鳥の事務所
目次
4 「孤独の発明」本論、及び『孤独の発明 または言語の政治学』の迷走
第Ⅰ部
批評家としての三浦雅士
β 「孤独の発明」本篇の圏域
第1章 「自分が死ぬということ」完結篇か?
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「言葉と死」が収録されている『村上春樹の読み方』 |
恐らく少年期から壮年期まで三浦さんを呪縛していた主題が、「自分が死ぬということ」です。
三浦さんはまず、そのことを書評集『自分が死ぬということ』(1985年)に収められることになる一連の書評を書くことで自己発見して驚いたのでした。
以下につづくさまざまな文章の主題がじつは自分が死ぬということにほかならないことに気付いたのは、むろん、それらが書かれたはるか後になってからのことである。(三浦「序――自分が死ぬということ――」/『自分が死ぬということ』p.α)
しばらく時が経ち、水面下において、考察が続いたのであろうが、2003年の『村上春樹と柴田元幸のもう一つのアメリカ』において「幽霊」問題、冥界下降譚の問題が登場します。
そして、2011年の9月18日、世田谷文学館で、連続講演「村上春樹の読みかた」において、5人の論者の中の一人として、「言葉と死」なる講演をしています。その講演の筆記は、その後菅野昭正編で『村上春樹の読みかた』(2012年)に収録されました。
講演タイトルには村上春樹の「ム」の字も入ってないが、それもそのはずで、前半部分は、まさに題名通り「言葉と死」、つまり、「自分」と「死」を生み出したものが他ならない「言葉」であって、「言葉」こそ、すべてを生み出した、という内容なのです。言うなれば、この段階で三浦さんは長年の問題の答えを得てしまったと考えられます。
講演段階の2011年9月は、2010年の1月から『群像』に連載されてきた「孤独の発明」本篇が、丁度、この年の夏、具体的に言えば、2011年6月を以て終了した段階です。そして、この連載は未だ単行本化されていません。内容としては、この続篇にあたる『言語の政治学』の先取りにあたるところも見られます。
したがって、そのように考えると、本講演は「自分が死ぬということ」の完結篇に期せずしてなってしまったということでしょうか。
さて、この講演は、前半部「言葉と死」という理論篇に続いて、後半部「村上春樹論」実践・分析篇という構成だが、前半部の大半は、後に大幅に書き足されたのではないかと推測されます。
というのは、村上春樹をテーマとする講演としては、その前置き(三浦さんにとってはまごうことなき「本論」だろうが、聴衆からすると、明らかに前置き)が異常なほど長い、長過ぎるのです。ページにして60ページほどの分量のおよそ半分がその前置きになり、そこには村上についてはほとんど触れられていません。これはいくら何でも、これがもしそのまま講演されていたとしたら、半分以上の聴衆は怪訝に思い、なにか言い出していたかも知れません。場合によっては立ち上がって退場するものもいたかもしれません。
しかし、無論、そんなことはなかったでしょう。恐らく、当日はこの下りはもっと短いものだったのだと思います。
もう一つの理由は明らかに文体が違う、――つまり、講演したものを文章に直した「講演体」というものが、仮にあるならば、この前半部分は、普通の文章の語尾を、ただ単に「です・ます」調に変えただけというものだから、という比較的分かりやすいい理由です。
いずれにしても、講演としても、評論としてもいささかバランスのよろしくないものだが、それでも三浦さんは、どうしてもこれを書いておかねばならなかったのです。
何故か。
分かったからだ。分かってしまったからなのです。
先ほども述べたように、「孤独の発明」の連載終了を受けてのこの講演です。
と考えると、連載中に分かったということになり、まさに「孤独の発明」こそが「自分が死ぬということ」完結篇? 本論? となるべきものだったのです。
いささかこの辺りが分かりづらいところではあるが、要は「孤独の発明」の本篇も、その完結編とされた『言語の政治学』も、「孤独」と題名で謳っておきながら、いずれも「孤独」が中心テーマにはなり得ていないのです。
「孤独の発明」本篇はのちに「孤独の発明 または彼岸の論理」はとされたように、確かに、「彼岸」のことが書かれています。『言語の政治学』は、やはり、必ずしも「言語」のことだけではなくて、様々錯綜している印象を与えます。つまり、テーマが見えづらいのです。
しかしながら、要するに何だ、ということで言えば、結局は「自分が死ぬということ」以外にないのではないでしょうか。
要するに、「孤独の発明」本篇こそ「自分が死ぬということ」完結編であって、それ以外の何ものでもないのです。
ただ、そのテーマを最も明確に過不足なく述べているのが本講演「言葉と死」なのです。つまり、長歌に対する反歌の働きをしていると言えます。
何を以て「最も明確に過不足なく」というかと、問題、主題に明確に答えている、ということに尽きます。
そもそも、三浦青年に立ち塞がった問題はこうものでした。
① 人生は生きるに値しない。人生には何らの価値はない。 ② であれば、人類全体も存在する意味はない。
③ では、自分は自殺しよう(ということは人類全体も滅亡すべきなのだ)。
④ しかし、自殺すべきだと考えた自分を殺すことは、その当の自分自身の考えを否定することになる。
⑤ さらに、自殺することで人類全体への死刑宣告をしたはずなのに、自分が死んだあと、人類が(勝手に自滅するはずはないのだから)のうのうと生きているとは一体どういうことか。
⑥ 逆に、自分が死んだとしても、人類全体が何らかの形で生き残っていれば、まだ、自分が生きていたよすがを感じられるが、人類全体も存在しなくなったら、本当に何もなくなってしまう。
⑦ これらは全て矛盾で、この次の何らかの行動を暗黙の裡に禁止し、ただ立ち竦むことしかできなくなる。……
このパラドクスの故に、三浦青年は考えあぐねてしまったのだが、とりわけ、④の「自殺すべきだと考えた自分を殺すことは、その当の自分自身の考えを否定することになる」という点がポイントだったのでしょう。
なぜ、このような論理的矛盾が生じるのでしょうか。
実は、分かってみれば、さほど難しい問題ではなかったのです。
要はこうです。
人間の意識には二つある、ということです。
それは「言葉としての意識」と「生命としての意識あるいは生理としての意識」、この二つのことです(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.111)。
これを仮に、わたしの言葉で言い換えれば、この「意識」は「自分(という意識)」と考えてもよさそうです。そして「言葉として」の「言葉」を「意識」とか、「精神」とか「観念」としましょう。無論「精神」は言葉によって作られるのは自明ではあるが、それを明記するのはやぶさかではありません。
すると後者の「生命」、「生理」は「物質」、「肉体」と考えてもさほど間違いではないでしょう。
したがって、こうなるのではないでしょうか。
【図 三浦による「意識」の概念図】
【図 評者による「自分(という意識)」の概念図】
先に述べた三浦青年を悩ませていた自殺のパラドックスだが、②の肉体としての自分が仮に「死ぬ」ことで存在しなくなったとしても、①の精神としての自分は永遠に生き続けることになります。
したがって、こういう議論になります。
一般的には②よりも①の有無こそが重要視されている。つまり肉体が生きていたとしても、意識がないなら、それは死んでいるのと同じです。だからこそ、「脳死」、「植物人間」、臓器移植というようなことが現実に行われているわけです。
晩年の江藤淳が自らを、単なる形骸であるとして自裁したのもそういう観点によるのでしょう*。
*「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日
江藤淳」(江藤淳「遺書」)。
つまり、われわれは「言葉としての意識、自分という持続を言語的に把握し記憶している意識のほうを、その人間の意識と見なしているということ」(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.112)なのです。
そして、三浦さんはこう続けます。
