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2017年1月19日木曜日

柄谷行人の「思うわ、ゆえに、あるわ」

柄谷行人の「思うわ、ゆえに、あるわ」



 柄谷行人の連載エッセイ「思想の散策」が岩波書店のPR誌『図書』で始まった*。 恐らく、この種の比較的軽い体裁の連載エッセイを柄谷さんが引き受けるのは、全てを調べあげたわけではないが、ほぼ初めてのことではないか?
 無論、軽いと言っても哲学的な内容であることは云うまでもない。
 さて、この妙な題名について説明することは、いわゆるネタバレになってしまうので、避けて通ることにするが、 どうも柳田国男について触れられていくらしい。今回はデカルトの例の「我思う、故に我あり」の「我」と照らし合わせることで、柳田が考えていた一人称代名詞の問題を展開している。 
 内容についてはご一読いただくのが、もっとも手っ取り早い、ということになるが、ここからは、全くの個人的な感想になるが、哲学や思想の文章は、それを本当に必要としている人たちにとっては極度に難しすぎる、ということだ。
 柄谷さんについても、残念ながら初期から中期にかけての文章はほとんど読者の存在を顧慮しない断崖絶壁のような文章だった**。
 ところがある時点から(例えば『倫理21』のあたりか?)非常に読みやすくなった。これは文体のせいもあるが、それよりも筆者自身がテーマをしっかりと把握した上で書いている、という印象を受ける。 それは『トランスクリティーク』のような大著でもそうである。 
 今回の連載について云うと、必ずしも結論が見えて書いているわけではないだろうが、いずれにしても読み易く、とてもユーモアにあふれている。
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*柄谷行人「思想の散策」 1/『図書』2015年9月号・岩波書店。
**これが必ずしも悪いと云っているわけではない。

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