悪の倫理学・覚え書き
その9
小宮彰「ディドロとルソー 内在と外在」について
小宮彰さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。
ヨーロッパ全土が焼け落ちる、あちこちで、教会や町の公会堂が崩れ落ち、納屋からは、あるいは農土からは灰黒い煙が無数に上がり、争いは止む気配がない……、宗教改革に端を発する30年戦争の様である。
小宮彰の論文「ディドロとルソー 内在と外在」*には、ほんの数行しか触れられていないが**、この30年戦争の様が、なにゆえか、初読後30年もの間、いずれこの論文を、あるいはこの論者を紹介するときが来るだろうと思いつつ、いつもわたしの脳裏から去らなかった。中心的なイメージはこうである。すなわち、思想、信条が異なるというこの一点のみでヨーロッパ全土が分裂し、殺し合いにまで発展したということにある。無論「正義」の名の下に***。
*小宮彰「ディドロとルソー 内在と外在――言語コミュニケーションをめぐって――」/『思想』1983年6月号・岩波書店。(以下、本論文からの引用は「小宮・1983・p.××。」と略記する)
**実際には何ら具体的な描写を伴わない、次のような簡潔な表現となっている。「それは、中世を通じてヨーロッパを統合していた、精神における同質性が失われたことを明示する出来事だった。やがて、宗教的内紛はヨーロッパ全域に拡がって行くだろう。」(小宮・1983・p.57)
***これは全くの余談ではあるが、20年ほど前、日本において最大級と言われる宗教団体がその本家とされる本山と分裂したことがあった。互いに悪口雑言の類いはしているようだが、新聞や週刊誌などに取り上げられることもない。殺し合いにまで発展することも当然なかった。さすが現代社会だな、と思わぬこともないが、逆に言うと、本当に彼らは自らの宗教的信条を信じているのかと、17世紀ぐらいのクリスチャン達は冷笑するのではないか。
この当時わたしは井筒俊彦とか河合隼雄とかの「神秘主義」的な思想に凝っていた*。彼らの鼎談**が収録されている雑誌にたまたま小宮の論文***が収録されていたわけだ。
*正確に言うと仏教哲学をかじっていた。この間の思想的経緯については「日蓮教学の哲学的脱構築(ディコンストラクション)」に詳しい、と云いたいところだが、残念ながらまだ一行も書いてない。
**井筒俊彦、J・ヒルマン、河合隼雄「ユング心理学と東洋思想」/『思想』1983年6月号・岩波書店。
***小宮彰「ディドロとルソー 内在と外在――言語コミュニケーションをめぐって――」/『思想』1983年6月号・岩波書店。
ちょうどそのころ、わたしは数人の友人達と一連の読書会をしていた。最初はヴェーバーの「プロ倫」*から始めて、そのうちフランス革命になった**。
*マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』1905年/1989年・大塚久雄訳・岩波文庫。
**今思い返すと、もっとも白熱したのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である。『カラ兄』についてもいずれ本稿で触れねばなるまい。
悔いが残るのが「戦争」と『資本論』を準備していたにも関わらず未遂に終わったことだ。痛恨の極みだ。これをきちんとやっていれば、少なくともこの方面の基本的な知識や理論的な枠組みについては押さえられたのに。
では、その理論的前提としてルソーを読もうということになった。で、いろいろと読んでいる最中だったが、たまたま手にとった雑誌の中に「ルソー」の文字があり、では読むか、というわけで読んだのだが、学問的な評価についてはわたしには分からないが、少なくとも、わたしには大変面白く興味深い論文だと思われた。むしろ驚倒したと言っても過言ではない。その直後、 巻末の著者略歴から別の論文*も探し出して、読書会ではそちらを紹介した。
*小宮彰「ルソーと不可逆の《時》」/『思想』1978年6月号・岩波書店。