生理としての意識は、誰でも、生まれたときから文句なしに持っているように思われます。 他の動物を見てもそれは分かります。しかし言語としての意識というのはいったいどういうものなのだろうか。それを問いつめると、人聞は自分が主体的に言葉を獲得したかのように思っているが、じつは言葉のほうに獲得されたのではないかという考え方が登場せざるをえなくなるのです。言葉によって獲得されたときに初めて主体が、つまり私という現象が成立したのではないか、つまり私なるものは言葉の後に成立したのではないか。それでは、なぜ、どんなふうにして、人間は言葉すなわち言語のほうに獲得されてしまうのだろうか。(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.113・傍線引用者)
まず「言葉によって人間が獲得されることによって、主体=私という現象が成立する」という考え方、取り分け、前半部分の「言葉によって人間が獲得される」という視点は、三浦さんの他の著書には見られないものです。言葉によって私が成立するというのは他でも見られますが。
先を見てみましょう。なぜ、また、いかにして、人間は「言葉に獲得される」のでしょうか。
① 直立二足歩行
② 仰向けに寝かしつけること=対面→眼を覗き込む→母親の自問自答→幼児の反復模倣=乗り移る=立場を変えること(相手の身になること、これが言語)
③ 言語を発明する条件の整備←→人間の幼児期の長期化
②③から分かることは、この「言語を発明する条件」とは結局は「母子関係という文脈、母子関係という構造」(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.118)に他ならないということです。すなわち、言語を習得するとは、この文脈を把握することであり、三浦さん的に言い換えるなら、文脈に組み入れられることが、すなわち言語の網の目の中に入ることなのです。
言語の習得は語彙の習得ではない。実際には文脈の習得であり、文法という形式が有効な場面がどのようなものとしてあるかを理解することの習得です。文脈とは、場違いというときのその「場」
と、まったく同じものです。
(中略)
そして、意外に思われるかもしれませんが、人間が、どういうかたちで文脈を習得してゆくかといえば、自分の存在が承認されるかどうか、承認させることができるかどうか、ということに意識を集中することによって習得してゆくのです。逆に言えばそれが意識の集中を促す。その意識の集中が人間の場合は言語としての意識の集中として行なわれるのであり、そういうかたちで言語としての意識に染まってゆくというか乗っ取られてゆくわけですが、その集中は、初めはもつばら、自分の存在が承認されている、
いない、を理解することをめぐって行なわれるのです。それが、文脈を理解することなのです。(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.119)
言語としての意識というのは、 そういうかたちで成立したのだとぼくは思います。赤ちゃんが、いわゆる赤ちゃん言葉を話しながら、まず文脈を意識し、文法を意識し、というようにして言語を獲得してゆくそのなかで形成される意識というのは、
じつは言語としての意識なのであって、それは生理としての意識を言語としての意識で覆い隠してゆく作業のことなのだとぼくは思っています。これは成長する過程で徹底的に行なわれる。授乳、排便などを通して、生理としての意識を徹底的に文法化してゆく、言語化してゆくわけです。その過程で、
日本語で世界を見るその見方を獲得してゆくですから、 私という現象、主体という現象そのものが、 じつは言語現象なのであって、自我、 すなわち誇りとか恥ずかしさとか、達成感とか挫折感とかいうのもすべて言語現象だということです。(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.122)
したがってこういう考え方にもなります。
言語の側から見れば、人間が痴呆化するというのは、言語がその人間を見捨てる、見放すということです。日本語なら日本語が乳児を獲得し、年をとって役に立たなくなると、それを捨て去る、そういうふうにして日本語は豊かになってゆく。そう考えると、残酷なようですが、きわめて分かりやすい。よく腑に落ちる。しかも、それが残酷なだけであるとは思えないのは、自分が自分であるというその意識そのものが日本語に属しているからです。自分とはじつは、生理的な肉体のことではなく、言語としての意識のことだとすれば、年をとった肉体を捨て去る意識というのは、じつは自分自身そのものではないか。だからこそ人間は自殺するのである。自殺する人間のその意識は、生理としての意識ではなく、言語としての意識に属しているのだ。そしてその言語としての意識は、原理的に、死なないのです。日本語なら日本語のなかに生きつづけ、さらには翻訳され、変容されながらでも、生きつづける。痴呆化した人間でさえも、誰かがそれを見守りつづけ、書きつづければ、なお、痴呆化した人間として生きつづけるのです。
(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.123)
簡単に言えば、これは、あの世とこの世は転倒しているということです。あの世というのはじつはこの世のことなのだ、この世こそがあの世なのだ。そして死ぬということは、繰り返しますか、まさに物質としてのこの世のただなかに帰るというただそれだけのことなのだ、そういうことになるわけです。(三浦「言葉と死」/菅野編『村上春樹の読みかた』p.129)
長々と引用してきましたが、しかしながら、むしろ逆ではないでしょうか。言葉の世界は永遠だとしても、それはあくまでも言葉の中でのことであって、その言葉/言語が消失したら、それまでです。あるいは先にも述べたように人類全体が滅亡したら、そこでおしまいなのです。一見、死によって我々の肉体そのものは亡びるかもかも知れぬが、実は生と死は鏡の表と裏の関係であって、意識そのものはなくなっても生命、それは恐らく物理的に複雑な組成を取るものは生命現象/擬似生命現象を持つと考えられます。
完全な余談だが、人工的に作られた機械、あるいはそれに類するものでも、ある一定の複雑さを備えることで、擬似生命現象なり、意識を保有することが可能になるのではないかと愚考する次第です*。
*例のごとくで恐縮ですが、この下りは別稿「機械の倫理学――『人造人間キカイダー』原論」(仮称)を起こして論じたいと思います。
つまり、生物と無生物の境目は極めて曖昧なのではないでしょうか。したがって、機械も意識や生命現象を持つし、逆に一般的な意味での生命体も、きっかけがあれば、簡単に「機械化」、「物化」してしまうと思うのです。
三浦さんはユング(ということは、全く言及がないが河合隼雄*も)や井筒俊彦などを「神秘主義」として嫌っているが、ぎりぎりまで言語化していく努力の中で/果てに/と共に、或る一点は言語化を拒絶するブラックホールのような、他のことどもを説明することで、そこには何もない、何も存在しない「何か」、原点Oのような何かがあるような「場所」=space=空間=空・間=宇宙がある訳ではないが、ある、ということはどうも確かなような気がするのです。それを「神秘」と言って、退けてしまうのであれば、話はそれまでになってしまうのですが。
*ただ、河合隼雄が厳密な(この場合何を以て「厳密」とするかは大変難しいが)意味での「ユング派」なのかどうかは議論の余地がありますが。
恐るべきことに、かく言うわたしにも学生時代があって、いっぱしに独り暮らしをして自炊のようなことも微かに、朧気ながらにしていた(気がします)。
とは言っても規則正しい生活など、どこ吹く風で、学生あるあるだが、朝晩逆転で、大体朝刊の届くのを心待ちにして、新聞を隅から隅まで読んでから眠りに就くのが普通でした。
なぜ、朝刊の届くのを心待ちにしているかと言うと、大変不謹慎な話ではあるが、例えば、革命が起きるとか、核戦争が起きるとかの現在の世界を根底から覆す、有体に言えばチャラにする大事件が起きていないかを確かめるためなのです。ってそんな大事件なら定時の新聞のレヴェルではなくて、世間的にも大騒ぎになるはずだが、ま、そこはあんまり考えていませんでした。
よく、深夜の、ビルの向こう側の夜空を見ながら、遠くの方で白い爆発の光が見えないか、漠然と探したものでした。――いや、これ、アブナイ人ですね。
で、なぜ新聞を隅から隅まで読むかと言うと、単に暇だったからですね。
