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2017年9月19日火曜日

焼き鳥はなぜ美味いのか?

美味と倫理のはざまで 

焼き鳥はなぜ美味いのか? 


▲スーパーK**ストアの焼き鳥。半額でした。 


 焼き鳥が好きだ。 
 愛しているといっても過言でない。 
 かつては刺身や寿司が無上に好きだった。無論、今でも好きだ。しかし、ここ1、2年の間に王座が入れ替わった。世界統一王座決定戦が何時の間にか行われたらしい。 
 本来のオーナーというか、認定権者というか、公式立会人であるべきわたしを差し置いて、何時の間にか、焼き鳥が王者を名乗っているのだ。これは一体どういうことだ?  
 失礼、これは前提が抜けている。この話しはあくまでも酒、といってもビール、発泡酒の類いだが、それらを飲む際の摘まみ、当て、ということでのことだ。 
 という話の展開だといかにも、わたしが「通」ぶっているように思うかも知れぬが、そんなことは全くない。まったく逆である。そもそもわたしはあまり味覚の善し悪しが判別できぬのかも知れぬ。 
 したがって、炭火でくすんだ焼き鳥屋じゃないと駄目とか*、そんなことは言わないし、備長炭がどうのとか、ぼんじりでなきゃとか、つくねは鶉うずらを骨ごと叩いてとか、どこぞのグルメ漫画の登場人物たちのような、そんな面倒なことは全く言わない。  

*因みに、わたしは外では殆ど呑まない。 

 スーパーの安売りの焼き鳥で十分である。そもそも食い物の美味い不味いを言うのは不遜である。出されたものを黙って食え、と言いたい。 
 つまり、そのようなレヴェルの人が、やはり焼き鳥は美味いよね、と言っているわけだ。そういう話である。 

 以前は塩味が好きだった。そもそもタレの甘辛い味が子どものころから苦手だった。したがって、御手洗団子も駄目、焼餅の砂糖醤油も駄目、鋤焼ももちろん駄目だ。なぜ甘さと辛さを混ぜる必要があるのだ、とつい最近まで思っていたし、今でも153%思っている。 
 例えばK**電鉄系のC**のカレーは甘過ぎる。Y**の牛丼も以前から比べると甘くなったと思う。つまり口に合わない。 
 ところがものによっては、その甘辛さが気にならなくなった。 
 それが焼き鳥のタレ味ということになる。 
 理由は軽々には判断できないが、ひとつは直火で焼くことで生じる焦げにあるのではないか。  この焦げこそが甘みを適度に減殺するのではないか?  

 ただそれとは別に焦げそのものの旨さというのがあると考えられる。焦げは健康によくないのかも知れぬが、適度な焦げは旨味の向上に資する。 
 これは苦味をなぜ旨味と感ずるのかという点とも関わってくる。  
 例えばビール。 
 ビールというのは他の酒類と根本的な違いがある。 
 苦味だ。  
 他のアルコールの類いは甘みがある。というよりもそもそもアルコールというものは甘い。なぜビールだけ苦いのか?   という問題もいずれ究明せねばならぬが、問題はなぜ苦いビールを美味いと感ずるのだろうか、という点にある。    
 同様にコーヒーの苦味の問題もある。 
 話が逸れまくるが、まー仕方がない。 コーヒーは本来砂糖もミルクも入れずにそのままで、つまりブラックで飲む、ということだが、それこそがコーヒー本来の旨味を味わうことだと思う。つまり、苦味が旨味なのだ。これは何故だろう。 
 なぜ人間は苦味を旨味と感ずるのであろう*。 

*この苦味の問題はいずれ機会があれば別稿で触れたい。 

 さて、焼き鳥の話に戻る。 
 焼き鳥は串に刺してないものは焼き鳥に非ずと断言したい。 
 よく、缶詰とかビニールパックとかで焼き鳥を僭称する族やからがいるが、それは焼き鳥でなく、鶏肉のソテーです、単に。或いは煮たものです。  
 なぜ串に刺してなければならないかというと、箸を使うことなく直に肉を味わうことが可能だからだ。これは恐らく我々の原始的な記憶を呼び起こす。これこそが焼き鳥なのだ。 
 焼き鳥とは何か?       
 なぜ「焼き鳥」であって「焼き鶏」ではないのか? ここにヒントがある。 
 恐らく焼き鳥の起源は鶏を一口大に刻んで串に刺して焼いて食う、という現行のものとは異なり、その辺りを飛んでいる雀や野鳩などの野鳥を捕獲してその場で捌いて食したということなのではなかろうか?* 

*ここからの焼き鳥の起源についての考察は、何の根拠もないウルトラ適当な法螺話である。 
  
 したがって焼き鳥を食う喜びの中の何分の一かは我々が狩猟民だった頃の、何某かの獲物を猟師マタギとして追い求めて捕獲して自らのものとして屠る喜びと通底しているのではないか。 
 因みに、わたしは幼少の砌みぎり岐阜県の山奥に棲んでいた。 
 今でも自慢なのが兎を、無論ペットショップとかで買ったのではなく、その辺にいたのを捕まえて飼っていたのだが、なんと兎小屋の板、というか柱というか、それを齧って奴らは逃げていったのだ。Run away! とっても好きさ~。 
 その兎小屋を作ったのがわたしの亡き父なのだが、その父が会社の友人たちと「空気銃」なる奇怪な飛び道具にて雀などの小鳥を捕獲して、それを焼いて食べさせられたことを昨日のことのように覚えている。雀は固く、苦く、そしてとても美味い、と言えるようなものではなかった。  


20170918 12:29ー20170919 15:40 
🐣 

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