↗加藤典洋を読む↗
天皇に戦争責任を質問した中村康二氏の発見
■加藤典洋『日の沈む国から――政治・社会論集』2016年8月4日・岩波書店。
■短篇評論・コラム集(政治・社会)。
■2016年8月12日読了。
■採点 ★★☆☆☆
短篇のコラムや講演の原稿からなっている。本全体としてかなり力が入っている、というわけではないが*、昭和天皇に直接戦争責任について質問した唯一の日本人・中村康二氏に関するコラムと短い覚え書きのようなもの、2011年の震災と原発事故を経た後でのゴジラと鉄腕アトムの一対性についての短篇評論、及び最前衛の思想家(哲学者と云うべきか)カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』についての比較的長めの覚え書きに関心を持った。
*無論、ひとつひとつの文章は丁寧に書かれているのは言うまでもない。
それら関心を持ったものも含めて、とりわけ、何らかの結論めいたものが下されているわけではなく、加藤自身の関心のありようだったり、今後の思考の方向性のようなものが示されている。読者にとって「考えるヒント」のようなものになっている。
ここで特筆すべきは中村康二氏の発見である。この件は極めて重要である。
ただ現段階では情報が少なすぎて評価が難しいのも事実である。中村氏が単なるスタンドプレイ的に天皇に質問したのか、或いは相当な熟慮のあげくそうしたのか、はたまたやむにやまれぬ思いからつい口をついて出たのか、判断できない。
個人的には中村氏の行動はいささか腑に落ちかねるものだ。
ところで本書には熊本県荒瀬ダム撤去に尽力した潮瀬義子、樺島郁夫の二人の熊本県知事が紹介されている。彼らをして加藤は「目立たない」としているが、目立たぬ裏で「確固たる意思」、「小さな約束を重く受け止めること」、「失敗したらそこから逃げないこと」、「謙虚な態度の積み重ね」、これらがダムの撤去を可能にしたと分析している。
中村氏の事蹟は内容が内容だけに歴史の闇のなかに葬り去られてしまったが、本来であれば日本のジャーナリズム史上の大事件である。しかしそこからいかなる教訓を受けとるべきなのかは、その事件の、中村氏の前史と、その後半生を検分する必要があるだろう。二人の「目立たない」知事はその合わせ鏡になるように思う。
今後の調査が待たれるところだ。
ラインホルド・ニーバーの言葉 p.iv
新幹線(リニア)開発の是非 p.51
ゴジラはなぜいつも南太平洋から来るのか p.62
原発と保険 p.110
「少しだけズレていること」熊本県のダム撤去 p.115
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