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2024年8月13日火曜日

三浦雅士――人間の遠い彼方へ その7 第4章 起源の方へ(承前)   2 『毎日新聞』での書評

 

三浦雅士――人間の遠い彼方へ その7

 

鳥の事務所

 

 


 

 

章 起源の方へ(承前)

 

              2 『毎日新聞』での書評

 

 村上春樹さんの短篇に「ファミリー・アフェア」という作品があります。その中で主人公は新聞を開き、書評欄を見ると全くつまらないものばかり載っているといいます。

 

新聞社はきっと我々にいやがらせをするためにこういう本を選んでいるのだろう。(村上「ファミリー・アフェア」/『パン屋再襲撃』1986年・文藝春秋/1989年・文春文庫・p.95

 

 もちろん村上さん一流の冗談なのだが(なにしろこの作品で、共同生活をしている兄妹は、主人公の兄によると家事を分担していて、妹が洗濯を、兄が「冗談を担当している」というぐらいだから)、実際に、こんな本一体誰が読むんだろうという選書がしばしば行われていて、全く笑えない冗談なのです。新聞社の「一流」で「優秀」な記者たちは多くの国民の読書欲を殺ぐことに全力を挙げているのではなかろうかと勘繰ってしまうこともままありますね。それはさておき、その意味では新聞紙上のそれに限らず、書評の役割は極めて高くあってしかるべきなのです。

   先にも述べたように三浦さんの批評の基本形は「書評」、つまり、まず本を読み、それについて論ずる。これに尽きる訳で、あとは媒体によって読者や、規定の文字数が違う。その長短によって、扱う書物の冊数が異なるに過ぎません。

 かつて、小説家、随筆家、翻訳家にして稀代の批評家でもあった丸谷才一さんは『朝日新聞』の「文芸時評」1973年~74年)を担当するに際して、雑誌・新聞掲載作品ではなくて原則、書物の形で刊行されたものしか扱わないという、通例に反する方針でこれに臨みました(のちに『雁のたより』1975年・朝日新聞社にまとめられました)

 それはともかく、三浦さんにとって「書評」という形態は、先に述べた「文庫解説」と並んで、いや、それ以上に重要な位置を占めているはずです。三浦さんは現在『毎日新聞』の書評を担当*しています。ほぼ月に一回の割合で掲載されているようです。

 

* 『毎日』は他の新聞社が使用している「書評委員」という呼称を使っていません。理由は不明。

 

 個人的な感想だが、全国紙の書評欄を読み比べてみると、何となくだが『毎日新聞』が一番興味が持てる紙面作りになっているようです。ご存じの方も多いと思うが、これには理由があります。今はもう鬼籍に入った丸谷才一さんの手になるものだ。先ほど述べたように、書評委員という言い方ではないが、書評担当者は決まっているようです。その書評メンバーの元締め(「顧問」という肩書だったようだ)のような人物がいて、これが長らく丸谷才一さんだったのです。


丸谷才一氏


 三浦さんは丸谷さんが亡くなった際に、丸谷さんの盟友とも言うべき劇作家・批評家の山崎正和さんと「丸谷才一を偲ぶ」と題して対談をしています。

 

山崎  私も丸谷氏も最後には「編集者」になったんだと思う。 これは、本当にそう。何故かというと、我々は文学グループもつくらなかったし、もちろん文壇の大将にもならなかったけれども、社会活動として文筆を励まそうという活動をやっているんです。私の場合は、それがサントリー文化財団を手伝うことになったし、丸谷さんにとっては、それは「毎日新聞」の書評欄だったわけね。

三浦  「週刊朝日」からのね。

山崎  つまりこれは彼自身が、派閥ではなくて編集をやろうとしたということです。書評で才能を発見して、それを育てて、大きな紙面を提供することです。おそらく丸谷才一氏のお蔭で書評家になったという人は、かなりいると思いますよ。彼がいなかったら、なれなかった。

三浦  少なくとも書評が非常に重要なジャンルであるという意識が芽生えたということは、確かだと思います。(山崎・三浦「丸谷才一を偲ぶ」/『アステイオン』078・2013年・サントリー文化財団・CCCメディアハウス・p.246

 

