自らの手中に納める*、世界征服の野望の密やかな表れである。無論、模型というものはそもそもがそのような性格を持っていることは云うまでもない。しかしながら、それが手のひらに収まる、カプセルに収納されている、という点こそが、単に子供心に訴求するというよりも、〈世界模型〉**を作ろうとする日本人の〈縮み志向〉***に触れたと考えられないだろうか。したがってガシャポンは極めて日本的な文物であり、かくまで日本文化に根付いたのも、充分理由のあることなのである。
*例えば「庭」がそれに当たる(加藤周一「日本の庭」/『芸術論集』1967年・岩波書店)。さらにこの問題は、例えば臨床心理療法の技法の一つ「箱庭療法」へと展開していく(河合隼雄編『箱庭療法入門』1969年・誠信書房)。なぜ箱庭を作る(構成する?)ことで人は自己治癒していくのか、恐らくそれは「世界」を 俯瞰することから来るある種の全能感によっているのではないか?
**云うまでもなく吉本隆明の術語(『マス・イメージ論』1982年・福武書店。『ハイ・イメージ論』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・1985年~1987年・福武書店)。
***李御寧『「縮み」志向の日本人』2007年・講談社学術文庫。
2016年6月23日改訂
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