「偶然性の倫理学」
今日で夏休み終わり。一週間は長いといえば長いが、普段が休みがあまりなく(週休一日状態)、そもそもそのうち二日は出勤したので、まーどっこいか。
結局8月25日から9月3日まで10日休みだったが、都合8日の休みとなった。昨年が日取りの関係で3日しか連続で休めなかったことからすると雲泥の差である。
夏のはじめにCJのGHに50万ほど一気に払ったので、夏の繁忙期も超ウルトラスーパーデラックス貧乏生活となり、休みがあってもどこも行かず、という生活で、むしろ、それは望むところである。
できるだけ買い物にも出ず、ひたすら読書と原稿書き*に勤しんだ。
*といっても何か儲かるわけではない。
日記など雑文も含めて、この期間13本の新作と旧作も含めると31本をblog上にUPした。この雑文も含めると14本新作の32本UPということになる。
そのうち3本ほど、できはともかく、重いものも書き上げることもできたのはまーよかった。
いずれにしても、吉本さんの親鸞論を経巡った10日間であった。しかし、まだこれだ、という結論には達しておらず、他日を期すことになる。まー、疲れた。
とりわけ、自分自身が仏教思想史の基本が全く分かってないということを痛感させられた。汗顔の至りである。自らの不勉強を恥ずる以外にはない。
ところで、ここでにわかに浮かび上がってきたテーマが「偶然性」とか「偶有性」の問題である。このテーマについては、例えば大澤真幸などがどこかで論じていて、重要であることは朧気ながらわかっているつもりだったが、これはちょっと真剣に取り組まねばな、と思った次第である。
つまり、ある思想家がAという思想を展開するに至る幾つかの条件は、あとから見れば「運命」(必然)のように感じられるが、実は単なる偶然ではないのか、という問題である。木田元によると、この問題につき、解決めいた地点に辿り着いた哲学者、思想家はどうもいないようである*。
*木田元『偶然性と運命』2001年・岩波新書・202頁。
さて、そこでわたしは「偶然性の倫理学」なる論考を構想(妄想)してみた。ぼちぼちと歩みを進めて行こうと考えている。
20170903 23:28-20170904 00:21
🐔
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