 書評者、というよりもこの場合は書評面の編集者、編集長ということだろうが、丸谷さんのこの面での功績が絶大であったというのは両者の一致するところです。

 以下は『Wikipedia』の「丸谷才一」の項を参考にしてほぼ孫引き。註を付け替えました。

 

戦後大学院生の頃に洋書の輸入が解禁になり、イギリスの『ニュー・ステイツマン』『サンデー・タイムズ』『オブザーヴァー』などを読むようになって、書評欄の面白さに気づき*、イギリスの書評が文学になっていることの衝撃を受ける。それは内容の紹介、本の評価、書評には文章を読む楽しみがそなわっていなくてはならないこと、批評性(これが最も重要なことと丸谷は考えていた)である**

 

*丸谷「書評と「週刊朝日」」・「扇谷正造と齋藤明が作ったもの」/『快楽としての読書 日本篇』2012年・筑摩書房。

 

**湯川豊「書評の意味――本の共同体を求めて」/菅野昭正編『書物の達人 丸谷才一』2014年・集英社新書・pp.63-95

 

 まずはこれです。まず書評とは単に対象とする書物の価値の判定を下すだけにとどまらず、とにもかくにも文学として読めるものでなければならないのです。それは、書評が基本形であって、批評そのものこそ、まさに文学として読めるものでなければならないのです。すなわち、「文芸としての批評」ということになります。これについては本章第8項にて触れました。

 

そして1970年から『朝日新聞』、次いで1972年から『週刊朝日』の書評、1977年から『文藝春秋』の「鼎談書評」も担当していたが、1991年に『東京人』誌で新聞の書評を批判したのが『毎日新聞』編集局長の斎藤明の目に止まり、毎日新聞が書評欄の大刷新を行った際1992年)には同社の委嘱によって顧問に就任*。企画段階から深くかかわり、特色ある紙面づくりに大きく寄与した。同顧問は2010年に辞した。書評を文芸の一つとして見なすべく主張し、毎日書評賞を発足させた。書評の長さを四百字詰原稿用紙で3.5枚と5枚のふたつにする。書評者の名前を大切にし、大きく出す。本の選択は編集会議など開かずに、書評者がほんとうに扱いたい本を扱う。希望が重なったときは、先着順。全体に明るい雰囲気にするために、第1ページに和田誠のイラストを大きく使うなどである**

 

*丸谷「三ページの書評欄二十年」(『別れの挨拶』集英社 2017年)

 

**湯川豊「書評の意味――本の共同体を求めて」/菅野昭正編『書物の達人 丸谷才一』2014年・集英社新書・pp.63-95

 

 丸谷さんが「編集長」として辣腕を振るった書評面は現在3冊の書物*となって人々を楽しませています。

 

* いずれも丸谷才一・池澤夏樹編で2012年・毎日新聞社刊。

①『愉快な本と立派な本――毎日新聞「今週の本棚」20年名作選(19921997)

②『怖い本と楽しい本――毎日新聞「今週の本棚」20年名作選(1997~2004)

③『分厚い本と熱い本――毎日新聞「今週の本棚」20年名作選(20052011)

 

 三浦さんは2014年の1月26日分から『毎日』の書評を担当し、今に至っているから、『毎日』紙上では擦れ違いということになるが(丸谷さんは20121013日没)、三浦さんと丸谷さんとの交流は今に始まったものではありません。そもそものことの発端は1988年に、丸谷さんの随筆集『コロンブスの卵』のちくま文庫版に三浦さんが解説を書いたことではないかと推測します。「年譜」によれば、経緯は不明だが、1990年の12月に「丸谷才一を知る」とあります(「年譜」p.334。三浦さんと大岡信さんとの関係、大岡さんと丸谷さんの関係を考えれば遅きに失した感がなきにしもあらずではあるが、人と人との出会いなど得てしてそういうものでしょう。

 翌1991年の7月刊行の、丸谷さんの名作短篇『樹影譚』文庫版の解説を三浦さんが担当しています。この『樹影譚』については、先に触れた山崎正和さんとの対談でも言及しているし、「孤独の発明」本篇でも言及されています。