他の論文も読もうとしたが、大学の紀要などに発表されており、入手するのが難しかった。これだけの独自の視点と筆力を持った人ならやがて力作とともに満を持して世に現れるだろうと思っていた。論文集もやがて出るだろう、と思っていた。しかし、全く音沙汰がない。多分、御病気でもされているのか、研究活動を止めてしまったか、いずれにしてもどうされたのだろうか、と思っていた。
そうこうするうちにわたし自身も仕事に追われ、全く読書も執筆もしなくなり、ただの人となり、時が過ぎていった。
たまたま昨年末、ネットで検索したら既に亡くなっていたとのこと。言葉を失うとは全くこのことだ。
唯一遺された著書は『ディドロとルソー――言語と《時》』* の一冊のみ。本稿のテーマとずれてしまうかもしれぬが、もう少し書く。
*小宮彰『ディドロとルソー――言語と《時》――18世紀思想の可能性』2009年・思文閣。
書題がこのようになっているのは、たまたまわたしが手にした二つの論文が小宮にとっても中心的なテーマを持つものだったからであろう。何やら運命的なものを感じざるを得ない。別の言い方をすと小宮の学問的営為のピークがこの1978年から1983年辺りに集中していたということなのか。
ただこの問題は不明なことが多すぎるので、きちんと調査の上、別稿を立てて論じる*。問題はわたしの寿命が間に合うかということである。
*タイトルは20年前から(!)もう決まっている。「小宮彰を探して」である。
以上は前置きである。
さて、「悪とは「ずれ」のことである」とは別項(その2)でも書いたことだが、では、なぜ、「ずれ」が生じるのであろうか。一つはコミュニケーションの異和、不全が原因と考えられる。つまり、お互いのルールが分かっている、あるいはお互いのルールが違うということが共通認識としてある、このようなことが了解されていれば、感情面はともかくとして、無数の小さな悪から巨大な悪に至るまで、それらが生産されることは(一応は)あるまい。
しかしながら、ことほどさように物事が簡単にはいかないことは現実面から考えれば、容易に理解出来得ることだ。
元来互いに強い影響を与える友人として出発しながらも後に非難し合う仲になった18世紀の思想家ルソーとディドロも、その例外ではない。ここから、本論考「ディドロとルソー 内在と外在――言語コミュニケーションをめぐって――」は始まる。
そもそも、現代においても、ルソーとディドロの両者に対する評価の差は著しいものがある。才能の差なのか、境遇の差なのか、それとも単なる偶然なのか。
小宮はひとつの理由としてディドロの「著作の形式の多様さ」*を挙げている。すなわち「ディドロにおいては、ルソーの場合のように思想的な核をなす著作が論述の形式では書かれていないことだ。」**
*小宮・1983・p.40。
**小宮・1983・p.40。
したがって「ディドロは独自の仕方で自らの仕方で自らの思索を表現しているのだが、私たちはその言語表現を了解できない。」* 実はこの点、「言語表現を了解できない」ということにこそ重大なポイントがあるのである。
*小宮・1983・p.40。
小宮はそこでディドロの『盲人についての手紙』*を取り上げ、次のような問題を問いかける。「すべての認識は感覚(sensation)に由来する」**、ということは「一切の感覚経験を欠いた主体にはいかなる認識もありえず、したがって言語をもつ可能性もない」***。つまりは実際の経験がないものが、それについての認識を、それについての言語を持てるのか、という問題だ。それにもかかわらず「なぜ彼ら(視覚が不自由な人々・評者註)の間でだけで通じる言語をもつのではなく、視覚をもつ人々と共有の言語をもつのだろうか。」****
*ドニ・ディドロ「盲人に関する手紙」小場瀬卓三訳/『ディドロ著作集』第一巻・1976年・法政大学出版局。
**小宮・1983・p.42。
***小宮・1983・p.42。
****小宮・1983・p.42。
この「盲人についての手紙」は主として盲目のイギリス人数学者、ソンダーソンについての伝記で占められているが、彼は「巧妙な表現」*をふんだんに用いたという。それは言い換えるなら「視覚にとって比喩となる表現」**ということだ。
*小宮・1983・p.43。
**小宮・1983・p.43。
これは視覚が不自由なソンダーソンに例外的な事例であろうか。いや、そうではない、ディドロにとってこの事例は「言語伝達にかかわる本質的な事態のあり方としてとらえられている」と、小宮は述べる*。
