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2017年9月27日水曜日

ビスコを一箱

ビスコを一箱 

2017年9月26日(火曜日)晴れ 


▲家の裏手の秘密基地へと至る道 
  

 結局昨日はほとんどなにもせず。酒を呑んで寝てしまった。HS。元気がない。どよんという感じ。 
 疲労が抜けず、12時過ぎ起床。再HS。うーん。 
 昼食は揖保の糸の冷麦を温かい若布スープで食す。 
  風呂。 
 夕食の準備(鶏の唐揚げカレー風味)をしつつ、昨日分の遍歴をブログにアップ。 
 出る。お金下ろしてSKHS。気が遠くなる。 
 髪を切ろうと思ったが、疲れ果てて止め。  
 ダイソーに寄って非常袋を買う。先日試しに1つ買ったがそれでは足らないことが分かった。つまり人数分ないと全く足りないということだ。というわけで後4つ買って、中身は取り合えずそれぞれビスコを一箱入れたのみだ。明日大災害が到来したら、もうおしまいだ。 

 丸善。何も買わなかったが、リーフレットの類いをゲット。 
①『完本 丸山健二全集』リーフレット。 
 かなり以前、わたしは小説を書いていて、そのとき手に取った、丸山健二の『まだ見ぬ書き手へ』(1994年7月1日・朝日新聞社)は、今でも座右の書である。恐るべきことに、わたしはこれを5回通読している、らしい。「らしい」というのはあまり記憶がないからだ。巻末の自分の記録によるとそうなっている。しかしながら、丸山の小説に感心したことがない。これはなぜだろう。考えすぎなのか。我々の文学的能力が辿り着いていないのか。 
②「安藤忠雄展・挑戦」リーフレットと割引券。 
 建築のことは分からないが、なんだか凄そうだ。是非見に行きたい。 
③『scripta』2017 autumun・紀伊国屋書店のPR誌。 
 例のアフロヘアで有名な稲垣えみ子さんの、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』でその名を馳せたマーク・ボイル氏の第2作『無銭経済宣言』の書評が掲載されている。いずれも単著の形ではまだ読んでいないが、大変に重要な論点を我々に問いかけている 

*以下、別稿へ。 

 ④『岩波書店の新刊』2017年10月。これは特に目ぼしいものはなかった。 

 加藤典洋が新刊『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(2017年9月21日・幻戯書房)を出していたが、今は手が出ず。遺憾、『敗者の想像力』(2017年5月17日・集英社新書)もまだ買ってもいない。読書のスピードが追い付けない。遺憾、遺憾。 

 話が逸れるが、こうやって、ほぼ毎日、日記も含めて何らかの文章を書いていると、漢字の使い分けに始まり、慣用表現の微妙な違い、果ては、いわゆる「てにをは」の類いの正しさの根拠が分からなくなる。一応迷ったらネットの辞書を引くようにはしているが、今一つ自分自身の日本語能力に自信が持てない。つまり、これは絶対こうだ、こう使うのが正しいのだ、と断言できない。大野晋すすむ先生の『日本語練習帳』**を取り出して、もう一度きちんと勉強するかな。  

*これを世間では「ググる」(Googleで調べる)というが、Googleが悪いわけではないが、なにか下品な印象を受けるのはわたしだけか。 

**大野晋『日本語練習帳』1999年1月20日・岩波新書。 

 夕食は鶏唐揚げ・カレー風味、チキンカツ・チーズ味、合鴨のスモーク、エリンギのソテー、ベイビーリーフのサラダ。酒呑まず。ただしホッピーは飲んだ。 

 明日の弁当を作る。ハンバーグ、人参・馬鈴薯・豆もやし・エリンギの塩胡椒のソテー、漬け茹で卵。 

 今に至る。 

20170926 16:10ー20170927 01:06 
🐔 

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