 その後1997年に『たった一人の反乱』の講談社文芸文庫版への解説、2012年、書評集『快楽としてのミステリー』のちくま文庫版への解説執筆などが続きます。

 また、書誌学者・フランス文学者の鹿島茂さんも加えた鼎談形式で次の2著があります。

 

①『千年紀のベスト100作品を選ぶ』2001年・講談社。

②『文学全集を立ちあげる』2006年・文藝春秋。

 

 丸谷さんの歿後ということになるが、『丸谷才一全集』(全12巻・2013年~2014年・文藝春秋)の編集委員の一人となりました。他の編集委員は池澤夏樹・辻原登・湯川豊です。三浦さんはこのうち第一巻『エホバの顔を避けて』、及び『日本文学史早わかり』、『後鳥羽院』など収めた第7巻『王朝和歌と日本文学』、そして第10巻『同時代の文学』の解説を担当しました。

 以上のように考えると三浦さんに対する丸谷さんの影響力は並々ならぬものがあったのではないかと推測されます。

 現在、三浦さんは俳人・長谷川櫂さんや国文学者・歌人の岡野弘彦さんたちと歌仙、つまり連歌であるが、集団による歌作に取り組んでいます*

 

* ①岡野・長谷川・三浦『歌仙――一滴の宇宙』2015年・思潮社。② 岡野・長谷川・三浦・谷川俊太郎・三角みづ紀・蜂飼耳・小島ゆかり『歌仙――永遠の一瞬』2019年・思潮社。

 

 無論、これは主として大岡信さんの主導*によるものだが、その流れの中に丸谷才一さんの名前もある**。最近では小説家の辻原登さんも登場しています***

 

*三浦さんの手になる「大岡信・谷川俊太郎 対象年表」によれば1970年の下りに「安藤次男・丸谷才一らと連句を始める」とあります(菅野昭正編『大岡信の詩と真実』2016年・岩波書店・p.118)。連句も歌仙も同じだが、36句のものを歌仙と称します。その後の大岡さんの広く「共同詩作」の試みについてはここでは書ききれません。

 

**①石川淳・大岡・安東・丸谷『歌仙』1981年・青土社。②石川・大岡・安東・杉本秀太郎・丸谷『浅酌歌仙』1988年・集英社。③井上ひさし・大岡・高橋治・丸谷『とくとく歌仙』1991年・文藝春秋。④大岡・岡野『すばる歌仙』2005年・集英社。⑤大岡・岡野『歌仙の愉しみ』2008年・岩波新書。

 

*** 永田和宏・長谷川・辻原登『歌仙はすごい――言葉がひらく「座」の世界』2019年・中公新書。

 

 言うまでもないですが、丸谷さんも三浦さんも辻原さんも、専門の詩作家ではありません。有体に言えば素人*です。ではあるが、文学の根源が詩・歌にあるとすれば、小説や批評の実作と当然裏と表の関係になりはずです。もとより丸谷さんという「大素人」**がいたからこそかくなる状況も現出しているのでしょう。

 

*三浦さんは岡野さんの推薦で参加したらしい。「素人には素人なりの価値があるということだろう。」としています(三浦「歌仙「楼蘭」のための付記」/『現代詩手帖』201411月号・思潮社・p.17)。

 

**もちろん丸谷さんには句作の経験はあるけれど。1995年に立風書房から『七十句』という句集を出しています。その後『丸谷才一全集』の特典の付録でつけられた『八十八句』があり、2017年に合本の上『七十句 八十八句』として講談社文芸文庫から刊行されました。2017年のことです。

 

 参考のために、歌仙とは何ぞやとのくだくだしい説明をする場所ではないので、単にその実例を、三浦さんが参加したものから挙げておこう。第一連を引用します。「乙三」は岡野さんのことです。

 

 

  楼蘭の

手ぶりすゞしく舞ふ 

をとめ                                     乙三

 

 青極まれり

草原の夏                                  雅士

 歌うたひ

  いづこの国の

   俘虜(ふりょ)の列                        

 

  ふるさとさして

 鳥わたるなり                        

亡き友を偲ぶか

  月も影さして                    

 

 戻り鰹の漬づけが

 好物                                    

 

