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2017年1月20日金曜日

意味の拒絶の後始末   柄谷行人『マルクスその可能性の中心』 

意味の拒絶の後始末                            

  柄谷行人『マルクスその可能性の中心』  


講談社文庫版(絶版)





現行の講談社学術文庫版



 ★ 1993年9月3日読了 
・1978年・講談社/1985年・講談社文庫/1990年・講談社学術文庫。評論集。



 柄谷行人はあるところで次のように述べている。「マクベス論」を書き上げてからの話である。
 
  私はもはや文芸評論を書く気がまったくなくなっており、すぐに(なぜか)マルクス論にとりかかったのだが、いっこうに書けなかった。基礎的な勉強が不足していたからだけではない。私はマクベスの最後から出発したかったのに、スタイルそのものが「マクベス論」の反復になってしまうを避けられなかったからである。 (『意味という病』講談社文芸文庫・p.311*)

 だが、「マクベス論」の反復になってしまったのはスタイルだけではなかった。主題もまた「マクベス論」の最後を繰り返すことになってしまった。柄谷は表題作「マルクスその可能性の中心」の末尾で、ハイデッガーのニーチェ評を引いている。いわく、ニーチェはプラトン以来の西洋哲学の理性主義を逆倒した。つまり〈見せかけの世界〉の裏に〈真なる世界〉が存在するのではなくて、むしろその逆である。〈見せかけの世界〉こそ〈真なる世界〉なのだと。しかし、ただ単に逆転しただけでは、やはりプラトン以来の〈二元論〉に呪縛されたものである。狂気に至る直前においてニーチェはそれを乗り越えようとした。つまり、〈真なる世界〉という理想・超越論的な意味を拒絶し、そしてまたそれによって不可避的に〈見せかけの世界〉もまた崩壊する。《そのときはじめて、プラトン主義は克服される、すなわち、哲学的思惟がプラトン主義から転回脱出(ヘラウスドレーエン)するような形で転倒されるのである。しかしそのとき、はたして事態はどのようなところに立ちいたるのであろうか。》(ハイデッガー『ニーチェ』薗田宗人訳/本書・p.129より援引)。
 むろんこの後ニーチェは発狂する。しかし、そのようにニーチェの立ち至った思想的位置を明示したハイデッガーも柄谷によればニーチェに戻ってしまったという。そしてまた、これは結局柄谷自身が「マクベス論」において到達した地点ではなかったか。この困難、意味の拒絶の後、その後始末をどうつけるか、この問題は決して柄谷個人のみの問題ではなく20世紀の哲学・思想あるいは文学の根本問題であり、実のところそれは人間の根本的な問題でもあるのだ。柄谷行人を読むことはまさにその困難な問題を読むことに他ならない。

 *柄谷行人『意味という病』1975年・河出書房新社/1989年・講談社文芸文庫。
                                                       (初出:『鳥・web版』第11回更新・2001年11月27日)

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