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2017年3月17日金曜日

悪の倫理学・覚え書き  その14 中間報告 大澤真幸のトランプ論、 あるいは新たなる「階級闘争」について

14 


悪の倫理学・覚え書き  
その14 


中間報告 
大澤真幸のトランプ論、 
あるいは新たなる「階級闘争」について 



これは一体何処なんだろう。




 中間報告が続く。 
 中間報告というのは、言い方が妥当ではないかもしれぬが、とりあえず思い付いたことを書いているが、主題的には未成熟、あるいは、備忘録的に書いているもので未定稿の要素が強いものを指す。 
 そもそも本篇自体が未定稿なので、まー程度問題である。 
 永遠に完結しない「序説」のようなものか。 

 わたしは個人的には国際関係がどーのこーの、とか、アメリカの大統領がどーの、というような議論には、基本的にはほとんど興味がない。正直にいうと外界のことに関しては、まー大体どうでもよいと思っている。 
 しかしながら、今般のアメリカ大統領選挙の結果、並びにトランプ・アメリカ大統領の一連の「暴言・暴挙」については、いささかの関心を持って見ている*。皆さんもそうでしょう。 

*要するに、わたしは人間に興味があるのだろう。 

 かといって、トランプ問題について、資料を集めたり、内外の書物を漁るなどのようなことは、無論、しない。必然的に専門家の意見に頼るという仕儀となる。 
 そこで今回は、社会学者、というよりも広義の評論家と言ってもよい大澤真幸に教えを乞うことにする*。大澤さん、よろしくお願いします**。 

*大澤真幸「トランプが立つ世界――リベラルな多文化主義の敗北」/『朝日新聞』2017年3月12日・朝刊・読書面「ひもとく」欄(以下、これからの引用は、「大澤・2017」と略記する)。 
**大澤真幸の仕事についても、何らかの機会にきちんと紹介したい、と考えている。大澤さんの文章を最初に読んだのは、1993年頃、今は大著になっている『ナショナリズムの由来』(2007年・講談社)をPR誌『本』(講談社)で読んだことだ。それ以来10数冊は目を通しているはずだが、全体像を捉えるにはと遠く及ばない。現在同誌に『社会性の起源』を連載中である。 
  
 今般の、この大方の予想に反する結果の原因をどこに求めるべきなのか。大澤は「かみあわなかった対立に留意すべきだ」*という。 

*大澤・2017。 


クリントン支持のリベラルは常に正しいことを主張していた。しかし肝心なツボを外していると感じられた。逆にトランプの主張の大半は道徳的には不当なのに、確実にツボに触れているという印象を与えた。(大澤・2017。下線評者) 

 なるほど、と言うべきだ。 
 では「ツボとは何か」。金成隆一の『ルポ トランプ王国』*に言及する形で、それは「階級闘争」**だと言う。 

金成隆一『ルポ トランプ王国』2017年・岩波新書。 
**大澤・2017。 


 結局のところ、リベラルな民主党が「格差への効果的な対策もなしに、ただ貧困層の困難に「理解を示す」という態度がよくなかったのだ」*。そこにあるものは「傲慢さ」**であり、「階級的な優越性」***なのだ。 

*大澤・2017。 
**大澤・2017。 
***大澤・2017。 

 ところが、 

 トランプは逆に、リベラルの道徳的優越性の根拠となる「政治的公正性」を次々と蹂躙することで、リベラル側の欺瞞を突いたことになる。大澤・2017 

 さて、ここに生じている状況に、大澤はヨーロッパとアメリカの思想的「亀裂」*、そして「一つの世界観」の「敗北」**を見ている。すなわち、「ヨーロッパ的な(……)リベラルな多元文化主義」の「敗北である」***。そして、エマニュエル・トッドや森本あんりの論著に触れながら、その淵源にはキリスト教のアメリカ移植による変質があり****、それが今般の「階級闘争」*****へと結果したと分析している。 

*大澤・2017。 
**大澤・2017。 
***大澤・2017。 
****森本あんり『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』215年・新潮選書。 
*****エマニュエル・トッド『帝国以後――アメリカ・システムの崩壊』2002年/石崎晴己訳・2003年・藤原書店。 

 さて、これをいかに考えればよいのか。 
 「正義」は理想であっても、結局のところ、現実的な「悪」に敗北するものだ、ということなのか。 
 しかしながら、もしもこれが「階級闘争」の様を帯びていなかったらどうであろうか。 
 つまり、食うや食わずの状況下で悪も正義もないものだ、と考える(、感じる)人々がいるのは当然ではないのか*。いやいや、そのような状況だからこそ「正義」や「道徳」が要請されるのだ、と、あなたは言うだろうか。 

*E・トッドの分析として次のような例を大澤は挙げている。「高等教育を受けていない中年白人の死亡率だけが近年上昇している事実に着眼し、大統領選が、この層をストレスで疲弊させる深刻な格差ゆえの階級闘争の様相を呈していた」(大澤・2017)。 

 別項(その6)でも若干触れたが、ISなり北朝鮮なりの「国際法的な犯罪」に関しても、定義の仕方にもよるが、同様に「階級闘争」、それも国際的なレヴェルでの「階級闘争」と捉えられないだろうか。つまり、彼らは食えないが故に闘っているのだ、食うために戦っているのだ、と。そう考えれば、動物レヴェルではあるけれど(失礼!)、生物として、極めて自然な振る舞いをしていると言えまいか。 

 このように考えてくると、われわれは一旦立ち竦む。 
 つまりはこういうことか。悪を悪ならしめている、あるいは悪を空無化してしまう、社会・経済的な枠組みまで、われわれは視界を広げ、そして視野をも深めていくべきだろう*。 

*そのとき、われわれはニーチェ、マルクス、そしてマックス・ヴェーバーの3人の先人に理論的な援軍を要請することになるだろう。 

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