そして夕方、日が沈むころになると棺桶を開けて目覚めるのです。「吸血鬼として生きる悲しみ」……。
そういう意味では規則正しい生活を送っていたのかもしれないが、ただ、微妙に就寝時間や起床時間が後ろの方へとズレていくのです。
これは、もともと地球の自転周期が一日24時間ではなくて、25時間だった頃の先祖の記憶を残しているからだという伝説を聞いたことがあるが本当でしょうか。
ま、そんなわけなので、当然学校なんか行くわけがありません。客観的に言えばとんでもない穀潰しです。
で、或る時、流しのシンクの片隅に、棄てられたレタスの欠片がへばりついていたが、そいつが奇妙なことにまだ生きていることに気づいたのです。そいつは7㎝大にばらばらにされていたにも関わらず、流しの水分を吸って、つやつやと薄緑色に輝き、
――オレハ・イキテ・ル……
と呟いている気がしたのです。
あたかもそれは地雷を踏んで、上半身が斜めに裂けて腕も片方しかないのに、こいつ、まだ生きているぞ、というような惨状に遭遇したようなものです。いや、不謹慎ですね。
もちろん度を失った若き日のわたしは、幾許かの道理も情けも持ち合わせていなかったため、すぐさまそのレタス野郎を抹殺したことは言うまでもありません。
全く以て、「嗚呼、無情」、「無情といふ事」とはこのことだと今になっては思います。
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
というのは村上春樹の言葉、というよりも村上さんの著書、インタビュー集の書名です*。しかしながら、村上さん自身の或る種の実感がそこに表れていると言ってよいでしょう。
*村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです――村上春樹インタビュー集 1997‐2009』2010年・文藝春秋。
眼が覚めると夢の中だというのだから、現実と夢想の世界が丁度反転している形になっているということでしょうか。
もちろん、そうではなくて、直接的には、村上さんは小説という、共有可能な夢を紡ぐために起床しているのだという意味でしょう。書名の元になったインタビューの題名は「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」*だからです。
* 「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」2003年/前掲『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』。
しかしながら、単に職業作家だけが持つ感覚というよりも、冒頭でも述べたが、そこに或る種の感覚、夢の世界の方がリアリティがあり、現実の日常生活の方がむしろ空疎な、あるいはどこかしら底抜けの感じがして摑みどころがない、という感覚は広く一般の人々にも感じられているのではないでしょうか。
言うなれば、夢の世界は、例えば小説の世界でもあるし、広く、映画やテレヴィドラマ、あるいは演劇などの世界にも敷衍することができるかも知れません。
無論、現実の社会情勢や具体的な事実に竿を差した作品も多く見られることでしょう。しかしながら少なからぬ、文学に限らず、現代の表現者たちが、夢の世界に捉えられていることは間違いないと思われます*。
*この問題、すなわち多くの文学者たちが夢の世界、すなわち「幽霊」に囚われていることを論じたのが三浦雅士「孤独の発明 または彼岸の論理」(前掲)に他なりません。
ただ、今回述べたいと考えていることはそういうことではありません。そのことを考察するために、村上さんの短篇小説「ねむり」*を挙げてみたいと思います。
*村上春樹「眠り」/
①雑誌初出『文學界』1989年11月号・文藝春秋/
②単行本 村上春樹『TVピープル』1990年・文藝春秋。
③全面改稿、アートブック 村上春樹・イラストレーション カット・メンシック『ねむり』2010年・新潮社。本稿では③を使用した。
「ねむり」は簡単に言えば「不眠症」の話です。「専業主婦」という言い方がOKなのかどうか不明だが、一旦このまま続けると、30歳*の専業主婦の女性が「不眠症」になって「十七日目になる」**。だが「不眠症」ではなくて、「ただ単に眠れないのだ」。「でも眠れないという事実を別にすれば、私は至極まともな状態にある。まったく眠くないし、意識はクリアに保たれている。むしろ普段以上にクリアだと言ってもいい。」***と言うのです。したがって、あるいは「病気」(の一種)かも知れぬが、何しろ本人に今のところ、全く害がない、むしろ以前よりも快調のようにも読めるぐらいだから、問題はなさそうです
*『ねむり』p.19。
** 『ねむり』 p.7
*** 『ねむり』 p.12
眠れなくなって彼女はどうなったのでしょうか。夜中は起きています。というか24時間ずっと目覚めています。今まで飲んでいなかったブランディーを口にし、夫が歯医者のため禁止されていたチョコレートを食べ、そして『アンナ・カレーニナ』を異様な集中力で読み続けます。最初の一週間で3回も読んでしまう。その都度新しい発見をする。そして、
どれだけ意識を集中しても私は疲れなかった。(中略)いくらでも読み続けることができた。どれだけ意識を集中しても疲れを覚えなかった。どのような難解な箇所も難なく理解することができた。(中略)そして深く激しく感動もした。(『ねむり』p.69)
そして彼女はこう言う。
これが本来の私のあるべき姿なのだ、と私は思った。大事なのは集中力だ、私はそう思った。(『ねむり』 p.69)
「覚醒」というのはまさに今まで眠っていたものが目覚める、あるいは隠されていた可能性が開花することを意味するが、まさにそれです。
要するに彼女に訪れたのは、今まで睡眠という形で一日の中の何時間が「無駄に」消滅していった時間が、有効に使えるようになった。つまり一日の時間が増殖したということになるというのです。それは言い換えるなら「要するに私は人生を拡大しているのだ」*ということになります。
* 『ねむり』 p.67・傍点原文。
無論消費できる時間が増えているのだから「拡大」ということになるが、先述した、主人公の「不眠」以後の様子を見ていると別の言い方が浮かんできます。彼女は眠れないのではなくて、眠らないのです。そのことによって、「人間の拡張」をしているのだ、と。
しかし、そうは言っても、実際にはなかなか「人間の拡張」までは行っていません。せいぜいが、本来のあるべき姿を取り戻しているぐらいが関の山かも知れないのです。また作者自身の意図としてもそこにはないかも知れません。
しかし、この作品が潜在的に持っている可能性のようなものを考えていくとどうもこの考えがわたしには捨てきれないのです。
それで結局どうなるのかと言えば、深夜にドライヴに出かけた主人公が波止場に停車していると、見知らぬ男たちに、車ごと揺さぶられるがどうすることもできない。そして「何かが間違っている。」*と独白して、諦めて泣くシーンで終わるのです。
* 『ねむり』 p.86・原文ゴシック体。
言うまでもなく、彼女は眠れなかったのではなく、むしろ逆で、眠っていたのです。題名が「ねむり」とあるのだから、眠っているのです。果たして、17日とか、そのような長期に渡る眠りかどうかは分かりません。もし、そうだとすると昏睡状態ということになります。
車を揺すぶっている男たちは「二つの影」とあるから、二人です。順当に考えれば、彼女の夫と息子が眠っている彼女を起こそうとしていると考えることができます、一応は。
* 『ねむり』 p.85。
最後のシーンで主人公が諦めて泣いているのは、むりやり現実世界に連れ戻そうとする夫と息子という「現実」を忌避しているとも考えられます。
さて、一体これは何を意味しているのか。無論、作者村上さんの意図を問うている訳ではありません。ここからどんな意味を汲み取ることができるのか、という意味です。
逆と言っていいのか、同じと言っていいのか分からないが、村上さんの中篇小説『アフターダーク』*には2か月間眠りから目覚めない女性が登場します。この場合は昏睡状態と言ってもよいでしょう。彼女はこの作品の主人公の姉だが、外部からしか描かれないため、その眠りの世界の内面は分からない。そもそもなぜ2か月間も昏睡状態なのかも分からないのです。
*村上春樹『アフターダーク』2004年・講談社。
ただ、村上さんにとってこの状況は何がしかの、あるいはそれ以上の意味を持つものだろうということは朧気ながら伝わります。
