Ⅸ
人間の労働 そのⅨ ㊤
「労働」なる沃野を奪還せしめよ
斎藤幸平『カール・マルクス『資本論』』を読む
「人間の類的本質は労働である」 ――カール・マルクス『経済学・哲学草稿』 (1844年/的場昭弘『超訳『資本論』』2008年・祥伝社新書・p.55より援引)
■斎藤幸平『カール・マルクス『資本論』』
2021年1月1日・100分de名著(NHK出版)。
■テキスト(哲学・現代思想・経済学・現代社会)。
■2021年1月12日読了。
■採点 ★★★☆☆。
日本人初、史上最年少でマルクス研究を対象とする「ドイッチャー記念賞」を28歳にして受賞した『大洪水の前に』(2019年・堀之内出版)で注目を集め、『人新世ひとしんせいの「資本論」』(2020年・集英社新書)で洛陽の紙価を高らしめた俊英の最新作である。
本書は、現在NHK、Eテレにて放映中(2021年1月期)の『100分de名著』の『カール・マルクス『資本論』』のテキストブックではあるが、放送には盛り込めなかった様々な知見や論述が展開されている。小著ながら簡にして要を得た佳品だと云える。
現代社会においてマルクスを再読する意味は那辺にあるのか?
恐らくそれは難解な議論に終始することではなく、まさに我々が日常的に直面している「働くこと」、「生きること」の意味と富を実践的な地平で取り戻すことにある。
そのために、筆者は、マルクスの『資本論』(など)が抱え持つ広範な思想から次の4点を抽出して見せた。
①富と商品の問題……本来、われわれが自然に、あるいは自然から持ちえた様々な「富」は、資本制社会ではほとんど全てが「商品」に成り代わり、却ってわれわれの社会は貧しくなっている(本書p.20)。つまり、われわれは元々多くの「富」を持ち得ていたのだ。労働そのものも実はここで言う「富」の一つだ。
②労働に関わる問題……「労働力は、人間が持っている能力で、本来は「富」の一つです。」「ところが、資本主義は、この労働力という「富」を「商品」に閉じ込めてしまう。」「こうして、生きるために働いていたはずが、働くために生きているかのように本末が転倒していきます。」(本書p.52・下線部ゴシック)。
③構想と実行の分離の問題……では、なぜこのような事態に立ち至るのか? 筆者はここでマルクス本人の術語ではないが、ハリー・ブレイヴァマンの「構想と実行の分離」という論点*を挙げ説明する(本書p.79)。なぜ、われわれの労働が本来持ちえた「富」を喪い、詰まらなく、憂鬱なものになりうるのか。あるいは果ては自死すらをも厭わないほど人をして追い詰めるのか? 要は資本制が効率化のために徹底的に労働の分業化を進め、そこにはもう労働の意味が枯れ果てているからだ。構想、つまり考えるのは資本家の仕事。実行、つまり断片的な単純な労働、誰でもできる労働、いつでも別の労働者と交換可能な労働をするのは、もはや機械と働きは同じになり下がった労働者である。
*ハリー・ブレイヴァマン『労働と独占資本』1974年/1978年・岩波書店。
マルクスは次のように述べている。
機械労働は、神経系統を極度に疲弊させる一方、筋肉の多面的な働きを抑圧し、心身の一切の自由な活動を封じてしまう。労働の緩和でさえも責め苦の手段となる。なぜなら、機械は労働者を労働から解放するのではなく、労働を内容から解放するからである。(445~446)/(本書p.87から援引・下線部評者)
つまり機械的労働は「無内容な労働を強いる」ことになる。「内容がないということは、自らの手で何かを生み出す喜びも、やりがいや達成感、充実感もない、要するに疎外されているということ」だ(本書p.88・下線部ゴシック)。
④地球環境問題……云うまでもなく『資本論』は未完の大著であり、とりわけ第2巻、第3巻は盟友エンゲルスの編輯によって成立したものだ。最近の国際的研究プロジェクト『マルクス・エンゲルス全集』(MEGA)によれば、晩年のマルクスの新たな地平が明らかにされている。例えば地質学や農芸化学などの自然科学の領域にもマルクスの視野は拡大されていたという。それは言うなれば地球という環境、有限性を持った環境との人類の共存への問いかけを含むものだ。
これは単に労働だけの問題ではなくやがては絶滅するであろう人類が併存する、あるいは後続するであろう生物種へいかにして地球をあけわたすかという問題をも問いかけている。
言うなればもはや(経済)「成長」は要らない、ということを人類全体の意志としていかに持ちうるかということであろう。
この最後の論点については未読である、筆者の『人新世の「資本論」』に詳らかであろう故、そちらを読了後、再度論ずることとする。
先行するカンタン・メイヤスーの『有限性のあとで』(2006年/千葉雅也他訳・2016年・人文書院)や見田宗介『現代社会の理論』(1996年・岩波新書)、あるいは先年物故された文芸評論家の加藤典洋の『人類が永遠に続くのではないとしたら』(2014年・新潮社)などの論著とどのように反響しあうのか興味深いことである。
したがって、当面われわれ市井の市民、労働者が奪還すべきは労働という富であろう。
「人間の労働という豊かな「富」を回復するためにマルクスが目指したのは、構想と実行の分離を乗り越えて、労働における自立性を取り戻すこと。過酷な労働から解放されるだけでなく、やりがいのある、豊かで魅力的な労働を実現することです。」(本書p.95・下線部ゴシック)という点に尽きるかと思う。
☞㊦に続く。
🐧
2021/01/19 12:51
0 件のコメント:
コメントを投稿