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2018年1月1日月曜日

謹賀新年2018年

謹賀新年 


     2018年、明けましておめでとうございます。 
     旧年中は誠にお世話になりました。 

     本年もよろしくお願いします。 

     昨年は2月中旬に突如として、年来の「悪」についての疑問が氷解したような気がして「悪の倫理学・覚え書き」を書き始めて3月末までの脱稿を目指したが、 だらだらと書き続けていて結局8月の終りぐらいに吉本さんの親鸞論を巡る形で中間地点まで辿り着いたというところか。でも、本論には全く至る気配がない。 
 そもそも、何故に悪の問題を考え始めたかというと、要するに会社に行くのが 極限に辛くなってきたからだ。いや、もともと辛かったのだが、自分の努力が不足しているのだど思い込もうとして、頑張ってきた。しかし何をやっても会社からすると全くだめで、あれもだめ、これもだめと八方塞りとなり、これはもう駄目だ、と思うようになったのがそもそもの始まりである。 五里霧中、四面に楚歌を聞くとは全くこの通りである。 
 そこで、この「悪の倫理学・覚え書き」と並行して「苦の倫理学」 を書き始めた。これは最近、山城むつみのマルクス論に依拠して小論を草するに際して「人間の労働」と題号を改めた。目下これに集中しようとしている。 
 この夏の休暇は吉本さんの親鸞論に集中したが、よく分からないが、宗教思想に関わっていると気分がダークになっていく。それはどういうことかというと、際限がないのだ。ゴールの見えない果てしないマラソンをしているような気持ちになる。言うなれば吹雪の吹き荒ぶ南極大陸で立ち往生するスコット探険隊のようなものだ。  
 その過程で「偶然」の問題の重要性に気づいたが、勉強不足でまだ何も書いていない。 
 その他にも「美味」、「機械」、「価値」、「エロス」などの問題の取っ掛かりに至ったが、まだそのまま放置してある。  
 そうこうしているうちに、総選挙になり、その結果に怒りを覚え、「これが民意なのか?」を書き始めたが、まだ未完である。 
 このような次第であるが、今年こそは未完の形ではなく、きちんとした塊で自らの思考の顕在化を図りたいものだ。 
 無論、生きていればの話だが。 

 とりあえず、今年はじめは「人間の労働」の完成に意を注ぎたい。 

2018年1月1日  

🐦 鳥の事務所 

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