というのはこの夢想世界と現実世界、言ってよければあの世とこの世の二重構造、対比構造は村上の作品ではしばしば見受けられるものだからです。
典型的なものが、まさに題名通りと言うべきだが、出世作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』*。まさにあの世とこの世である。
* 村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』1985年・新潮社。
この世であるところの現実世界ではハードボイルドさながらの冒険活劇が繰り広げられるが、あの世である「世界の終り」では「自我意識」を失った人々が謐かに、そして「永久」に暮らす場所だ。実はこの「世界の終り」は「ハードボイルド・ワンダーランド」の主人公「私」の自意識のコアであるとされます。最後的に「私」は組織の暗躍? によって意識を喪い、つまりは昏睡状態になるわけだが、その奥で、「世界の終り」の主人公の「僕」は、ということは「僕」は「私」の自意識ということになるが、その「世界の終り」の世界は間違っているから脱出しようと誘う「影」、つまり「僕」の「無意識」に相当するのか、その「影」の誘いを断り、その「世界の終り」の世界は「僕」自身なのだから、逃げ出すわけにはいかない、「責任」を取るべきだとしてその世界に僕は残ることになります。
ここは村上自身も結末の付け方を迷ったとしているが、これで「正解」ではなかったかと思います。
「私」は物理的には意識がなく半死半生状態ではあるが、自分の意識ではあるが、「世界の終り」の世界に「僕」として、恐らく永久に生き続けるのです。
そして、もし『アフターダーク』の姉が眠っている世界も同じような半永久的な世界だとしたら。
そして、同じように「ねむり」の主人公が眠っている、いや、生きている世界も同じだとしたら。
いや、確かに「ねむり」の主人公も「あの世」に行っているのだろうけれども、「世界の終り」のような謐かな世界という訳ではなく、むしろ現実そっくりです。それは主人公は現実世界で眠れなくなった、というだけで、あとは別におかしなことはないから当然といえば当然です。
いや、そうではなくて、先に検討したように、彼女が自分自身で言うように「人生を拡大」しているというのを、彼女の能力が拡大している、もし、彼女が「死の世界」に「生きている」とすれば、矛盾と嗤うなかれ、「不死の世界」に生きているのだとすれば得心が行くのではないですか。
言うなれば、人間の能力の限界まで拡張させてみた、言い換えるなら、人間の遠い彼方へ拡張させた、ひとつの姿がここにあると言えないでしょうか。
「人間の拡張」 と言えば、言うまでもなくカナダの文明評論家マーシャル・マクルーハンの『人間拡張の原理』*を想起する方も多いでしょう。
* Herbert Marshall McLuhan, Understanding
Media: the Extensions of Man, (McGraw-Hill, 1964). /後藤和彦・高儀進訳『人間拡張の原理――メディアの理解』(竹内書店, 1967年)/栗原裕・河本仲聖訳『メディア論――人間の拡張の諸相』(みすず書房, 1987年)
マクルーハンは、あらゆるメディアやテクノロジーは人間の能力の拡張として機能すると述べました。例えば脚の拡張が車輪であり、耳の拡張がラヂオであるという具合に。
で、あるとすれば人間を拡張するヴィークル、乗り物として「夢」はありえないでしょうか。あるいは小説や映画、あるいは音楽作品というものが人間の能力を、あるいは人間のあり方を拡張しないでしょう?
本章では「人間の拡張」という主題で、三浦雅士の『孤独の発明 または言語の政治学』の検討をしてみたいと思います。
三浦さんは「孤独は言語とともに古い」として「青春」が「近代」を象徴するテーマだったに対して、「孤独」はそうではない、「時代背景」を考えてはいけない、つまり、それは「近代」に所属するものではないとしているが、果たしてそうでしょうか。ここはいささか込み入った状況があるように思われます。
*三浦『言語の政治学』p.1。
例えば、先に述べた「暗黒の宇宙空間のイメージ」は、例えば、ジョルジュ・プーレ描くところの宗教改革者ジョン・カルヴァンの地獄を容易に連想させます。
不安にさいなまれ、 一本の糸の先にぶらさがったおのれの実在をながめる苦しみを負わされ、おのれの住んでいる土地が、「ひっきりなしに足場がひっくりかえるかと思われるほど深い地獄の上に」あるのを見ながら、失墜の存在は、瞬間から瞬間へ、奇蹟によってしか生きていないという心地になる。彼に与えられている各瞬間は、不可避的に転落の瞬間である。神は人間の実在の糸を絶えずくりのべて行くというよりは、復讐と絶滅の行為を、
一瞬ごとに中止して、宙吊りにしているように思われる。(ジョルジュ・プーレ『人間的時間の研究』1950年/井上究一郎ほか訳・1969年・筑摩書房・p.13/真木悠介『時間の比較社会学』1981年/1997年・同時代ライブラリー(岩波書店)・p.193から援引。以下『時間の比較社会学』からの引用は同時代ライブラリー版からの引用である)
現代日本を代表する理論社会学者・見田宗介は「世に容れられるということを一切期待しないという、古風な熱情を以て記された文章群」は「真木悠介の筆名で発表する」という真木悠介の代表作とも言っていい『時間の比較社会学』からの援引です。
真木さんは人類の持ち得た時間の形態を4つに分類しています(「第三章」)。
【図 時間の4形態(真木『時間の比較社会学』p.157)】
この「不可逆性としての時間」並びに「量としての時間」の融合体として「成立」した「直線的な時間」を生きる「近代社会」においていかなる事象が生じたのか。その一端が先に挙げた「カルヴァンの地獄」です。
真木さんはこの分析の後に「近代社会の時間意識」を「時間への疎外」(「第四章」)、そして「時間の物象化」(「第五章」)という二つの側面から詳細な検討をしたうえで、この二つが近代に生きるわれわれにとって「ニヒリズム」しか招来をしないことを論じた上で(「結章」)、「あとがき」において、次のように総括しています。
近代人は死の問題を、意識の底に封印している。/それはみずからの死の問題と人類の死の問題とが、近代的自我にとっては解決不可能な問題であると同時に、それゆえにこの問題にかかわっていては、市民社会を生きてゆくことはできないからだ。われわれの生の時間は限りがあること。人類の全歴史もまた、限りがあること。そのあとにつづく死の時間は無限であること。そのかなたには、たぶん、なにもないこと。/それはこの本のはじめに引用したパスカルの虚無に他ならない。(真木「あとがき」/『時間の比較社会学』p.312。傍点原文)
まさに中島「狼疾記」主人公のたかだか10歳前後の少年が恐怖した「虚無」がそのまま抉り出されていると言えます。注意すべきは、やはりこの「虚無」が「近代的自我」の問題と切り離せないことでしょう。これを人類の通時的な問題に帰することは、問題そのものが持つ根拠、よって来る由来を喪失させることに繋がるでしょう。
ちなみに末尾の「パスカルの虚無」とは当書冒頭に引用されている以下の文言のことです。
この世の生の時間は一瞬にすぎないということ、死の状態は、それがいかなる性質のものであるにせよ、永遠であるということ、これは疑う余地がない……。(パスカル『パンセ』1897年/真木『時間の比較社会学』p.2より援引)
あるいは、「孤独」と言えば、デイヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』(1950年)を想起する人も少なくないでしょう。「群衆」であるにも関わらず「孤独」であるという「矛盾」がまさに近代=現代社会のパラドクスを、われわれが日常直面している困難を如実に照らし出して、ベストセラーとなったものです。後年、いわゆる「大衆社会」の名著の一つとして社会科学系の学生にとっての必読文献となりました。
ここは一旦論証を省くが、言うまでもなく、「群衆(群集)」も「大衆社会」も、「近代社会」の申し子であって、そして、その意味において、まさに「孤独」という概念、「孤独」という事態、あるいは状況も「近代」という時代の「正嫡」と言わねばなりません。
先に述べたように、三浦さんは「青春」は「近代」のものとしました。同様に「孤独」も近代に属するのではないでしょうか?
