コラム 「☕tea for one」
なぜ、吉本を読むのか?
多くの先行世代はなにがしかの機会に頭をぶん殴られるようなことがあったのだと思うが、残念ながら、わたしには思い当たる節がない。
東京に出てきた年に、例の三部作*が角川文庫から刊行されて、購入したものの、難解過ぎて、その後触れぬ間に時が過ぎていった。
*吉本隆明『共同幻想論』・『言語にとって美とはなにか』Ⅰ・Ⅱ・『心的現象論序説』1982年1月~3月・角川文庫。いずれも表題に「改訂新版」と頭書きされている。今となっては活字が小さ過ぎて読むに耐えない。
おそらく最初にきちんと読んだのが『死の位相学』*だ。が、特にどうという印象を持たなかった。
*吉本隆明『死の位相学』1985年6月10日・潮出版社。
その後、パラパラと手に入るものを読むことになる。
当時まだお元気だった栗本慎一郎氏との対談*など読み、今もまだあるのか分からぬが八王子の「ばろっく」という喫茶店で、友人のS君と語ってマスターから五月蝿がられた**ことも記憶に新しい。
*吉本隆明・栗本慎一郎『相対幻論』1983年10月・冬樹社。
**ステレオのヴォリュームを上げられた。
さて、その後、衝撃は突如としてやって来る。
その一つは加藤典洋の『戦後的思考』*における吉本「転向論」**の根本的な見直しである***。これは加藤にとっても大変重要な論考だと考えられる。例えば加藤は吉本の所論を敷衍する形で次のように述べる。
転向者とは、あらゆる「正しさ」に見放された存在にほかならない。その転向者にもし活路――第一義的な足場――があるとすれば、それは、自分が「正しさ」を捨てたことの余儀なさ、動かしようのなさ、にとどまること、彼が誤ったことの動かしようのなさを、足場にすること以外にない。(加藤『戦後的思考』134頁)
*加藤典洋『戦後的思考』1999年11月25日・講談社。
**吉本隆明「転向論」/『現代批評』創刊号・1958年12月1日・書肆ユリイカ/『吉本隆明全集5』2014年12月25日・晶文社。
***これについては別稿で触れる。
*吉本隆明「フーコーについて」『ちくま』1996年6~8月号/『吉本隆明〈未収録〉講演集 2――心と生命について』2015年1月10日・筑摩書房。
と、このように書き付けてみても、一言で何か説明したり、何やら気の利いた要約めいたことが書けるわけでもない。書いているうちに何か思い付くか、と思ったがそう世の中甘くなかったな。
数年前に上野の街で道に迷ったことがある。岡の上は真っ暗で、こんなところに寺があるのかとか、お祭りの集まりに道を阻まれて迂回したりとか、なんだか面白かったが、吉本さんという山も大変懐が深く、しばらくそこで迷うことになりそうだ。
🐤
2017年8月30日 15:50-20:12
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