📕bookoff巡礼記
自 序
「狩り」としてのbookoff 巡り
既に、家の中には崩れんばかりの本が溢れている。恐らく今後の残り少ない人生を使っても全て読みつくすことは不可能であろう。
であるにも関わらず、何故に私は休日の度にbookoff *、あるいは古書店へと足繁く通うのか。
*本来ブックオフの正式な商号は大文字の「BOOKOFF」である。しかし本稿では大型新古書店に代表される古書店一般を「bookoff 」として扱うことにする。つまり普通名詞化ということだ。
無論、本来の狩りとは、当面の食糧の確保にあるわけだから、その成果は即時的に自らの、或いは自らの一族、種族の生存に直接的に結び付いているものである。しかしある一定の生存の基盤が出来上がっている場合、高等動物は、あるいは人類は、「狩り」そのものを目的としてそれを行うのではないか。とすれば、その本質は、生存の基盤の有無に関わることなくそれ自身にある、とは云えないか。
そもそも狩りとは何か?
狩りとは探すことであり、脚を使うことであり、待つことであり、逡巡することであり、決断することであり、そして、戦うことである*。獲物はどこにいるか。どこにもいない。獲物はすでに自らの内心に確実に存在する。すなわち、自身との対話こそ狩りの本質なのである。
*「戦う」というところだけがbookoff 巡りの場合弱い。私は決して値引きの向上を店員としないからだ。関西人とは違う。
したがって、私にとってのbookoff巡りとは「狩り」なのである。自らの存在をかけた狩りそのものなのである。
①初稿2016年7月19日
②改訂版2016年7月20日
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