4 「孤独の発明」本論、及び『孤独の発明 または言語の政治学』の迷走
さて、2019年6月、長らく連載が続いていた長篇評論「言語の政治学」が『孤独の発明――または言語の政治学』との書名で、ついに刊行されました。途中の連載中断を挟んだいわくつきの作品です。
そもそも本作の連載は二つの時期にまたがっています。
前半部「孤独の発明」*は『群像』2010年1月号から2011年6月号まで連載されました。そして5年間の空隙を挟んで、後半部「孤独の発明 最終章 言語の政治学」**は『群像』2016年7月号から2017年8月号まで連載されました***。
*前半部は三浦によって「孤独の発明 または彼岸の論理」と仮に命名されています(三浦雅士「あとがき」/『孤独の発明 または言語の政治学』p.548)。
** 「孤独の発明 最終章 言語の政治学」という表記は「予告」などに記載されていたが、連載中の本文は「言語の政治学」というタイトルでした。
***正確には2016年10月号の休載があります。
そして約1年の推敲の後に、前半部が「廃棄」*され、後半部に書き下ろしの3章を付加するなど**してようやく本書が成立しました。前半部を廃棄しても、ページ数にして552ページになんなんとする大著です。大変な力作と言ってよいでしょう。本書では前半未刊行分「孤独の発明」本論を「孤独の発明」本篇、後半単行本刊行分を『言語の政治学』と仮に呼ぶことにします。
*厳密に言うと「廃棄」されたかどうかは分かりません。今後公刊される可能性はあります。その前提の上で註記をするが、三浦さんが「廃棄」した、ということは言うなれば失敗部分である前半部「孤独の発明」本篇にこそ本作のモチーフの根幹があるのだろうと思います。
**「第十三章 感動の構造」は全面書き直し、「はしがき」「第十四章 視覚革命と言語革命」「第十五章 飛翔する言葉――社交する人間の「うたげ」」「あとがき」は書き下ろし。
以前、三浦さんの『漱石』*論についての書評を書いた際に、以下のように付記しました。
*三浦雅士『漱石――母に愛されなかった子』2008年・岩波新書。
そもそも本書(『漱石』)は三浦の大著『出生の秘密』*からのいわゆるスピンオフに当たる作品である。当然のことながら、これはその前著『青春の終焉』**を引き次いでいる。さらにはこれらの後継作となる「孤独の発明」の『群像』誌上の長きに渡る連載***が終了し、今まさに刊行が待たれるところである。
*三浦雅士『出生の秘密』2005年8月・講談社。
**三浦雅士『青春の終焉』2001年9月・講談社。
***三浦雅士「孤独の発明」/『群像』2010年1月号~2011年6月号。「孤独の発明 最終章 言語の政治学」/『群像』2016年7月号~2017年8月号・講談社。
したがって本書は本来であれば『青春の終焉』→『出生の秘密』→『孤独の発明』というこの一連の流れのなかで、さらに再度論じなければならない。したがって、いよいよその時が来た、という訳だ。
さて、本書のテーマである「孤独の発明」とは一体何なのなのでしょうか。「言語の政治学」とは一体何でしょうか。このモチーフは早くも2005年に刊行された、前著『出生の秘密』第十五章の文字通り「孤独の発明」の最終部に言及されています。
孤独は必ずしも暗いものではない。孤独においてこそ、人は、社会に、世界に、向き合うのである。宇宙に向き合う。/(中略)開かれた孤独というこの逆説は、しかし、ただ言語によってのみ生じているのだ。社会も世界も宇宙も言語の所産にほかならない。(三浦『出生の秘密』p.570)
そして、
およそ文学といわれるものはすべてこの孤独にかかわっている。(三浦『出生の秘密』p.571)
と、断言しています。
以上のような次第でモチーフについてはかなり以前から暖められていて、主題としてもかなり明確な姿を持っていたのではないかと推測されます。
ところが、です。
結論的に言えば、本書『孤独の発明 または言語の政治学』は一般的な意味では「失敗作」と言ってよいでしょう。
本書は長期連載終了後のまま単行本化されていない「孤独の発明」本篇「彼岸の論理」を回収するために、「孤独の発明 最終章」として連載が開始(再開)されたものの、十分に「本来の目的」を「達成」しないまま、なぜか、ほぼそのまま単行本化されました。
一読した感想は筆者の意図がうまく捉えられない、要するに何が言いたいのか俄かには判然としないというのも上記に述べた事情によるのです。
『言語の政治学』「あとがき」において三浦さんはこう述べています。いささか引用が長くなるが、「孤独の発明」の成立の由来を明らかにしていて大変興味深いと言えます。
私は「群像」二〇一〇年一月号から翌二〇一一年六月号まで「孤独の発明」という表題のもとに評論を連載している。十八回である。
連載終了後、本にまとめるべく手を入れようとしたのだが、気が乗らずどうしても前に進めなかった。書くときは小生ごときといえども必死である。熱い渦巻きのようなもので、再び巻き込まれるには覚悟が要る。下手に入り込むと弾き飛ばされそうで、手をこまねいている日が続いた。月日が経ち、いっそう入り込めなくなってしまった。文章に愛着がないわけではない。だが、どうしても入り込めないのである。
そうこうするうちに二〇一五年になってしまい、当時の「群像」編集長・佐藤とし子さんが見かねて再連載を提案してくださった。正直に述べて救われる思いだった。私にとって「孤独の発明」という主題は重要なものだったからである。
二〇一〇年から始めた連載は、幽霊の問題を扱っている。死および死後の世界がなぜ現代文学の重要な主題になっているのか、である。たとえば小林秀雄が『本居宣長』のなかに描き出した浮舟が中原中也とまったく同じ姿をしていることの意味である。小林も中原も、この世がなかばあの世であることを知っていたのである。手を入れるのに難渋したのは、その主題に入る前に論じておくべきことがあるという思いが日増しに強くなっていたからである。
死および死後の世界が言語の所産であること、だからこそ人間の表現行為はほとんどつねに死および死後の世界にかかわらざるをえないその仕組を論じておく必要がある。そう考えるようになっていた。本書から見れば、二〇一〇年から始めた連載は、いわば「孤独の発明 または彼岸の論理」とでもいうべきもので、むしろ第二部のようなものだ。(三浦「あとがき」/『言語の政治学』p.548)
要するに連載前半部「彼岸の論理」においては「死および死後の世界がなぜ現代文学の重要な主題になっているのか」という問題、一言で言えば「幽霊の問題を扱っている」。
確かに、連載中の内容を見ると、当然「連載中」、すなわち「未定稿」なわけだから、錯綜する内容や本論の流れからすれば無駄ではないかと判断される個所も少なからずあるが、「現代 日本 文学」における「幽霊の問題」は論究されていると言えます。というか、この問題については、内容、方法、叙述の形式、総合的に判断しても大変優れた達成と言ってよいと思います。
若干の手直しの上で、ほぼそのまま公刊してもさほど問題はなかろうと考えられる。したがって、三浦さんが躊躇する理由がまるで分かりません。
