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2016年6月14日火曜日

函館

◇ 夢 ◇ 判 ◇ 断 ◇
函 館 



 初めて函館に来た。そもそも海を渡ったことも北海道に来るのも初めてのことだ。 
 石畳のクラシックな街並を想像していたが、周りは鄙びたビルばかりで、舗装された道すらも灰白色のコンクリートで固められていて、味気ない。空気もぱさぱさと乾いていて海の街という雰囲気がまったくしない。 
 坂を登っていくとロータリーのようなところに出る。意外に狭い。こんなところが、あの函館なのかと思うと、いささか拍子抜けだ。何かの間違いではなかろうか? 
 案内の地図によると、左手に曲がると市街地に降りられるようだが、まっすぐ正面を直進して海に出る。小さな湾に囲まれた箱庭のような港だ。入江に囲まれているためか波もほんの子供だましのようにちゃぷちゃぷと音を立てている。 
 やはり狭い、という印象だ。こんなものなのか。 
 正面の桟橋が沖合いに向かって延びている。そこが我々の宿舎であり、同時に水族館であり、そして桟橋なのだ。そこは三階建てで、地階が「海底水族館」になっている。その上の二階分が旅館になっている。したがって地階の海底水族館が海底温泉と兼用となっているらしい。どうなっているのだろうか? そんなわけで屋上が桟橋なのだ。 
 我々は友人と連れ立って宿舎=水族館=桟橋の探検に出かけることにした。 

 友人と桟橋を、つまりは宿舎の屋上を、沖合いから戻ってくる。コンクリートの床は、つまりは桟橋は潮で濡れている。ふと見るともなく目を下ろすと10メートルはあろうかというぐらいの落差がある。恐怖を覚える。この桟橋=宿舎=水族館は砂浜に立っている。砂浜に打ち寄せる白い波が目に入る。 
 ということは満潮になるとこの10メートルもの落差が埋められるのか? 無論そうでなければ桟橋の意味をなさない。怖い。よくこんなところに泊まったものだ。 
 桟橋=宿舎=水族館の屋上の端にはプレシオザウルスなのか、鮫なのか、鯨なのか、巨大な死体が横たわっている。 

 ロータリーに戻る。 
 ずっと先程からトイレを探している。それと同時に住むための部屋を探している。ロータリーの前はなんだか凄い人混みだ。なにかあるのだろうか?  
 すぐ駅前に古惚けた2階建てのアパートがある。 ここは学生時代に「組織」の学生部の部員達が代々住み慣わした青葉荘ではないか。懐かしい。なかに入ってみる。誰もいない。それにしてもずいぶん綺麗になったものだ。埃ひとつない。全く最近の学生ときたら、と逆に不愉快に思う。 
 廊下の両サイドに部屋が並ぶが、如何なる構造になっているのか不明だが、左手の方は窓があり、外には雨が紫陽花の葉群れに密やかに音を立てているのが判る。 
 足元には小型の冷蔵庫なのか洗濯機なのか判らぬが、左手の部屋のドアの横に埋まるように置いてある。なぜ左手だけなのか、左手には本当は部屋が存在しないのか、よく判らない。 
 このアパートそのものが崖の斜面に立っているので、ここから入ったが、ここは本当は二階だ。三階に上がってみようとすると、人の気配がする。小心者のわたしはすぐさま退散する。 




 一階に降りて、駅とは反対側の、古めかしい玄関から出ていこうとすると、偶々、向こうから買い物帰りの、初々しい女子大生とその母親とおぼしき、よく似た二人づれが近づいてきた。何が足らないとか、何がどうであるとか、微かに亢奮気味で話し込んでいる。 
 こんな野郎ばかりの巣窟に住み着いて大丈夫なんだろうか? これでは毎夜毎晩酒池肉林ではないか(用法が間違っているか?)。それとも最近の学生は大人しくなってしまったのか? 
 すれ違い様に仄かに甘い体臭と入り交じった香水の匂いが紅い傘の下から漂う。 
 わたしは青葉荘に吸い込まれていくその女子大生の紅いスカートに包まれたふくよかな尻を一人見送った。 

                           2016年05月08日 






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