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2018年9月10日月曜日

小林秀雄への挑戦 熊野純彦『本居宣長』刊行さる!

小林秀雄への挑戦 

熊野純彦『本居宣長』刊行さる! 




熊野純彦『本居宣長』2018年9月10日・作品社。 


 本日、2018年9月10日、哲学者、西洋哲学史家・熊野純彦の新著『本居宣長』が刊行された。 
 表から観た函の装丁ははごく普通の哲学書であるが、中身を引き出そうとしてぎょっとさせられるのは背文字の表題が、かの小林秀雄の手になる『本居宣長』(1977年・新潮社)と全く同じであることだ。 

 

    無論、これは書肆の装丁家が手を抜いてコピーをしたわけではなく、もともと小林のものが宣長の遺言書の文字を翻刻したものだから、同じものになってしまうのも、やむ無しとすべきではあるが、普通はこんなことはしない。一目瞭然、誰しもが小林の『宣長』を想起してしまうからだ。 
 したがって、ここに熊野自身のなんらかの意志、すなわち小林秀雄への挑戦という意志をみてとるべきだろう。 
 現段階では、本書については未読であるがゆえに、熊野自身 
の本来の意図については不明ではある。 
  しかしながら、というか、これは一体何を意味するかというと、当然のことながら日本の思想史の流れで言うと宣長を論ずるに際して小林の宣長論は避けて通れぬことは言うまでもない。 
 だが、多くの論者が批判しているように、そもそも小林の宣長論は的を射ているのか、いやそもそも論として成立しているか、という問題がある。すなわち、小林は様々な対象を論じたが、結局のところそれは自身を語ったに等しい。ランボーを論じても、ドストエフスキーを論じても、モーツアルトでも、近代絵画でも全て同じなのだ。小林自身の強い個性を強い対象で確認する作業こそが近代批評ということだったのか……。 

 その意味からすれば今回の熊野の試みは本居宣長を正規の思想史・哲学史の流れに復籍させる試みと言えるかもしれない。 

 一旦、書店にて手に取った感想まで。詳細は後日。 

🐦 
2018年9月10日 21:18 





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