あるいは公刊するには「長過ぎる」*、圧縮するようにとの書肆の「指示」があったのかも知れません。したがって「手を入れる」必要があるわけだが、実は後述するようにそれそのものはさほど困難だとは思えません。
*仮に長過ぎるとしても、であれば、そもそも18回も雑誌に連載させねばよいことだが、恐らくそういう問題ではないでしょう。
なにか別の、われわれ一般読者が知る由もない理由があったのでしょうか? あるいは三浦さん本人が言うように、ただ単に「気が乗ら」なかっただけなのでしょうか。
さて、問題は、この「彼岸の論理」の前提として「死および死後の世界が言語の所産であること、だからこそ人間の表現行為はほとんどつねに死および死後の世界にかかわらざるをえないその仕組を論じておく必要がある」とのことで、後半部『言語の政治学』が構想され、そして公刊の運びとなったが、これも後に詳述することになるが、あまり成功しているとは言い難いのです。確かに「言語」が「支配」という機制を持っていることは論じられてはいるものの、例のごとく、と言えばそれまでだが、日本の古典文学の読解や「視覚」の発生の問題、あるいは日本の仏教思想の内在的批判などが錯綜して論じられています。
恐らく、三浦さんの論考の原型を成しているのが「書評」という形式、すなわち、何らかの書物を取り上げて、自らの考えをコメントしていく形だが、これはこれで論ずるに値する問題です。論文の原型は「書評」なのです。
ではあるものの、言葉を選ばずに言えば、複数の書評がただ並列しているだけなのです。
無論、意図的に三浦さんは体系的な論述の形式を避けていることは理解できます。が、一体これはなんでしょうか。要するに何が言いたいのか俄かには判断できないことも、そうではあるが、そもそも、前半部も後半部もいずれも「孤独の発明」というテーマを全的に究明し切っていない、「孤独」とは何ぞや、その「孤独」を「発明」するということは如何なる事態なのか、これらを十全に論究し切っていないと言わざるを得ません。
いや、むしろ、それ以外の興味深い様々な論題が語られて、その方に心が惹かれるぐらいです。そこに意味があるのだと言いたいのでしょうか。
ただ、このテキスト、あるいは前後で書かれたテキストをつらつら精読してみると、そもそもこの、これらのテキストが何を要求しているのかが窺えるような気がします。
では、一旦ここで本書の成立について確認しておきましょう。
『孤独の発明 または言語の政治学』は以下のようなテキスト上の経緯を持つ。
(1)雑誌連載「孤独の発明」(「出生の秘密」連載第15回)/『群像』2005年4月号・講談社。
(2)「大幅改稿」(『出生の秘密』p.618)の後単行本収録「孤独の発明」/『出生の秘密』2005年8月15日・講談社。
(3)雑誌連載「孤独の発明」全18回完結/『群像』2010年1~12月号、2011年1~6月号・講談社・単行本未収録。仮に筆者には『孤独の発明 または彼岸の論理』と命名されている(三浦雅士「あとがき」/『孤独の発明 または言語の政治学』p.548)。
(4)雑誌「言語の政治学」全13回完結/『群像』2016年7・8・9・11・12月号、2017年1・2・3・4・5・6・7・8月号・講談社。連載開始時には「「孤独の発明」最終章/「言語の政治学」」と宣伝された。
(5)単行本『孤独の発明 または言語の政治学』2018年6月28日・講談社。「第十三章 感動の構造」は「全面書き直し」、「はしがき――孤独について」、「第十四章 視覚革命と言語革命」、「第十五章 飛翔する言葉――遮光する人間の「うたげ」」、「あとがき」を書き下ろし、本論全15章に「はしがき」と「あとがき」を加える(『孤独の発明 または言語の政治学』p.18)。
では、「孤独の発明」とは何か?
そもそも「孤独」とは何か?
それを「発明」するとは一体どういうことなのか。
まず、孤独について考えてみましょう。
孤独は、言葉は良くないが、ありふれた言葉、ありふれた現象です。しかし、動物に人間と同じような感情があるかどうかは検討の余地があるかも知れぬが、恐らく孤独を感じる動物はいないのではないでしょうか。いや、寂しがるペットがいるだろうという方もいらっしゃるかもしれぬが、給餌を常時受けている動物たちが人間の保護を求めるのと寂しがる、悲しみを覚える、孤独を感じる、というのは恐らく別のことでしょう。人間が自らの内面を動物たちに投影しているに過ぎません。
したがって、人間に固有の感情、心情、内面の問題はそれとして検討すべきであって、とりわけ「孤独」について言えば、まさに人間の人間たる所以を明証している現象でしょう。
たしかに、孤独はありふれてはいるが、孤独の描かれない文学作品のみならず、孤独の心情を核に持たない芸術作品は恐らく存在し得ぬでしょう。
三浦さんは先に「青春」を検討し、「出生の秘密」を研究しました。「出生の秘密」については一旦措くとしても、「青春」という主題系がすぐれて「近代」、あるいは「近代」のごく一部に関わるものであるように、「孤独」も同様に近代との親近性が高いと思われます。それは孤独が青春と切っても切り離せない関係にあるからだが、つまり、青春期に人は孤独に陥ります。しかしながら、よくよく考えれば、幼少期に孤独に囚われた記憶がない人々を探す方が難しいだろうし、孤独を感じない老人が、仮にいるとすれば、それは素晴らしいことだろうが、客観的に言えば、それは大変、希少な例だと、誰でも分かります。
したがって、孤独とは恐らく、時代や人間の年齢とは無関係に、人間という種に固有の、すなわち、人間である以上、多かれ少なかれ、誰しもが経験するだろう普遍的な現象であることが推測できます。
『源氏物語』「宇治十帖」の浮舟に絶望とともに底なしの孤独を感じない読者はありえないでしょう。しかし、この底抜けの孤独は光源氏と表裏の関係にあるのは言うまでもありません。源氏の栄光の頂点に、やはり孤独をみない読者も少ないでしょう。
あるいは『新約聖書』のどこを開いてもイエスの姿に指導者の、あるいは覚者の孤独を見ない読者も少ないでしょう。
卑近な例を挙げてみましょう。
ヒットソングなどの、いわゆる流行歌に表れる代表的な感情の符牒として「孤独」がまず上位に来ると考えられるが、一旦、その全体の研究は措くとして、1960年代に流行したフォーク・ソングに「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲があります。北山修作詞、加藤和彦作曲になるものです。さて、タイトルこそ「愛」を歌っているし、いわゆる盛り上がりに当たるサビの部分もタイトル通りである。現存するヴィデオ・クリップなどを見ても歌唱する加藤和彦はこのタイトル、錆びの部分を聴衆に合唱させています。
しかしながら、普通に考えれば「愛をもう一度」といっているのだから、愛はもうここにはないのです。なぜ愛はここにはないと判断されるのでしょうか。わたしが歌ってもいいのですが(笑)、今日はギターを持ってくるのを忘れてしまったので、例のごとくYouTubeで聴いてみましょう。
歌はこう始まります。それでは、はりきって参りましょう、ドーゾ!
