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2017年11月7日火曜日

「80年後の「カタルーニャ讃歌」と「カタルーニャの鳥は「ピース」と鳴く」」

戦争の記憶 内乱の予感《1》 

 カタルーニャ独立運動をめぐって (1)  

「80年後の「カタルーニャ讃歌」と「カタルーニャの鳥は「ピース」と鳴く」」 










  ベルギー司法当局によって身柄を拘束されていたカタルーニャ自治州・前首相であったプッチダモン氏及び州の元幹部ら5人が釈放されるらしい*。  

▲プッチダモン氏

*津阪直樹・記事「カタルーニャ州前首相ら釈放」/『朝日新聞』2017年11月6日・夕刊。以下ここからの引用は『朝日』2017年11月6日と略記。 


 カタルーニャ独立運動に関わる、一連の流れに幾ばくかの関心をもって見ている。  
 ご存じのように「プッチダモン氏はスペインからの独立運動を率いて憲法違反を重ねたとして他の州幹部とともにスペイン政府に解任された後、ベルギーに出国。「身の安全が保証されるまでは帰国しない」と表明」*していた。  

*『朝日』2017年11月6日。  

 正直に言うとカタルーニャのことも独立運動一般のことも全く分からない。ただ個人的な感想を言うと何か大きなものや無理に統一しようとするものに対する漠然とした反感があって、住民が独立を望むのであれば平和裏に認めればいいのではないか、と他人事ながら思ってしまう。  
 全く文脈が逸れるかも知れぬが、かつて天安門事件*が発生したときも、何やら強い憤りを覚えて友人らとの読書会**でもそのことについて語り合ったことを昨日のことのように覚えているが、問題は語っただけで、なにも行動を起こさなかったというところにもある。 
 この辺りにわたし自身の、国家とはなんぞや、といった問題とのぶつかりががあった訳だが、その後、全くなにも考えが進んでいないのは残念ながら毎度のことである。  

*六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)は、1989年6月4日(日曜日)に、同年4月の胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺し)し、多数の死傷者を出した大量虐殺事件である。(webサイト「Wikipedia」/2017年11月7日閲覧)   **そのときはたまたま、ルソーの『社会契約論』を読んでいた。 

  さて、前述のような次第で、今回の件については関心はあるものの、全く知識がない。ないなりに新聞などから断片的に情報を得てみた。 
  朝日新聞・ヨーロッパ総局長の石合力は「カタルーニャ 80年後の「讃歌」」*と題していささか冷ややかな視線で、これらの独立運動を見ている。 

 *石合力「カタルーニャ 80年後の「讃歌」――風――バルセロナから」/『朝日新聞』2017年11月6日・朝刊。 

  石合はジョージ・オーウェルのスペイン内戦に取材した『カタロニア讃歌』*に言及し、今回の独立運動を紹介した上で次のように述べる。 

 *ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』1938年。訳書多数あり。「カタロニア」は「カタルーニャ」の英語読み。 
   だが、私がバルセロナの街中を歩いて感じるのは必ずしも独立の熱気ではなかった。むしろ、独立の是非をめぐって深まる社会の分断だった。(中略)/カタルーニャ語を母語とするのは州人口の約3~4割。そんな現状にもかかわらず、独立派が主導する州の公教育ではすべての教科がカタルーニャ語で教えられ、スペイン語の授業は週2、3時間しかない。(石合・2017年)  

 ん? これは一体どういうことだ。やはり現場での情報を知らずに論評するのは危険だということか。 
  さらに推理作家としても知られる事件記者のカルロス・キレスの「独立の是非をめぐる争いが長年の汚職体質や経済危機から住民の目をそらす道具に使われた」*という見方も紹介している。  

*石合・2017年。  

 なるほど。なかなか絵に描いたような理想的な構図が現実にはあるわけがないということなんだな。 

  ところが、同日の『朝日』の「文化・文芸」面には*、編集委員の吉田純子が芸術の側面から、今回の独立運動を捉え直している**。 

 *先の石合のエッセイは「国際」面。   **吉田純子「独立宣言したカタルーニャ」/『朝日新聞』2017年11月6日・朝刊。ただしネット上では「ピカソ、ダリ、ミロ 芸術から見るカタルーニャの矜持」というタイトルになっている(『朝日新聞DIGITAL』2017年11月6日09時49分更新)。以下、吉田・2017年と略記。  

 吉田はカタルーニャの歴史的な経緯を説明した上で、カタルーニャの人々は「精神を支配されることへの嫌悪感が人一倍強い。環境 の変化に敏感で、暴力に訴えるのは好まない――。」という。したがって「弾圧の歴史に培われた独特の気質は、とりわけ芸術に鮮明に表れている。」*そこで挙げられるのがピカソやダリ、ミロといった画家や、建築家のアントニオ・ガウディだが、特筆すべきはチェリストのパブロ・カザルスであろう。  

*吉田・2017年。 

 
▲カザルス


 カタルーニャ出身のカザルスはフランシスコ・フランコ独裁政権を批判して、1972年国際連合大会議場において「カタルーニャの鳥はピース、ピース、ピースと鳴く」と述べた上で、哀切に満ちたカタルーニャ民謡「鳥の歌」を演奏したことで知られる*。無論「ピース」は”peace”、「平和」である。  

動画はYou tubeで視聴することができる。 

 政治と芸術を同様に論ずることはできぬかも知れない。また独立運動に関しても、カタルーニャの人々の間では様々な意見があり、必ずしも一枚岩というわけでもないだろう。しかしながら、数々の圧政にもめげず、故郷の言語と文化を守り続けてきたカタルーニャの人々の矜持が表れていると吉田は結論する。  

 いずれにしても、この独特な文化を維持し続けてきたカタルーニャの人々の伝統や文化が何らかの圧力で押し潰されたり、排除されたりすることは強く否定せねばならない。 仮にプッチダモン氏らの独立運動の是非は一旦措くとしても、そのことは強く断言すべきである。 
 今後のスペイン当局の動向を注視していきたい。 
🐦 


 20171106 12:03ー16:55  

2587字(400字詰め原稿用紙6枚) 

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