*小宮・1983・p.47。
臨終に際して牧師ホームズと交わしたとされる会話のなかでソンダーソンは次のような奇妙な発言をする。
「しかし、秩序とは、そんなに完全なものじゃありませんよ、いまでも時折は、怪物のようなものが現れることがあるくらいにはね」(小宮・1983・p.47。下線評者)
ソンダーソンは自らの視覚が不自由な様を指して「怪物」だと述べているのだ。これは一体どういうことか。「この言明の意味することは、ホームズの言語伝達の試みに対する、ソンダーソンの拒否の表示である」*。「ホームズはソンダーソンを自らと同類の存在と見なして、そうであるなら認識しうるし、また認識しなければならない真理として、宇宙の秩序と神の叡知の存在を主張した」**。すなわちそれが認識できないソンダーソンは「同類」ではないとするが、彼にとっては「別種の存在であって、決してホームズの同類の欠如したものではない」***のである。
*小宮・1983・p.48。
**小宮・1983・p.48。
***小宮・1983・p.48。
すなわち、
ソンダーソンがホームズの言語を拒否するのは、それが、証明されていない仮説にすぎない、話し手と受け手の世界経験の同質性の可能性を無条件に前提して押し付けてくるからである。(……)/ここにこの著作における、言語による伝達についてのディドロの基本的な立場を見ることができる。それは、主体間の同質性の仮定に基づく言語の拒否、異質性を認知した上での〈比喩的な〉言語コミュニケーションの可能性の主張である。(**小宮・1983・p.48)
ところが、それに対してルソーにおいても、同様に〈比喩的な〉言語コミュニケーションから出発しつつも、着地点としては全く正反対の位置に辿り着く。
すなわち、ルソーにおいて、言語コミュニケーションは、自己と他者の間の差異を廃棄しうる共通の一般概念(「人間」(オム))*に、言語主体である自己と他者の両者を同一化させることによって可能にされる、と。
*小宮・1983・p.52。
つまり、言語コミュニケーションの基盤を、ルソーは、互いの「同一性」に求めたが、ディドロは互いの「差異性」=「他者性」にこそ求めたのだ。この点こそがルソーとディドロを分かつ点であり、この比較の上で、ディドロの立場を再度確認すれば、
およそ言語コミュニケーションを可能とするものは、言語主体どうしの同質性ではなく、各主体が別々の存在としてこの世界をともに生きることだ(小宮・1983・p.55)
ということになる。
言うまでもなく、ここで問われていることは、ただ単に「言語コミュニケーション」の問題だけにとどまらず「悪」の発生現場に、我々は立ち会っていると言える。
冒頭の30年戦争の記述は、そもそもデカルトに始まる「思想としての〈近代〉」*の流れで論究されているものだった。
*小宮・1983・p.56。
宗教改革に始まる価値の分裂、すなわち「人々の行動を導く価値基準における多様性と異質性の出現による混乱、それが〈近代〉とデカルトの思惟をもたらした歴史的な文脈であった」*。ここに「主体の判断主体としての同一性を確立する」**という課題が発生する。無論、ルソーの一般概念「人間」(オム)はこの流れに棹を差している。そして残念なことに、近代という社会・時代・システムにおいて、この「一般概念「人間」(オム)」は無数の「他者」を、「ならずもの」を、「人非人」(ひとでなし)を、そして「怪物」を生産(死産)してきた。
*小宮・1983・p.57。
**小宮・1983・p.57。
いま、われわれは、近代の暮れ方に立ちすくみながら、ディドロの問いかけた、それぞれの「同質性ではなく、各主体が別々の存在としてこの世界をともに生きること」*の可能性**を再び考えるべきではないだろうか。
*小宮・1983・p.55。
**無論、それがいわゆる「ポストモダン」思想、「ポストモダニズム」と、一見相似形をなしており、これらの失敗あるいは問題点については百も承知である。この問題については別項にて点検する。したがって、念のために註記すると、わたしはデカルトもルソーもともに否定しない。
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