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2017年2月17日金曜日

悪の倫理学・覚え書き その1

悪の倫理学・覚え書き 
その1 





怪しい雲(20170207)






「きみは悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法はないのだから」  
 You have to make the good out of the bad because that is all you have got to make it out of.  
  
            ストルガツスキー兄弟「ストーカー」 /  
  

         ロバート・P・ウォーレン『All The King's Men』 *  
  


 若年の頃から悪人とか卑怯者呼ばわりされてきて、〈悪〉の問題にとても興味を持ってきた**。  
 「悪」と呼ばれる行為をなしてしまう人は人間的に弱い部分があるのは事実だが、何かそこに「善」の萌芽のようなものがあるのを私は感じる。それがいかなるものなのかをずっと考えている(気がする)が一向に形にならない。   
 柄谷行人が、親鸞の例の言葉***を引いて《この場合、悪人とは犯罪者ではなく、(……)社会で忌避され蔑視される職業についている者を指す。》****と述べているが、それはそれで社会科学的(?)には間違いではないが、どこか本質をついていないな、なにか視線をずらしたな、という印象をもった。 しかし、これは文脈が異なるので、ある意味やむを得ないところだ。  
  

 さて、このようなわけでこの問題は迷宮を彷徨う。  
  
―――――――――――  
  
*ストルガツスキーもウォーレンもいずれも読んだことも手にとったこともないので、文脈が全く分からない。もともと私は加藤典洋の『敗戦後論』(1997年・講談社)のエピグラフで目にした。   
**プラトンの対話篇『国家』の冒頭で消えてしまうトラシュマコスに材を取って「悪の倫理学」なる小文を書こうと思っているが、まだ果たしていない。   
***「善人なおもて往生す、いわんや悪人においてをや」(『歎異抄』)   
****柄谷行人『世界史の構造』2010年・岩波書店・p.230。   
  





2015年8月29日  
  



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