大澤真幸『社会学史』読了!(やっとね)
2019年4月25日(木曜日) 晴れ
(承前)
というのは、世はGWというのに、わたしはここから忙しくなり、そもそも最初の三日間は家にいないという有り様で、そこを過ぎても何だか落ち着きがなく、落ち着いて執筆できんのか、という有り様なのだ。
で、何を書くのかというと
①ルソーに対する評価、つまり社会契約説を社会学的にどう考えるか。
②本来社会学社としてはカウントされていないマルクス、フロイトへの社会学としての評価。
③そして、なにより重大なのがマックス・ヴェーバーの存在である。
④で、最後に結論のように呟かれるのが、目次にも載ってない、思弁的実在論を唱えて注目を集めている哲学者カンタン・メイヤスーである。
ということなのだが、ざっくり言うと、本書は標題のテーマ通り、大変優れた「社会学史」になっていて、これはこれでオッケー。これが大学のテキストだったら良かったのに、というぐらいである。
ただヴェーバーの下りがその後の影響関係も含めて突出している気がする。その意味からも、大澤さんには独立したマックス・ヴェーバー論を公刊してもらいたいものだ。
ただ、個人的には、最後にほんの数ページしか登場しないメイヤスーの名を見て、まさに快哉を叫んだぐらいである。言うまでもなくメイヤスーは『有限性のあとで』(2006年/千葉雅也他訳・2016年・人文書院)のなかで「偶有性」こそ実在であるとしたのだが、まさにこれこそ、わたしが構想するところの「偶然性の倫理学」のテーマなのである。
てなことまで書くと、もう終わらない気がする。
そんなわけなので、ちょっとサボって、大澤さんが講談社のPR誌『本』に連載中の「社会性の起原」のバックナンバーをパラパラと読む。とても面白い。
これをいま読んでいるが、面白い。
という感じなんですけど。
🐔
190425 2259
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