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2017年3月10日金曜日

悪の倫理学・覚え書き その12 中間報告 「トラシュマコス」について

悪の倫理学・覚え書き その12 

中間報告 「トラシュマコス」について 





 プラトンの代表作と言えば大著『国家』であることは論を待たない。かなり以前のことになるが、わたしも人並みにこの大著に挑戦したことがある。 
 正直言って到底分かったとは言えぬ、むしろ、それよりも困惑に近い感情、あるいは異和感のようなものを持った。それと前後してあらかたの手に入るプラトンの著作や参考文献などにも目を通したが、結局のところ、「イデア論」がどうしても腑に落ちなかった。 
 他にもいくつか躓きの石はあったが、もうひとつ挙げるなら、「トラシュマコマコス問題」である。トラシュマコスは『国家』の第1巻に登場するやいなや、座を掻き乱して、さっさと退場するソフィスト、弁論家である。彼の議論は確かに錯綜というか、錯乱というか、矛盾が多いが、要するところ「不正は利益をもたらすが、正義は損失なのだ」という、理想はともあれ、われわれの現実的な実感からも比較的まともに受け止められる彼の主張に対して、ソクラテスの反駁のしかたは、正直に言って、トラシュマコスが何度も論難しているように、詭弁を弄しているとしか思えない。 
 トラシュマコスの退場*にしても、必ずしも、本人が納得して、と言うよりも、ソクラテスの議論術(?)に呆気にとられて、あるいは呆れ果てての退場のようにも見える。 

*実際には退場しておらず背景に退き、第5巻で登場するときはあたかも何者かによって摩り替えられたかのように穏当な発言をする。 

 その後、この議論は継承されているようにも言われているが、結局、立ち消えになって、壮大の国家の計画と哲人王と不死の物語へと雲散霧消していく……。 

 この切断は何を意味しているのだろうか。 
 文献学的なことはわたしには分からないが、わたしは以下のような妄想をした。 
 実際の出来事としてトラシュマコスとソクラテスが議論する機会があり、その時はソクラテスが競り負けた。それをもとにした『トラシュマコス――正義について』なる対話篇が作られ、巷間流布していた。それを苦々しく思っていたプラトンはそれを改竄する形で『トラシュマコス――悪について』を執筆、同時にトラシュマコス本人も暗殺する。そして『トラシュマコス』を吸収する形で『国家』を編集したものが現在伝わっているものである。この間の経緯を愛弟子アリストテレスは『トラシュマコス倫理学』別名「悪の倫理学」を執筆したものの、もちろん、袂を分かったとは言え、師匠の悪事を世間に知らしめるわけにはいかない。巻物は筐底深く沈められる。 
 第二次世界大戦の戦禍も覚めやらぬ頃、地中海の無人島から発掘されたのがこの『トラシュマコス倫理学』だった。この謎を追う若手研究者と、それを無きものにしようとするプラトン教団の一派の攻防……。というような、以前も書いたが、『ダ・ヴィンチ・コード』的な、小説なのか批評文なのかよくわからぬものを構想していた。 
 しかしながら、当然、これはわたしの能力に余る課題なので、一旦パスして、本稿、つまりは「覚え書き」では、わたし自身が躓いた石を一つ一つ数え上げることで、それに替えようと思う次第である。 


  

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