命かけてと誓った日から
すてきな想い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度
赤トンボの唄をうたった空は
なんにも変っていないけれど
あの時ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度
広い荒野にぽつんといるよで
涙が知らずにあふれてくるのさ
あの時風が流れても
変らないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度
そうなのです。「あの時 同じ花を見て/美しいと言った二人の/心と心が今はもう通わない」ある時点では気持ちが通い合ったと思っていたとしても「今はもう通わない」のです。それは「美しい花」や「空」や「風」といった不変と思われる自然に対して、二人の心は、人間の気持ちは変わってしまうのです。気持ちは通じ合わないのです。今主人公に訪れるのは「広い荒野にぽつんといるよで/涙が知らずにあふれてくるのさ」という、まさに孤独の心情なのです。
これは、恐らく若い恋人たちが想定されているのであろうが、二人の気持ちが変わってしまったためなのか。二人の愛が覚めてしまったのか。
そうかもしれません。現実的なことを考えればそういうことになるのでしょう。しかし、ここに表れる「広い荒野にぽつんと」たった一人でいるような心情はむしろ根源的なもの、すなわち人間が人間として誕生したことに起因する状況ではないのでしょうか。
それはなぜか。生物学的な議論をしているわけではありません。それは「私」の発生、「私という現象」の発現と相似形をなしているからです。
「私という現象」は言うまでもなく宮澤賢治、生前に唯一刊行された第一詩集『春と修羅』の冒頭部分に由来します。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
と言ってもここで賢治について論じようという訳ではありません。
そもそもこの「私という現象」という主題系こそ三浦雅士を、その最初期から、あるいは場合によっては彼の幼少期、それはもちろん、後に仮構された、投射されたものだとしても、三浦さん自身の幼少期からの、まさに固有と言ってもよい状況、現象、問題でした。
或る意味、当然なことではあるが、後に述べるように、「わたし」に拘ったというよりも、「私という現象」に囚われていた三浦さんは何故か、自著において、自身について、とりわけ自身の過去、来歴について語ることが全くないわけではないが、絶えてなかったのです。なにか拘りがあるというよりも、三浦さんの主題、文体、記述形式からして、馴染まないというのが主たる理由だと思うが、それは俄かには判断できかねるが、ところが、『言語の政治学』においては、あくまでも論述を展開するための例としてではあろうが*、自身の過去の回想について散在する形ではあるが、数か所に渡って語られています。
*とは言うものの従来の三浦の読者からすれば、これは異様な事態です。単にこの著書だけを読んでも、他の地の文と比べても論調が変わってしまい奇妙です。ここにもこの著書における三浦さんの或る種の「迷走」ぶりが表れている気がするのですが。
その中の一つ。三浦さん、小学校5年生時の記憶である。
私は事情があって小学校五年生のときに雪国の山奥から東北太平洋岸のある町に転校したが、おそらく戸籍上の問題か何かがあって、数週間、待機児童のような境遇に置かれていた。幼年の記憶なので期間ははっきりしないが、とにかく学校へ行くこともなく、ほとんど毎日、太平洋岸の広大な砂浜にひとり足を運んで過ごした。早春だった。太平洋岸は雪が降らない。空も青く、海もひたすら青かった。はるか遠くに工場地帯の煙がうっすらと見えていた。風が快かった。そうして、この世のすべてはもう終わってしまっているのだという漠とした思いが、波のように、ほとんど音楽的に、寄せては返すのを感じていた。その思いは強烈で、まるで記憶の中を生きているような気分だった。(『言語の政治学』p.408・傍線部引用者)
あえて、傍線部に注意を向けなくても一読瞭然であろうが、これをして三浦さん自らが「要するに一種のメランコリーに陥っていた」のだと解釈しています(『言語の政治学』p.408)。
三浦さんの10代までの来歴はほとんど不明に近いと言っていいでしょう。『Wikipedia』中の「三浦雅士」の項目の記述を信用すると「事情があって(中略)転校」というのは恐らく「母親の再婚」のためだと思われるが詳細は分かりません。そこで、やはり同じ『Wikipedia』から、三浦さんの実妹である作詞家の「三浦典子」さんの項目を参照することにします。
1949年青森市で出生した。小学校3年までは青森県の大鰐町、それ以後は八戸市で育った。三浦が中学生のとき、兄の三浦雅士が弘前高校に進学し下宿したため、同兄と一緒に育ったのはそれまでである。(「三浦典子」/『Wikipedia』)
三浦さん本人は1946年生まれ。3歳年下の典子さんが小3ということは三浦さんは小6前後ということになるから附合します。大鰐町は東北本線上、弘前市の丁度右下に当たります。そう考えれば雪国の山奥とはここのことだろうか。三浦さんの出生地は依然不明だが小5までは青森県大鰐町にいて、そこから「母親の再婚」のため「東北太平洋岸のある町」=「八戸市」に転居した。「はるか遠くに工場地帯の煙がうっすらと見えていた」のは八戸港周辺の工業地帯のことでしょうか。
こう考えてくると、三浦さんが後年、現代作家たちの中に鬱的な心的状況を見て『メランコリーの水脈』を書かざるを得なかったのも、漱石や丸谷才一の「出生の秘密」こそが彼らの作品の根幹を成すことを『出生の秘密』として書かざるを得なかったのも、まさに三浦さん自身の「メランコリー」であり、三浦自身の「出生の秘密」にその理由、決定的な、絶対に避けて通ることができない大きな謎があったと言えます。
「典子」さんの項目によれば、その後、三浦さんは「弘前高校に進学し下宿した」とあるが、三浦さんが青森の、というよりも東北全域、あるいは全国に名だたる名門校である弘前高校の出身ということは、三浦さん自身の著書の多くに記載されていることだから周知の事実です。しかし「下宿」云々というのは、恐らく本人の著書では今回初めて公にされたことです。
『言語の政治学』、「あとがき」において高校2年生の記憶が回想されます。「学校など馬鹿らしくて行っていられなかった。親許を離れて下宿をしていたのでそれが可能だったのである。」とあります(『言語の政治学』p.545)。「それ」というのは学校をサボることと同時に彼は小説を書いていたのだがそれをも指します。「小説は焼却した。」らしい(『言語の政治学』p.545)。どんな小説だったのか。
「神の死」をモチーフにしたと思われる、フェデリコ・フェリーニの映画『甘い生活』について触れた上でこう述べます。
当時、私は、人間には生きる根拠がない、理由がないという一種の強迫観念に捉われていて、そこから抜け出すことができなかった。これはどのような人間にも、いや、人類全体に妥当すると考えていたのである。人類は宇宙の、少なくとも地球の癌細胞にすぎない。もし、人間の尊厳を思うならば、全人類が自滅を選択すべきだと思っていた。神がもしも存在するとすれば許し難い。神の死後も平穏無事な顔をして生きている人間たちは、なお許し難いと思っていた。なぜかとにかく怒っていたのである。とはいえ、自分が芥子粒にすぎないことも思い知っていた。/自殺をとどめる論理はただひとつ。自殺は、自殺しようと思っている当の自分を殺すことだから、自殺の否定になるという自己言及の矛盾だけだった。(『言語の政治学』p.544)
