人類、生存の根拠を文明史的に問う
小松左京展、開幕
■小松左京展――D計画
■世田谷文学館
■2019年10月12日~2019年12月22日
日本SF文学御三家の一人、小松左京の回顧展が世田谷文学館にて開催中である。
同文学館では、昨年は筒井康隆展を開催し、数年前には星新一展を開催するという具合に、なぜかSFに親和性が強い。理由は不明だが。
SF、Science
Fiction、空想科学小説と訳され、ある種、子供騙し的の捉える向きもあろうが、必ずしもそうではない。
日本SF御三家とも言われる星新一がショートショートと言われる超短篇小説の形を借りて、物語の最も原型となる「物語素」とでも言うべきものを追求した。
筒井康隆は徹底的に実験的であることで言語表現の究極を極めようとした。
そして、この三者で最もSFという枠組みに竿を刺した小松左京はある種、文明批評家の眼差しで、人間の根本在り方を探求したのだ。
大出世作『日本沈没』(1973年)はもとより、『復活の日』(1964年*)や『さよならジュピター』(1982年)、『首都消失』(1985年)などはいずれも我々人類の生存の根拠となるものが、何らかの事情で崩壊、喪失したらどうなるか、という文明史的問題をSF小説の形で描き切ったと言える。
*東京オリンピック開催の年に小松は人類の大半が絶滅する話を書いたのである。
とりわけ、『日本沈没』については日本現代文学のある側面を代表するに相応しい大作だと言える。
![]() |
| 『日本沈没』第二部・メモ |
現在、小松の作品の一部しか市場で手に取ることができないが、これを機会に多くの未知の読者に小松の存在を知ってもらいたいものだ。
一旦、この稿は中断するが、というのはわたし自身が本展を未だ見ていないからだが、また後日、稿を改めたい。
その折には、小松の社会的活動、映像化の問題、若き日の盟友・高橋和巳について、『日本沈没』第二部(2006年)の問題、そして事実上の「遺作」となった『虚無回廊』(Ⅰ・Ⅱ1987年、Ⅲ2000年)、これらの諸点について論及したいと思う。
🐥
2019/10/17
1:08


0 件のコメント:
コメントを投稿