このブログを検索

2021年4月18日日曜日

これは「旅」なのか? 吉本隆明『漱石の巨きな旅』

 📚読書ノウト📚  🐈漱石を読む🐈 ⓨ吉本隆明を読む 

  

これは「旅」なのか? 

吉本隆明『漱石の巨きな旅』   

  


    

■吉本隆明『漱石の巨きな旅』1997年/2004年7月25日・日本放送出版協会。 

1,200円(税別) 

■中篇評論(夏目漱石・近代日本文学)。 

■装幀 芦澤泰偉。 

189ページ。 

2021年4月15日読了。 

■採点 ★☆☆☆☆。 

  

 漱石の生涯になした二つの「旅」*について論じたもので、もともとフランスの雑誌**の需めに応じて書かれたものとのことだ。 

  

*1900年から1903年にかけて行われたイギリス・ロンドンへの留学と「満韓ところどころ」(「どころ」は正確には踊り字〈繰り返し文字〉「ぐ」を三文字分取る/1909年)という紀行文として残っている、1909年満州、朝鮮への旅のこと。 

  

**La Quinzine Littéraire-Louis Vuiton,1997. 

  

 しかしながら、いくつか疑問がある。 

  

 (1) 「旅」がテーマになっているが、そもそも「旅」とは何か、ということもさることながら、漱石の旅の一つ目のロンドン留学について言えば、果たして旅と言えるのか。2年もイギリスにいたわけだから、むしろ、旅というより滞在に近い。それも「旅」だ、とするのであれば、なんらかの説明がいる気がする。 

 せっかく冒頭「旅ということに近代的な意味を与えはじめたのは田山花袋ではないかとおもう。近代的意味というのは、もともと日常く返している職業の都合からではなく、名づけようもない動機の旅にいわば形而上学的な意味を付けはじめたというほどのことを指している。」(本書・p.9)と始めておきながら、この件はどこかに忘れ去られてしまったようだ。 

 個人的な見解をさし挟めば、恐らく動機なり、理由なり、目的なりが漠然としているものが、「旅行」と「旅」を分かつものだと考えるが、果たして、そこに「近代的意味」となると、即答し難い。 

 そもそも、今回取り上げられている漱石の「旅」が果たしてこれに合致するかどうか? 

  

(2)大半は漱石の原文、あるいは現代語訳の引用文から成立している。もちろん、漱石の小説を読むものは無数にいても、『文學論』や日記あるいはメモ、断片の類まで読むものはそうざらにはおらぬであろうから、これはこれでありかな、とは思うが、フランスの読者はどう思ったであろうか。 

  

(3)おそらく、その意味では漱石の原文(現代語訳も含めて)を以て語らしめよ、ということのだろうが、吉本自身のコメントが少ない。わたしの読解力の至らなさであろうが、要するに漱石にとってこの二つの旅の意味が今一つ摑みとれなかったのは残念だ。 

  

 ただ、漱石初期の文章から「満韓ところどころ」に至るまで精緻な分析がなされているのは流石というしかない。 

 吉本の漱石論は、本書とは別に『夏目漱石を読む』(2002年・筑摩書房)がある。そちらを参照したい。 

  

🐦 

2021/04/18 0:08 

🖊1,227字(四百字詰め原稿用紙換算4枚) 

  

  

 

0 件のコメント:

コメントを投稿