これまた「メランコリー」と言うべきではあるあるが、ここにはやはり後年主題化する「自分が死ぬということ」という問題が既に現れています。
『自分が死ぬということ』は1985年に刊行された書評集ではあるが、まずもって、自らの書評集にこのようなタイトルを付けること自体がそもそも奇妙、あるいは奇を衒いすぎだというしかないが、三浦さん本人にとっては切実にこの題名を付けたようです。「あとがき」にこう書いています。「表題にしてもそうだ。私にはこれ以外の表題を思いつくことができなかった。」と。
だが、書評集としての題名云々という問題はともかくとして、少なくとも巻頭に付された「序」については検討を要します。後に詳細について触れることになるが結論から言って、或る意味この序文――「序――自分が死ぬということ――」に全てが尽きていると言い切っても過言ではありません。
三浦さんの近作は『アステイオン』に連載されていた「世界史の変容・序説」であるが、言葉は良くないが、それよりも、この「自分が死ぬということ」の本論を、つまり書評集と言うことではなくて、本論をこそ書くべきなのです。
一旦、ここでは簡単に触れるに留めます。先ほど触れた『言語の政治学』の「あとがき」に述べられていることとほぼ同じようなことが展開されています。
一言で言えば「自分は死なない、死ぬのは他人だけだ」ということです。非常に単純なことではあるが、実際に自分の死を経験することはできません。仮に経験したとしても、既に死んでしまった者たちはそれを報告することは実際的には不可能です。したがって、死という事態はあくまでも他者を通じてしかできない訳で、そのように考えてくると「自分が死ぬということ」は本当は存在しないのかも知れないのです。詳細は別に論ずることにして、本項冒頭の問題「私という現象」に戻りましょう。
個体発生は系統発生を繰り返すとはよく言われることではあるが、人類そのものもその発生の当初から、この「私という現象」と相似形を成していたと言うべきです。この問題も後述することとしましょう。
さて、三浦さんの最初の著書こそ、まさに『私という現象』に他ならなかった。いや、最初の著書に限らない。初期の主だった著書を確認してみましょう。
①『私という現象――同時代を読む』 1981年。
②『幻のもうひとり――現代芸術ノート』1982年。
③『主体の変容――現代文学ノート』 1982年。
④『自分が死ぬということ――読書ノート1978〜1984』1985年。
いずれも「私」、「主体」、「自分」という主題系に関わるものです。②の「幻のもうひとり」のみ直接は無関係な印象を残すが、言うまでもなく「幻のもうひとり」とは「自意識」の謂いです。『幻のもうひとり』表題作「幻のもうひとり」は1981年、『写真装置』の第3号に掲載された、本来は卓抜な写真論です。
冒頭、柳田國男の『遠野物語』の「ザシキワラシ」の話から稿を起こし、人間が人間の数、人数を数えるということの奇妙さ、不気味さについて言及します。「ザシキワラシ」は柳田の原文では「神」*とされているが、一般的には妖怪、お化けの類として理解されているでしょう。三浦さんは「旧家に住みついた子供の幽霊のようなもの」としています(『幻のもうひとり』p.18)。
*「旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず。この神は多くは十二、三ばかりの童児なり。」(柳田国男『新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺』1910年/2013年・角川ソフィア文庫・p.24)
子供たちが集まって人数を数える。一人多い、変だ、というものだ。無論、そこにザシキワラシが混ざっているために生じたものだが、通常生じるのは、一人足りない事態で、それは数えている自分を数える対象に加えていないからだが、いずれにしても、変だ、ということになる。したがって「自分で自分を対象にしなければならないわけだ」*が、これは一体何を意味しているのでしょうか。
自分を含めた数をかぞえるということと自分以外のものをかぞえるということとは決定的に異なっている。自分を含めた数をかぞえるとき、人は二つの次元に足をかけているのである。単純にいえば、人はそのときかぞえている自分とかぞえられている自分の二つに分裂しているのである。(「幻のもうひとり」/『幻のもうひとり』p.19・下線評者)
では、このとき「かぞえている自分」*つまり、「二つのの次元」*のもう一つの「次元」*に現象する者とは誰なのでしょうか。これこそ「幻のもうひとり」*であり「つまり、自分たちの数をかぞえるものは、〈幻のもうひとり〉を必要とするのであり」*、その意味では「人間はいつでももうひとりの自分を連れ歩いている」*わけです。「もうひとりの自分」*とは、無論「自己意識」*という「幽霊」*に他ならない。ここあるのはまさに「私という現象」の成立の機縁、機制について述べられているのです。
* 「幻のもうひとり」/『幻のもうひとり』p.19・下線評者。
この後、この「幻のもうひとり」としての写真家、カメラマンの話題へと展開していくが、詳細は省きますが、言うまでもなくこの写真家とは容易に批評家と入れ替わります。この「幻のもうひとり」とは、まさに、言葉で、言葉を理解しようとする批評家のこと以外の誰でもありません。
この問題に、ことの発端から、最晩年に至るまでこだわったのが、小林秀雄、その人でした。
参照文献
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マクルーハン マーシャル. (1964年/1967年). 『人間拡張の原理――メディアの理解』. (後藤和彦, 高儀進, 訳) 原著/竹内書店.
マクルーハン マーシャル. (1964年/1987年). 『メディア論――人間の拡張の諸相』. (栗原裕, 河本仲聖, 訳) 原著/みすず書房.
リースマン デイヴィッド, グレイザー ネイサン, デニー リュエル. (1950年/1964年). 『孤独な群衆』. (加藤秀俊, 訳) 原著/みすず書房.
宮澤賢治. (1924年). 『春と修羅』. 関根書店.
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村上春樹. (2004年). 『アフターダーク』. 講談社.
村上春樹. (2010年). 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです――村上春樹インタビュー集1997-2009』. 文藝春秋.
中島敦. (1938年-1939年). 「狼疾記」. 参照先: 「青空文庫」.
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20240817 0944改稿
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