遍 歴 ~99~
「眠り」考・覚え書き
2017年10月12日(木曜日) 晴れ 暑い
すぐさまにKSを辞めることが不可能だ*とすると兎に角、勉強時間を増やすしかない。
*貧乏人としては莫大なSK があるため。
およそ11時30分に帰宅して晩飯を食ったり、新聞を読んだり、翌日の弁当を作ったりすると早くても0時50分だ。ここから3時ぐらいまで勉強しても2時間。しかし大抵途中で居睡りをしてしまう。やる気あんのか! と自分でも思うがどうもだめだ。書見をすると眠くなる。新たに原稿を起こすには気力が伴わない。比較的まともにできるのは、前日までに、あるいは昼間書いた原稿の修正ぐらいか。
つまりは意識の集中力の問題なのか。
ま、3時に寝て8時ぐらいに起床して、9時から12時まで勉強できると、合計で一日5時間勉強できることになるが、豈図らんや、これが全く無理なのである。 全く起きられない。起きるのが苦痛ということは、そのまま生きているのが苦痛ということに通底する。
つまり、なんというか、眠りの世界、すなわち死の世界がわたしを誘うのである。
つまりその世界からすると現実世界のことは、何程の価値もない。どれほど現実世界でわたしの心を誘惑するものでも、死の世界の惑溺感には遠く及ばないのだ。
一旦眠りについたら、もう目覚めなくても十分によい気がするぐらいだ。
これは一体何を意味するのであろうか。
村上春樹の作品に眠りに関するものが二つある*。
*他にもあったやも知れぬが、一旦二つ。
一つは短篇小説の「眠り」である。このなかの女性主人公は全く眠れなくなる。
それとは対照的に長篇小説『アフターダーク』の女性主人公の姉はずっと眠りについたまま目覚めることはない。
この対照性はそれぞれに大変興味深い。だがわたしの考えを言えば、この差にはさほどの意味はなく、いずれもなんらかの意味での、或る種の「拡張性」を示している。前者は世界の拡張を、後者は自己世界の拡張を示している。
と、ここまで、あらかた通勤の電車とバスのなかで書き継いできて、帰宅した後、せめて「眠り」と『アフターダーク』だけでも軽く目を通してから続きを書こうと思ったが、驚くべきことに、二冊ともないではないか。1時間以上かけて「ねむり」が別の短篇集に収録されていることを思い出してやっとのことで発掘した。『アフターダーク』は単行本も文庫本も両方持っているはずだが、全く見当たらない。何てことだ。
さて、ここで論じようとしていることは内在する価値は価値たりうるか、ということだが、今申し上げた次第で頓挫してしまったので、他日を期すが粗筋にもならないがメモを残しておこう。
・村上春樹「ねむり」『アフターダーク』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『海辺のカフカ』『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』
・加藤典洋「異質な眠りの感触」
・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系――人間拡張の原理』
・死の世界=眠りの世界
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