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2017年3月31日金曜日

立川孝一氏について

立川孝一氏について 

2017年3月29日(水曜日)晴れ?  

 SKの中日で休み。そんなに疲れてないはずなのに12時過ぎ起床。どうしたことか? 
 風呂。飯はチャービルかなんかのハーブのパスタ。苦い。  

 気が散って仕方ない。 
 買い物に行く。 
 夕食、散らし寿司。 
 ずっとおなかの調子が良くない*。 

*だから30日の晩からヨーグルトを食べることにした。 

 少し片づけて動線を確保。矢張り気が散る。 
 袋ファイルシステム*を再構築しつつある。 

*野口悠紀雄考案になる、角2の封筒にできるだけ最小限の項目名(わたしは著作家の人名がほとんど)を書いたものに資料を入れて、あいうえお順に本棚に並べるというもの(野口悠紀雄『超整理法』)。ここ15年間ぐらい死んでいたが、最近、原稿書きを復活してから以前の資料を探すときにとても役に立った。ちょっと驚いたといってもいい。 

 『鳥』の紙媒体も復活したい。 
 読書会も復活したい。 
 気が散っているので原稿書けず。ずっと大澤の『現実の向こう』を読み続ける。面白い。 
 ところで『苦の倫理学』を考察するのであれば、ぜひとも「ヨブ記」について言及せねばならぬ。 
 そういえば川上哲治の『悪の管理学』発見。足元にあった。真剣に家の中を片づけねば。 



 そういえばこれもたまたまなのだが、フランス革命史家の立川孝一さんがいつの間にか筑波大学の名誉教授になっていたことをネットで見て驚いたが、さらに驚いたことには、その著述が30年前で止まってしまっていたのだ。すなわち『フランス革命と祭り』(1988年11月・ちくまライブラリー)と『フランス革命――祭典の図像学』(1989年7月・中公新書)の二著しかない。いずれも啓蒙書なので、そういう類いはもう書かないとしたのか。まだ調査が及んでないが、専門書や欧文の書目があるやも知れぬ。 


『フランス革命と祭り』






『フランス革命』


 あれはフランス革命200周年の年だから1989年のことだ。ということは今から28年前のことだ。と書くために引き算をして、自分でショックを受けた。とても30年前のこととは思えない、あたかも昨日のことだというのは無論レトリックだが、一体全体わたしは30年もの間むざむざと何をしてきたのであろうか?  
 これは別稿(「悪の倫理学・覚え書き その9」)でも書いたが、この当時友人達と読書会を開いていて、そのなかの数回がフランス革命だった。たまたまフランス革命200周年ということで様々な論著が公にされたり講演会も開催されていた*。 

*たまたま、ある講演会(おそらく1989年10月8日に日仏会館にて開催された)で立川氏を見かけたことがある。ある「偉い」先生の講演のあと質問されていた。長髪だった。「立川というものです」と言って、その講演者が「もちろん、存じ上げてますよ」と返すと会場が爆笑に包まれた、というのはわたしの偽造の記憶なのだろうか? 

 その中に先に挙げた立川氏の著作も含まれていて、一読、大変優れた批評眼をも兼ね備えた若手の研究者であることがうかがえて、やがては、網野善彦や阿部謹也のような日本を代表する歴史家になるだろうと思っていた*。 

*これは、単なるわたしの不勉強の故の無知によるもので、斯界では既にそうなっているかもしれない。マスメディアに登場しないことをもって非力だとは、無論言えぬであろう。しかし……。 

 例のごとく、わたし自身が天路の奈落よろしく知的活動から長期的な撤退を余儀なくされて、他の方の行く末、来し方をどうこう言う立場にはないのだが、それにしても、一体何が起きたのだろうか。良心的な研究者は得てしてこんなふうになってしまうのだろうか? つまりご自身の研究への到達目標が高過ぎて著作にまで至らないのか。 
 研究領域がわたしの関心といささかずれるので、これ以上深追いすることはないかもしれぬ。しかしながら、機会があれば「調査」を続行したい。 


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