大 学
余程のことがないと自分の出身大学には行かない。というよりも、そもそも卒業以来全く足を運んでいない。卒業式すら行かなかった。山の中の大学ということもあるが、特殊な事情があり大学に近付くことができなかったのだ。私はよく冗談で「結界」が張られている、と云っていたが、まあ、そういうものだ。
どういう風の吹き回しか、私は大学の構内の石畳を歩いていた。構内は閑散としていた。
すると向うから小3のHがよろよろとやって来るではないか。恐らく彼は講習のときの教室に行こうとしているのであろう。しかし今日は講習中だが通常授業も実施されるので教室が違うのだ。声を掛けて、場所が違うよ、日本語別科の別館だよ、と教えて、先生と一緒に行こうと云う。
しかし彼は予定と違うことをさせようとすると混乱する。さらにはノートを忘れたから購買部で買うと云ってきかない。
以前の教育学部の辺りに行こうとするが、そっちじゃないよと云おうとすると、店員がやってきて、こっちですよ、と案内してくれる。時代は変わったなと思って、先に行く。
見るともなしに購買部の辺りを見ると、50年ぐらい前かと思うぐらい古びた二階建ての木造の建物がある。
あたかもダム湖の下に水没する木造建築の小学校の校舎を畔に移築したかのようだ。しかし、そこは購買部であるとともに郵便局も兼ねているようだが、でかでかと横断幕が掲げられている。風に翻って判読が難しいが、どうも大学理事会に対する批判とも読める文言が記されているようだ。よく大学側が暗黙にせよ許したものだなと感心した。時代は変わったものだな。
小3の教室に行くとKがいない。KAは最近入塾したばかりの生徒だが、講習中にかこつけて通常授業に出ないと云うのか。Aのお母さんは可愛い顔立ちをしているからといって俺に甘えているんだな。
しかしよく見てみるとそもそも誰もいないではないか。というよりも、そこは私の寝床だ。日本語別科の奥の小高い丘の上に「若き日の創立者の像」という、この大学の創立者の青年時代の銅像が立っている。その手前にある谷間の少し凹んだ草地が私の住処だ。薄手のベッドカヴァー(無論ベッドはないが)の足許に少し臭う蒲団が畳んである。 これは拙い。こんなところで授業しても生徒が来るはずがない。我ながら呆れ返る。
そんなこんなで30何年も教師をしているのだから全く馬鹿な話だ。
ふと何年も前に行った合宿のことを昨日のことのように思い出す。樹液を煮詰めたような光に満ちた教室にいる。奥行の天井が斜めにどんどんと低くなっている妙な教室だ。そこに100何名もの中3の生徒が自習している。窓がないようだ。その前に5名ぐらいの教師が質問を受け付けているが、質問者がひっきりなしに来るのでまるでおっつかない。 私のところにも数学の質問に来るがまるで分からない。というよりも全く分からない。油汗が滲み出る。なぜおれの所に数学の質問に来るのだ。訳が分からない。
私はその場を去り、トイレに行く。トイレは木造ガラス張りで塔というか砦というか物見櫓のようになっていて3階だか4階まで登る。土台、というか便器はただ単に穴が開いているだけだ。そこには鳩の糞のようなものがこびり付いている。四方はガラス張りになっていて路上を歩いている人の様子が見て取れる。当然向うからも見ようと思えば見られるだろう。え、ここか? という感じだ。一瞬躊躇するもやむを得ずズボンのベルトに手をかけると、そのトイレの左並びの棟に中3の生徒達が無数に登ってくる。恰もそこはアメリカ先住民の砦になっていて、激しい攻防戦が繰り広げられている。と云ってもその砦そのものも安手のベニヤ板のようなもので作られていてペコペコする。その砦の壁面を敵の中3がよじ登って来るところの入り口に巨大な段ボール箱が置いてある。とても邪魔だが、そこそこ重い。中身は軍手だ。無数の軍手が整然と詰められている。
空腹を覚えた私はPH(プリンス・ホールが正式名称だが、学生たちは「ペーハー」と呼んでいた)で、遅い昼食を採っていた。先日「ヨルタモリ」でやっていた「洋風卵かけご飯」をもそもそと食べていた。
すると向こうから作家の村下龍が小洒落た作業着というのかブルゾンというのか分からぬが、そんな格好で近付いてきた。店の中の老若男女と余裕の笑顔で握手を交わしている。彼は三期目か四期目の衆議院議員総選挙に挑もうとしているのだ。流石に手慣れたものでそつがない。段々私に近付いてくる。若年の頃から彼のファンで少なくとも小説については全て目を通しているはずだ。講演会やオフ会にもよく行っているのできっと龍さんは俺のことが判るはずだ。さっきもちらっと俺にアイコンタクトしたと思う。私は少しどきどきして携帯のカメラを起動させて彼が私のテーブルに来るのを待った。ところがすんでのところで、彼は店を出ていき、選挙カーに乗り込んだ。あたかも私を意図的に避けたようにも思える。すると彼の側近とも思える黒服の男性が近づくと、М**様のことは存じ上げております。このような場でご挨拶申し上げるのはかえって失礼なので、ご容赦くださるよう村下が申しております、とその男が云う。
とても残念だ。
初稿 2015年7月8日
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