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2026年5月3日日曜日

熱狂の後で    貴男『梶原一騎伝』

 

👊梶原一騎=高森朝雄を読む👊

熱狂の後で

斎藤貴男『梶原一騎伝』



■斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』1995年1月・新潮社/文庫化・改題・加筆『梶原一騎伝』2001年3月1日・新潮文庫。

■長篇評伝。

2026年4月7日読了。

■採点 ★★★☆☆。

 1. 梶原一騎作品と「わたし」の記憶

1960年代から70年代にかけて小中学生だった者には忘れることのできない名前が梶原一騎=高森朝雄である。

 わたし個人の場合、単行本で全巻揃えたものは『巨人の星』だけで、それも、相当後に買いそろえた(いわゆる大人買いというやつだ)。ほかの作品は週刊漫画誌に連載されているものをリアルタイムで読んでいた。それも床屋とか立ち読みで読んでいた気がする。

 主として、梶原の作品が連載されていたものは『少年マガジン』で、今で言ったら、青年漫画誌に当たり、小中学生にはいささかハードルが高かった。わたしが買っていたのは、永井豪の『マジンガーZ』が目当ての『少年ジャンプ』であったり、石森章太郎『イナズマン』目当ての『少年サンデー』であり、横山光輝『バビル二世』の『少年チャンピオン』だったりした。

 しかし、『空手バカ一代』や『愛と誠』などは比較的克明に記憶している。

 後に『巨人の星』を単行本で読み返したり、あるいは『あしたのジョー』は連続テレ‐ヴィジョン・アニメイション(それも夕刻の再放送で)を見たりして、この瞠目すべき・劇画・漫画原作者の世界に魅入られ、その名を脳裏に刻み込んだのである。

 コマ割りや、人物の描き方などの漫画表現として『巨人の星』や『あしたのジョー』は精密に分析すべきだと思うが、それは、作画の相方を務めた川崎のぼるや、ちばてつやの問題であろうが、何か魅入られたように、何ものかに突き進んでいく人物像を作り上げ、まさに熱狂への導いたのはひとえに梶原一騎=高森朝雄の原作の力量によるところが大である。

 人物像といえば、やがて息子の大きな壁となる、飛雄馬の父・星一徹や、ライヴァルである花形満、佐門豊作、アームストロング・オズマ、あるいは、恐らく小卒にも関わらず、驚異的な教養を示す、姉・星明子など、異様ともいえる人間力で、読者を引きずり込む。

 個人的に記憶に残っているのは、盟友・伴忠太が中日行きを拒絶したときに、突如、彼の前に星明子が現れて、ジャン・コクトーの「青春に安全株を買ってはならない」という言葉を引いて、忠太を諫めるシーンである。それを受けて、忠太は、「この際だから言うが」として、明子への愛の告白をしようとするが、明子は「子どものくせに告白だけ大人の真似事をするのは滑稽だ」とか言って、忠太をあしらうシーンがある。どんだけ、明子姉さんは人あしらいに長けているにだろうと、わたしは驚いた記憶がある。

 まさに、漫画の原作だろうが、一般の小説だろうが、人間を描くことこそ、文学というべきであり、梶原一騎=高森朝雄の作品の、或る一定レヴェルのものは、まさに文学作品だったといえよう。

 その意味でも、晩年、と言っても、梶原は高々50歳という信じ難い若さで他界したのであるが、晩年の乱行振りと作品の質の劣化については返す返す残念である。

話が逸れるが、『巨人の星』や『あしたのジョー』にはいくつか謎がある。

 例えば、明子姉さんは、何故花形満と結婚したのだろうか? もっと分からないのが、飛雄馬のことを好きだといった、竜巻お竜は、何故佐門豊作結婚するのだろうか? このパターンは『あしたのジョー』にもあって、乾物屋の紀子はなぜ、西と結婚するのだろうか?

 あるいは、明子は恐らく小卒ぐらいの学歴かと思うが、異様な教養をそなえているのはなぜなのか? 家出した明子はなぜ東京ではなく、わざわざ大阪で就職(それも、何故かガソリン・スタンドの店員)したのであろうか? 

 他にも謎が多いが、恐らく、作者が適当にでっち上げたものと思われるが、深層的な意味を考えると、何か出てくるような気もする。

 

2. 本書の構成と版の変遷

まさに一世を風靡した劇画/漫画原作者である梶原一騎の評伝である。

 初版刊行後、以下のように3回出版元を改めているところからしても、往年の、相当根強い梶原ファンに支えられているのだと思われる。

① 『夕やけを見ていた男――評伝梶原一騎』(1995年、新潮社)

② 改題『梶原一騎伝』(2001年、新潮文庫)

③ 改題『梶原一騎伝 夕やけを見ていた男』(2005年、文春文庫)

④ 改題『「あしたのジョー」と梶原一騎の奇跡』(2016年、朝日文庫)

わたしが手に取ったのは②で、このタイトルが一番すっきりしている気もするが、③、④でどのような加筆修正がされているかは未確認である。

3. 批評:ジャーナリストによる評伝の功罪

筆者は、フリーのジャーナリストで、格差社会や監視社会、新自由主義の弊害などを鋭く批判し続けていることで知られる人物らしい。したがって、劇画や漫画、あるいは格闘技などについてが専門という訳ではない。劇画・漫画関係の論著はこれ一作のみであり、他は広く社会問題を追及するものばかりだ。

だから、という訳ではないが、あるいは、梶原ファン、劇画・漫画のオタクからすると、食い足りないものがあるかも知れない。

そもそも、筆者がテーマとする「夕やけを見ていた男」ということで、果たして梶原を括れるのか、いささか疑問ではある。

しかし、薄々知っていた、梶原の、波乱万丈の人生のおおよその見取り図は理解できたようには思う。

が、やはり、問題はある。

全体としては編年体の記述にはなっているが、章立てがテーマごとになっているため、多少内容が前後してしまう点。

梶原ファンとしては、彼の人生にも無論興味はあるだろうが、もっと作品に即して欲しかった。

『あしたのジョー』だけ、特別に一章割かれているが、では、『巨人の星』はどうなのか? 『タイガーマスク』は? 『空手バカ一代』は? 『愛と誠』は? それらの作品が書かれた裏側をもっと知りたいと思った。

文体がいささか雑である。主語が不明な記述がいくつかある。

これは、筆者の専門によるところが大きいが、社会的背景の能書きはあるいは不要だったかもしれない。

 

4. 総括:天才の転落への問い

また、これは、評伝ではなく、漫画論、漫画批評の分野になるのだろうが、あれほどの達成を極め、世間を熱狂の渦へと巻きこんだ作家が、何故に、かくも呆気なく転落への道を転げ落ちていったのであろうか?

単に、梶原自身の傲慢な心に起因するだけなのだろうか? 栄耀栄華を極めた者は、一朝にして地獄を見るのが世の常というのだろうか? 

🐤

2,595字(400字詰め原稿用紙7枚) 20260407 2030

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