Ⅰ
苦の倫理学
そのⅠ 自らのこころを食べる
ひとは苦しいときや辛いとき、どうするのだろうか? わたしは苦しみを恒常化することで心を麻痺させるという技を編み出して15年ぐらいやってきた*。
*幼少時から若年に至るまでは必ずしもそうではなかった。よく学校をサボったり、バイトをぶっち切ったり、果ては、或る巨大組織から逃亡した。生まれてから30代までは逃走の歴史と言っても過言ではない。
つまり、どういうことかというと会社に行きたくない。とりわけ長期休暇の後がまずい。自殺したくなるほど辛いのだ。だから、それを避けるためにはできるだけ会社に行き続けるのだ。できるだけ休まない*。土日出勤は当たり前。長期休暇もときどき出勤して間が開かないようにする。一時期は半年ぐらい休みがないのもざらだった。
*無論、休日に休まない、という意味だ。
しかし、年齢の進行とともに、この技の根本的な問題点が浮上してきた。それは身体的、あるいは精神的疲弊を伴うということだ。当たり前か。
さらに言えば、ひとは苦しみと向き合い続けることで本当に強くなれるのか、とも思う。もう帰天された、『置かれた場所で咲きなさい』で有名な渡辺和子シスターは「学歴や職歴よりもたいせつなのは、「苦歴」。」と仰っているらしい*。すいません、それ、本当ですか?
*渡辺和子『どんな時でも人は笑顔になれる』2017年・PHP研究所、の新聞広告(『朝日新聞』2017年3月22日・朝刊)より。
ひとは恒常的な苦しみのなかで、やがては何かが壊れるのではないか? 少なくともわたしは壊れ始めている。危ない。一連の「悪の倫理学」はその軋む音だ。
ひとはなぜ愉しさとともに生を享受できないのだろうか? わたしには謎である。
たまたま、今日の夕刊に見田宗介さんの著名な永山則夫論「まなざしの地獄」*を振り返るインタヴュウが掲載されていた**。
*見田宗介「まなざしの地獄――尽きなく生きることの社会学」/原題「まなざしの地獄――都市社会学への試論」・『展望』1973年5月号・筑摩書房/2008年・河出書房新社/『定本 見田宗介著作集Ⅵ』2011年・岩波書店。
**見田宗介・聞き手 塩倉裕「差別社会 若者を絶望させた――見田宗介さん「まなざしの地獄」」/『朝日新聞』2017年3月22日・夕刊・「時代のしるし」欄。以下、「見田・2017」と略記。
以前、『著作集』*が刊行されたときに、たまたま目を通したが、正直、さほどのものとも思えなかった。こちらの理解度が追い付いていなかったのであろう。
鯨の背中に乗って大海を漂流している「ぼく」は餓えて、鯨に食べていいか、と尋くと「仕方無いよ」と鯨は答える。少しずつ、少しずつ鯨を食べ続け、3分のⅠまで食べてしまい、酷いことをしたと鯨に謝るのだが、鯨はもう死んでいた。そのとき「ぼく」は、その鯨は自分自身の精神だと気づくという話だ。
見田は、昨年自殺した大手広告代理店の女性社員の事例を挙げつつ、これを敷衍する形で次のように述べている。
現代の情報産業、知的産業、営業部門などで働く若い人たちが、やむをえない必要に追われる中で「仕方無いよ」とつぶやきながら、自分の初心や夢や志をちょっとずつちょっとずつすり減らし、食いつぶしている。そしていつか、自分が何のために生きているのか分からなくなってしまっている。(見田・2017)
そして、最終的に自殺までいかぬまでも、精神的に、擬似的な「自殺体」となり、ゾンビーのように仮死的な生を送ることになる。
われわれは、自らの精神、こころを喰い殺す、この地獄、それは「まなざしの地獄」というよりも、この文脈では、自分で自分を吊し上げる、際限のない、自己拷問の地獄、というべきか、ここから如何にして脱出することができるのか。
【付記】
本稿はたまたま成った。本来は日記『遍歴』の一部であった。
表題も「苦の倫理学」でよいのか判断に迷う。倫理学、というよりも苦しみについての臨床哲学的雑記、というべきだろう。「苦しみ本線 日本海」とかでもいいかも知れぬ。したがってタイトルは変わるやも知れぬし、仮に「Ⅰ」としたが、そもそも続かないかも知れない。酷い話だ。
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