村上春樹、初ディスクジョッキーに。
■「村上RADIO RUN & SONGS」2018年8月5日(日)19:00~19:55・TOKYO FM。
■事前特番・2018年7月29日(日)19:00~19:55・TOKYO FM。
「世界の巨匠(?)」村上春樹がFMラジオの音楽番組をセルフ・プロデュースして、人生初のディスクジョッキーを務めるという。題して「村上RADIO RUN & SONGS」*。
*『村上ラジオ』という同じタイトルを持つ3冊のエッセイ集が刊行されているが、とりあえず直接の関係はなかろう。
自ら所有する貴重なアナログレコードやCDをスタジオに持ち込んで、走ることと音楽について語るという。
数少ない、村上が語る映像を見る限りでは、正直、村上はさほど語りが上手いというわけではない。したがって日本の国内で講演会や朗読会を開くことはまれである。
ところが、海外では、少なくとも国内よりは多くその種のイヴェントを行っているようだ。実際、英語での講演の映像を見るとかなり流暢に話していて、聴衆の笑いもとっている。面白いですね。
そんなわけで英語でDJをするとなんかそれっぽくなるかもと思ったが、日本ではちょっと無理だね。
ところで、そもそもラジオのディスクジョッキーと言えば、言うまでもなく彼のデビュー作『風の歌を聴け』(1979年・講談社*)のなかで大変重要な役回りを演ずるラジオのディスクジョッキーを想起する。
*以下ここからの引用は『村上春樹全作品 1979~1989』①(1990年・講談社)による。例のごとく、単行本も文庫本も見当たらないからだ。
『風の歌を聴け』は一読すると、当時の若者の風俗に棹を差した大変軽いタッチの小説だと感じる。全体の構造はその物語を構成する断片群の集まりであり、そこから我々読者が受けとる感触は「意味」の脱色、「意味」を支える「磁場」の喪失に他ならない。
仮にこれを表の顔とするなら、裏の顔を代表するのが、親友「鼠」であり「ラジオのディスク・ジョッキー」なのだ。つまり、もしかしたら物語の世界において架空の存在かもしれない*彼はラジオ番組を通じて、何らかの「意味」=「磁場」=「重力」を与える存在になっている。これらについては、また別稿で触れる予定である。
*というのはどういうことかというと、物語は無論架空ではあるが、その物語の世界を現実とすると、このラジオ番組は架空ではないだろうが、その番組のDJからたまたま電話が掛かってくる、Tシャツが当選して送られてくる、病気で寝たきりの少女の話題が番組で紹介される、これらの出来事は異界のできごとか、あるいは語り手「僕」の想像=幻想=妄想ではないのか、という意味である。
ちなみに加藤典洋らは「鼠」が死者だと指摘している(加藤典洋編『イエローページ・村上春樹』1996年・荒地出版社)。
さて、そんな重い話はさておき、この作品でDJは次のように話し始める。
「やあ、みんな今晩は、元気かい? 僕は最高にご機嫌に元気だよ。」(p.41)
放送当日、村上はこんな風に語り始めるだろうか。ちょっとあり得ないかな。たぶん、こうだろう。
「みなさん、今晩は。村上春樹です。」
この作品では多くの曲が流れるが、ザ・ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」をおいて他に重要な曲はない。
今回の番組でもビーチ・ボーイズの、ということは、つまりブライアン・ウィルソンの「ペット・サウンズ」か「スマイル」は固い気がするがどうだろうか。
わたしも若き日にはせっせとFM放送をカセット・テイプに録音して楽しんだものだが、いまやそれらは近現代の「遺物」に成り果てたが、単に曲だけを聞くのではなく、曲順やら、そのDJの語りとともに記憶のなかに留められている。
そんなわけで、今回この放送が決定してから、さていかに録音したものかと思ったが、それ専用のアプリケイション・ソフトが存在していて、いまや簡単にパーソナル・コンピュータに録音できるようだ。
当日は仕事だが、予約録音で対処しようと考えている。が、場合によっては会社を休むぜ! ははは!
🐣
2018年6月11日 19:20


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