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苦の倫理学 そのV
稲垣えみ子のマーク・ボイル『無銭経済宣言』書評を読む
▲稲垣えみ子さん
*本稿は当初、日記「遍歴」の一部として書かれた。しかしながら内容的に「苦の倫理学」に接続する重要な論点を含むと判断し、元の原稿から切り離し、独立させ、「苦の倫理学」の続稿とする。
ただ「苦の倫理学」という通し名が妥当かどうかは判断に迷うところである。「社会」あるいは「会社」に関わる「苦しみ」というのが当初の意図なので、人間が個=弧として抱える実存的な意味での苦しみは本稿のテーマではないことをお断りしておく。
例のアフロヘアで有名な稲垣えみ子さんの、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』*でその名を馳せたマーク・ボイル氏の第2作『無銭経済宣言』**の書評***を読んだ。大変に重要な論点を我々に問いかけている。
*マーク・ボイル『ぼくはお金を使わずに生きることにした』2011年・紀伊國屋書店。
**マーク・ボイル『無銭経済宣言』2017年・紀伊國屋書店。
***稲垣えみ子「笑いながら読める〈現代の福音書〉」/『scripta』45号・2017年10月1日・紀伊國屋書店。
もともと稲垣さんは、『朝日新聞』の編集委員時代に、たしか「unpluged」つまり、プラグ=コンセントを抜く、すなわちできるだけ電力に依存しない生活をしていることを詳つまびらかにして*、有名になった方だが、その当時からその愛嬌のある笑顔とヘアスタイルとともにその生活思想に注目していたのだ。
*稲垣えみ子『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したから書けたこと。』2016年・朝日新聞出版。
出典が今すぐ探せないが、ご本人は著述家を名乗り続けていたが、哲学者の、今は亡き池田晶子さんもどこかに書いていたが、要するに「便利なものは本当は必要ないもの」なのだ。
わたしが酒を飲んだり、摘まみを自分一人では食べきれないほど、大量買いしたり、もう物理的にこれ以上読む時間もないのに大量の書籍を買うのは、明らかにストレスから来るものである。何の? もちろん仕事の。なぜストレスを感じるかというと、本当はしたくないからである。売り上げとか数値目標とか全く興味がないにも関わらず、そう自ら仕向けているからである。では辞めてしまえばいい。でもお金が必要なんだが。いや、本当はお金は必要ないのではないか。仕事も意に染まないことをすべきではないのではないか。人間は本当に自らのすべきこと、したいことに全力を挙げるべきではないか。
つまりしたくもないことをいやいややっているから、酒を呑んでしまうのであって、自分のしたいことができていれば、ほんとはお酒など必要がないのだ。要するにほとんどの人間がなければ困ると思っているものは、大半は必要ないのである。
これとは少し違った観点からも言える。
今年の夏、或事情があって、期せずして超ウルトラ貧乏生活を強いられた。ま、と言っても普通のサラリーマンとしてのレヴェルだ。路上生活を余儀なくされるとかいう話ではない。
これは稲垣さんも今回の書評で「超節電生活が止まらなくなった」*と述べているが、なんというか、なきゃないで人間は工夫するもである。あるものをなんとか使い尽くそうと脳と体が動くのである。
*稲垣えみ子「笑いながら読める〈現代の福音書〉」(前掲)。
わたしの場合、衣食住のうち衣と住は一応保証されているので食の確保と、交通費の確保ということになる。後者については、半年毎にまとめて支給されているものを使ってしまったので、毎月捻出しなければならないのだ。問題は食だが、夏の繁忙期は14時間拘束及び、7月26日から翌8月25日まで休みなし、というRDKJH違反ですか、とかそういう事態になるので、弁当を作る余裕がなくなる。通常は買い弁とかファーストフード店でやり過ごす訳だが、それができない。
大体一日辺り100円から60円ぐらいの幅で遣り繰りすることになる。
まず水分は文字通り水を飲む。さすがに雑居ビルの水を飲むのは躊躇われたので、スーパーで2㍑で60円ぐらいのペットボトルを買って、今流行りのウォーターボトルに入れて飲む。これで3日間ぐらい持たせる。
夕食は自宅で適当にあるものを食べることにして、朝食も昼食もとにかく握り飯。一日に6個ぐらい喰うので、飽きないように工夫する。いろいろ試したが、塩昆布系は間違いない。永谷園のお吸い物をまぶしたものも美味かった。カレー味は大好きだが、どうも握り飯にすると過剰にベタベタするので、今一つであった。紅生姜も大好物だがそれだけの握り飯は少し辛いものがあった。時間のない中で、つまり夕食の準備をしながら、握り飯も同時進行で作るのだ。これはこれでとても楽しかった。言うなれば高峰に挑む山岳家たちの心境の100万分の1ぐらいは分かったかもしれない。
要するに、生命体は、なきゃないでなんとかしてしまうものなのだ。それが生きるということなのだろう。
ちなみに科学的な正確さは一旦措くが、昨年ノーベル化学賞を受賞した大隅良典さんの細胞の「オートファジー」、つまり「自食」ということだが、細胞が栄養飢餓状況に陥ると細胞内で、この「オートファジー」が生じる、つまり自分で自分を食べて栄養分を確保するということらしい。これと同じことではないか。
もちろん、何でもかんでも捨てればよい、といういわゆる「片付け」の発想にはわたしは与しない。この問題は別に論じるが、人間は本来必要でもないものを、なければ不便だ、とか、他の人たちと生活が変わってしまう、とかよく分からない、謎の幻影にとりつかれているのであろう。まさにこれこそ「共同幻想」ということではないか。
ちなみにわたし自身は、意図的な超節電とかはしていないが、一時期はTV、DVD、冷蔵庫、電話、掃除機、洗濯機、電子レンジ、オーヴン・トースターなどがほぼ同時に壊れたり、使用不可にになった。個人的には、ま、いっか、とか思ったが、同居人もいるので、しばらく粘った末に冷蔵庫や洗濯機、電子レンジ、オーヴン・トースターは買い換えた。ということはTV,DVD,電話、掃除機はなくても全く困らないということだ。
20170926 16:10ー20170927 02:32
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