贅沢で示唆に富む
■丸谷才一、和田誠・絵『猫のつもりが虎』2004年6月17日・マガジンハウス。
■画文集・エッセイ集。
■2018年4月6日読了。
■採点 ★★★☆☆。
POINTS
①とても面白く贅沢な画文集である。
②衣食などの風俗、文化、文明について示唆に富む。
③具体的には、スカート、エリック・ギル、本居宣長などについて。
1 とても面白くかつ贅沢な画文集
久しぶりに丸谷さんの本を読んだが、とても面白かった。面白いことは無論承知の上だが、この本は大変な贅沢な造りになっている。エッセイ集、というよりも、「画文集」とでも言いたいような気がする、と言っても作家本人が筆を揮るう訳ではなく、盟友とも言うべき和田誠画伯の挿し絵が随所に散りばめられる。そして、これらが全てカラーなのだ。さらに、各章のタイトルはいつもの和田さんの描き文字で、きちんと絵のなかに入っているのだ。
これはもう素晴らしい。
惜しむらくはこの種の画本としては版形が46版といささか小振りなのだがB5版で印刷してくれるとよかった。
例のごとく、とりたてて何かに役立つ内容ではないのだが、何点か。
2 スカートの謎
一つ目。スカートについて(本書・「男のスカート」)。
*極端な言い方をすると、わたしには「神風特攻隊」か、素人が突然シルク・ド・ソレイユの綱渡りに挑むのと同然の自殺行為と思えるが、言い過ぎか?
恐らくスカートに限らず、「女性性」/「男性性」という文化的表徴は近代性の産物であろうとは思うが、面倒であまり真面目に調べていなかった。別稿では、それは実のところは生物としての本能ではないかとでっちあげを書き付けておいた。
本書で、丸谷さんはエリック・ギルの『衣裳論』(1931年)を援用して、「衣服とは、本質的には威儀のためのものである」とする。したがって、「すべての威儀を正すことが望ましい場合には、人間はスカートを身にまとふ風習を持つてゐる」(本書・p.19)。ということは世界中の文化においては公式の場においては男性もスカートを着用するのが本来のあり方だ、ということになる。
つまりは「ズボン」というものは近代以降の産業主義が産み出した単なる作業着に過ぎないわけだ。
ここでは、ではなぜ、男性だけが作業着を身にまとい、女性は現在でも、その呪縛から逃れられないのか、という問題は論じられていないので、これは後続者への宿題ということになるか。
3 エリック・ギル
ただ、このエリック・ギル、という人がなかなかの曲者で、例の『チャタレイ夫人の恋人』で名高いロレンスの崇拝者であり、だからという訳ではないが、彼の性生活は相当な放縦ぶりだったという。彼は妻帯者であったが、たびたび姦通をおこなったという。相手は家の女中から知り合いの妻や恋人、果ては自らの妹二人に、三人の娘。そして極めつけは犬との獣姦である。ふーむ、山羊は聞いたことがあるが、さすがに犬とは。まー『里見八犬伝』の伏姫と八房の逆パターンか……、という問題でもないな。
要するに単に性慾が強いというよりも、性的好奇心が強いのかな。
面白いな。
4 本居宣長の一生
二つ目。本居宣長の一生について(本書・「四十八手」)。
彼は新古今風の和歌を詠みたいと思ったが、残念ながら実作力が伴わず、それでは、と新古今の歌人たちが読んでいる『源氏物語』を研究し、さらには『源氏』が宿しているという古代的なものを学ぶために『古事記』の研究に入ったという。そして、「すばらしい仕事をしたけれど、歌は依然としてひどかつた」。
「悲劇的な一生だつた。でも、よかつたんです。普通の学者先生と違つて、宣長の文学研究にはいつも歌学びといふ文学の実技が裏打ちされてゐた。だからこそあれだけの文学の真実に迫ることができた。偉大な一生だつた。めでたし、めでたし。」(本書・p.106)
宣長については軽軽なことは言えぬが、彼が終生「歌が上手くなりたい」という願望をもって研究に励んでいたという視点はとても大切だと思う。まるで子供のようにね。
5 主人公の国籍と文化的成熟度の問題
三つ目。ポーが自作の推理小説の主人公の生まれとその舞台を、未だ文化程度の浅い自国アメリカではなく、歴史と伝統のあるフランスに持っていったのは理由があるとの説(「歴史的抒情」)。これを読んで、日本の、ある種の漫画やゲームなどが、その登場人物や舞台を異邦の地におくのも同じ理由なのか、と思った。が、違うかも知れぬ。
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□建築批評の必要性(「驢馬の耳」)。
□「ポルトガルの米料理」。
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■2018年4月8日 16:04
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