◇ 夢 ◇ 判 ◇ 断 ◇
穐 葉 原
トンネルの上部だけが爆破か何かで吹き飛んでなくなったかのような道、というか通路を歩いていく。
すると昭和の初期から殆ど変わっていないような古い街並みがある。ここは半島の人たちが固まって住んでいるところだ。割烹着のような上っ張りを着た老婆が巨大な猪を一頭、散歩につれていくところだ。こんな市街地で猪を飼うなんて、とも思ったが、それは彼らの食習慣なのだからいたし方がない。
いつの間にか駅前に戻ってしまう。駅ビルの壁面には巨大なオーロラ・ヴィジョンが管のようなもの、掃除機の吸い込み口のようなものを映し出していた。何の意味があるのか分からない。 吸い込まれそうになるので、いささかの恐怖を感じるが、目を背けたくなるが、よく見るとそれはオーロラヴィジョンではなくて、本当にビルの壁面に穴が開いているのだ。心なしか、風の音が聴こえる。
右に曲がってビルの下の街路をとぼとぼと歩いていく。
安っぽいプレハブのような建物が続くが、その道は裏道のようで灰色のビニールパイプが入り組んでつながっている。それぞれの店のトイレが並んでいるのだ。
入り組んだ道を歩いていくと、薄暗い市場の様なところに出た。中はかなり広い。しかし、矢鱈と天井が低い。
出店がいろいろ集まっているような感じだ。その中に回転寿司のレールが廻っている処がある。ところが廻っているのは寿司皿ではなく正月料理だった。蒲鉾や伊達巻きや鰊巻きなんかだ。それも時期外れもいいとこだし、安物であることが簡単に見て取れる。厚焼き卵などぼろぼろと崩れ落ちる。私は一応文句を云う。これは古すぎる。しかし店主はだんまりを決め込む。なにせ一皿100円なのだから止むを得ない。それにしても何人かの客がいるというのは奇妙なことだ。様子を見てみると東南アジアかどこからか出稼ぎに来ている人々が訳も分からず時期外れの安物にありついているということらしい。
店を出て広い道に出て坂を降りていく。東京は坂の多い街だ。どんどんと坂を降りていく。
ものすごい解放感だ。生まれ変わったようだ。いったいなにがあったのだろう。
大きな川に差し掛かり、やはり大きな橋を渡る。
橋は小さな群島を結びつけている。
いつの間にか、足許は白い雪のような塩を含んだ砂地で、そこを車輪のない自転車を引いて歩いていた。車輪がないから塩砂が車輪の土台にはまり込む。それが心地よい。
ある女性アスリートは18歳のときに人生で最高の行為をしたというグラフィック月刊誌の記事を思い出していた。スポーツに全身全霊を捧げるべきその女性選手はむしろプライベートなことの方がより重要なのだと云いたいようだった。わたしはそのことに少なからずショックを受けていた。
わたしは旅館に着くと備え付けの浴衣に着替えると、でもおれはこの道に精進しようと強く思った。作家にでもなる心算なのか。
初稿:2015年7月26日
改稿:2016年6月28日
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