📚読書ノウト📚 🐈漱石を読む🐈 ◎丸谷才一を読む◎
テーマは良かったけれど……。
■丸谷才一『闊歩する漱石』2000年7月28日・講談社。
■1,600円(税別)。
■中篇批評集・エッセイ集(夏目漱石・近代日本文学・世界文学)。
■装幀・装画 和田誠。
■244ページ。
■2021年4月8日読了。
■採点 ★★☆☆☆。
質問にうまく答えるよりも、うまく質問する方が難しくて、大切なんだ、と言ったのは、かの小林秀雄だった気がする*。
*「実際、質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。」(小林秀雄『学生との対話』2014年・新潮社・p.116)/「ベルグソンは若いころにこういうことを言っています。問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。問題をうまく出せばそれが答えだと。」(小林秀雄「人間の建設」(岡潔との対談)/『小林秀雄全作品』25・2004年・新潮社・p.187)
その意味では、問題はよかったのではないか。
ただ、残念ながら丸谷才一らしからぬ歯切れの悪さを感じた*。
*なにしろ、いつもの註がない。題名が意味不明。
正直言えば、これだけの結論であれば、どこかのエッセイにちらりと書き付けておく、ということでもよかったのでは、とも思う。要するに長過ぎる、ということだ。
本書には以下の3本の中篇の批評が収められている。
①「忘れられない小説のために」(原題「『坊つちやん』と文学の伝統」)
②「三四郎と東京と富士」
③「あの有名な名前のない猫」それぞれのテーマ(問題)は以下の通りだ。
①これは原題通りで『坊つちやん』に登場する「坊っちゃん」の罵り文句が日本文学の「列記」という伝統を引いている。
②『三四郎』で主人公が上京する際に、広田先生に富士山を見るように言われるが、汽車の中でも、東京でも富士山を見上げるシーンがないのはなぜか?
③これまた『猫』が世界的な文学的伝統(メニッペア)を引いている。
という訳なのだが、①については、まーその通りなのであろうが、針小棒大というしかないので、このまま措く。
②はいささかならず重大であろう。丸谷はこう述べている。
すなはち、富士山はまさしく、はじめは大事な主題でありながら次第に後退してゆく「日本の状態」の象徴のやうなものであつた。/それにもともと漱石には富士山に対するアンビヴァレントな感情があつて、もちろん愛着はあるけれど、それを素直に表明しにくく、また、表現の仕方がむづかしいのかもしれない。 (本書・p.149)
どうだろうか? これについては一考の余地があると考える。
まずもって富士山が日本の「象徴」なのか、どうかという問題、仮にそうだとしても、それが漱石にとってはどうだったのか。あるいは「見上げる」とか「遠望する」という、そのような人間の行動の意味を「避けて」いたのかも知れない。では、そこにどんな意味があったのか?
また、③について問題にすべきは、これはきっと既に誰かが書いているだろうが、「猫」に名前がないのは何故なのか? という問いに答えねばならぬであろう。これはもちろん、名詞、固有名詞の問題と通底すると思われる。
🐈
2021/04/17 11:43
🖊1,340字(四百字詰め原稿用紙換算4枚)
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