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2021年12月22日水曜日

尾形の「大義」は何処に行った? SP  野望篇/革命篇

 

尾形の「大義」は何処に行った?

 

SP  野望篇/革命篇







SP

野望篇/革命篇

SP: The Motion Picture

監督  波多野貴文

脚本  金城一紀

製作 

関口大輔

稲葉直人

中島久美子

古郡真也

製作総指揮

石原隆

和田行

島谷能成

加太孝明

出演者      

岡田准一

香川照之

真木よう子

松尾諭

神尾佑

山本圭

堤真一

音楽  菅野祐悟

主題歌       V6way of life

撮影  相馬大輔

編集  穂垣順之助

制作会社    FILM

製作会社    SP」プロジェクトチーム

配給  東宝

公開  野望篇:20101030

革命篇:2011312

上映時間    野望篇:98

革命篇:128

製作国       日本

言語  日本語

興行収入   

野望篇:36.3億円

革命篇:33.3億円

以上出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

Amazon Prime

■2021年12月21日視聴

■採点 ★★★★☆(限りなく満点に近い4点、4.8点ぐらいか?)

 

 今頃かよ? と思われるかもしれないが、今頃見て、とても面白かった。

 もともとの連続テレ‐ヴィジョン・ドラマはほぼ見ていたが(更に録画して何度も観た)、多忙と貧窮のため映画を見に行ったり、ネットで映画を視聴することができなかったが、今回、やっとのことで積年の宿題を果たすことができてとても良かった。

 本来は本作品の前史に当たる連続テレ‐ヴィジョン・ドラマを観直してから、本作品を視聴しようと思っていたが、どうも今は見られないようで(以前のハード・ディスクは死亡)已む無く諦めた次第である。

 単純なエンターテインメントの映画として観ると、前編「野望篇」がいささか物足りない感じであったが、後篇「革命篇」は圧倒的な展開と迫力で、正に一瞬も見逃せない作品であった。素晴らしい脚本、演出であった。

 「野望篇」がいうなれば、主人公・井上をターゲットにした襲撃事件の顛末が描かれるが、一つには尾形たちの「革命軍」が井上一人を狙うには、いささか大仰すぎる点(5? 段階構えで、結局仕留めることができなかった)、官邸まで官房長官を護衛するのに途中車が大破したとしても、歩くのは危険すぎる。一旦官房長官の自宅に戻って、車を呼ぶだろう。大体、あんな住宅街で、爆音がなって住民が誰一人出てこないのもおかしい。

そもそも尾形は井上をどうしたかったのか、後篇とつなげるとよく分からない。

 最初のテロ未遂事件の犯人を追ったシーンがニューズ番組にSPの追走劇? とかのテロップが出たが、まず日本のマス‐ジャーナリズムではあり得ない。完全に緘口令が敷かれるであろうし、あんなことをした井上は閑職に飛ばされるのが落ちだろう。

 また「野望篇」のみを観た人は尾形兄弟の関係性が今一つ理解できない。

 また、せっかくブラジリアン柔術の中井祐樹がテロリスト役で出演しているのだから、ナイフ等持たせずに柔術の技で井上達をひーひー言わせて欲しかった。

 と、まー、いろいろ突っ込みどころは沢山あるが、瑕瑾というべきであろう。

 後篇の問題点は、そもそも尾形がSPの主要なメンバーを仲間に引き入れていたにも関わらず、なぜ井上達を洗脳しなかったのか。確かに井上にはそれらしいことを言ってはいるが、自分の部下である他のメンバーたちはどうだったのか。石田たちの反応を見る限りでは全くの寝耳に水といった様子であった。

結果的にそれが時間切れで不可能だったとしても、なぜ、クーデター当日、警備要員として国会に入れたのか。尾形の内心としては、自分を止める人間として彼らを導きいれたとしても、尾形率いるところの革命軍の他のメンバーたちがなぜそれを認めたのか。結果的には尾形は裏切られるわけだから、なおさら理解に苦しむ。

 さて、問題は、結局この尾形が革命軍で孤立して、裏切られてしまうことの意味である。

要は尾形の悲願は自殺に追いやられた(殺された?)父の仇を討つ、そのことだけが、彼の原動力になってきた。極端に言えば、日本の政治(家)が腐敗しているとか、日本のシステムを変えるとか、といったいわゆる「革命」のモチーフは尾形にはないのだ。それに引き換え、彼を結果的に裏切った形になった、弟(弟とは思えない。兄かと思ってた)与党幹事長の伊達は、自分が総理大臣になるという下心はあるにせよ、同じ兄弟でも、単なる私怨で革命軍をバックアップした訳ではないだろう。

ましてや、革命軍を裏から操る若手官僚たちの言い分は分らなくもない。彼らの視野に国民の姿が映っているかどうかといえば、無論、大いに疑問ではあるが、日本という国を国家として正常に動かしていきたいという理念は一応理解できる。それが大多数の国民の為になっているはどうかは彼らにとっては全く別問題なのだとしても。しかし、尾形の一私怨を晴らさんとするのとは、やはり次元が違うだろう。恐らく、尾形は麻原総理が謝罪するか、さもなくば射殺すればそれで本望を遂げた形になるのだろう。

しかしながら、これはテレ‐ヴィジョン版の最終回で問題になった尾形の台詞「仕方がないだろ、大義の為だ」と違背しないだろうか。何を大義とするかの判断は一旦措くとして、個人的には、尾形には、ブレブレにブレたところよりも、狂気に迫るぐらいの大義とやらに殉じて欲しかった。

そして、また、若手官僚たちは恐らく、彼らによる傀儡化を避けようとした伊達の指示によって、爆殺される。今のところ、無傷なのは伊達だけではないか。

恐らく、これほど時が経ってしまったので本作の続編はあり得ないと思うが、ラストで収監された尾形が警察官によって「もうすぐです」とささやれる。密かに出所した尾形はどうするのであろうか。尾形の「大義」は何処に行くのか?

さて、そうなると一体、製作者たちは一体何が言いたかったのかということになってしまう。

 

それにしても、日本の国民は余りにも政治や社会体制に対して怒りを振り向けることをしない。今年のコロナ流行下でのオリンピック・パラリンピックの強行開催はもとより、そもそもコロナについてもまともな対策をしていたとは到底考えられない。そして誰も怒らない。恐るべく従順な国民である。なぜ、日本人は怒らないのであろうか?

原案に当たった金城一紀はもともと朝鮮籍で、その後韓国籍、そして日本に帰化したらしい。本作はもとより、テレ‐ヴィジョン・ドラマ三作目の『CRISIS』においても国家に対するテロ行為がテーマとなっているが、この日本のズブズブとした泥沼感というのは、金城のような立場の方がよく見えるということなのか。

無論、一人でも犠牲者を生むような暴力的、武力的なテロ行為は許されるものではない。しかし多くの日本人はこの種の、或る意味毒を持った映画を観ても、ああー楽しかったで終わってしまうのだろうか。

原案・脚本担当の金城一紀がテレ‐ヴィジョン・ドラマの現場を離れて久しい。現在彼は久しぶりの小説を鋭意執筆中とのことだが、何が彼をそうさせたのだろうか。

菅野祐悟のテーマ曲が素晴らしい。

公安の捜査官役の野間口徹がいい味を出していた。

 

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