(岡野・三浦・長谷川「楼蘭――歌仙・一滴の宇宙 7」/『現代詩手帖』201411月号・思潮社・p.p.10-11

 

 

 三浦さんが『毎日新聞』に寄稿した書評の一覧は巻末をご覧ください。無論、三浦さんの書評執筆は他にもあることは言うまでもありません。

 ジャンルは、わたしが暫定的なものとして仮に区分けを行いました。これを見ると、案外現代小説は少ないですね。2作品しかありません。ポール。オースターさんの『写字室の旅』と、辻原登さんの『籠の鸚鵡』です。前者は翻訳者が柴田元幸さんで、後者の辻原さんは三浦さんと比較的近い関係にあるからだと思われます。

 いずれにしても他を見ると比較的、固いものが多い気がします。言語論・言語哲学や、歴史関係で言えば、文明史や東アジア関係のもの、音楽や舞踊関係も多いです。

 こればかりは他の書評担当者とのバランスを取るといった面もあるので簡単には言えないが、むしろ、三浦さんはこれ幸いと自分の著作のための下勉強という側面もあったのではないでしょうか。無論これは結果的にそうなったとしても、という意味もあります。

 例えば、言語学・言語哲学関係について言えば、これとほぼ同時期三浦さんは『群像』誌上において『言語の政治学』を連載中でした2016年7月~17年8月)。後で述べるように『言語の政治学』はその題名の通り「言語論」がその中心テーマとなっています。とりわけその第三章 「「言語の機能は自分を苦しめることだ」」では、ノーム・チョムスキーの特異な言語哲学について展開されています。

 

【表 言語学・言語哲学関係のみ抽出】

 

書名

著者等

ジャンル

4

言語起源論の系譜

互盛央

言語論・言語哲学

11

歴史言語学の方法-ギリシア語史とその周辺

松本克己

言語論・言語哲学

16

チョムスキー 言語の科学-ことば・心・人間本性

聞き手 J・マッギルヴレイ

言語論・言語哲学

26

音のかなたへ

梅津時比古

言語論・言語哲学

27

チョムスキー言語学講義

ノーム・チョムスキー、ロバート・C・バーウィック

言語論・言語哲学

 

 

 

 また、歴史関係の書目についての書評が多いが、とりわけ文明史、及び東アジア史に関するものが多いです。前者について言えば、1984年、ニューヨークにて、三浦さんが舞踊と遭遇して以来、舞踊こそ芸術の根源だと断定するに至ったのも、人類の全ての営為を文明史的捉え直すという視点から来ているからです。それらは、例えば『身体の零度』や『考える身体』などに表れているが、後者が文庫化された際に付加された長文の「あとがき」に、その思考の現段階での頂点を示していると言えます。

 

【表 歴史・文明史関係のみ抽出】

 

書名

著者等

ジャンル

1

近代世界システム 1~4

I・ウォーラーステイン

歴史・文明史

31

馬・車輪・言語――文明はどこで誕生したのか

デイヴィッド・W・アンソニー、東郷えりか・訳

歴史・文明史

42

暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病

ウォルター・シャイデル、鬼澤忍、塩原通緒訳

歴史・文明史

 

 

 

 

 

   また、東アジア史関係の書目が6冊ほど見られます。こちらは2017年から2020年にかけて『アステイオン』誌に連載の後に、未だ刊行されざる「世界史の変容・序説」のとりわけ、連載第1、2回「中国宋代から考える」に反映されています。

 

 

【表 歴史・東アジア関係のみ抽出】

 

書名

著者等

ジャンル

7

シリーズ 東アジア海域に漕ぎだす 全六巻

小島毅・監修

歴史・東アジア史

9

東アジア史の実像-岡田英弘著作集6

岡田英弘

歴史・東アジア史

23

アジアの思想史脈-空間思想学の試み

山室信一

歴史・東アジア史

30

「大分岐」を超えて アジアからみた19世紀論再考

秋田茂・編

歴史・東アジア史

43

江南の発展 南宋まで シリーズ中国の歴史(2)

丸橋充拓

歴史・東アジア史

47

「中国」の形成 現代への展望 シリーズ 中国の歴史(5)

岡本隆司

歴史・東アジア史

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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