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2026年10月23日金曜日

村上龍さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

 

村上龍さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

 

  2026年10月17日、小説家の村上龍さんがお亡くなりになりました。74歳だったとのことです。 

 ここに謹んで哀悼の意を表し、村上さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。  

 生前のテレ‐ヴィジョンでのご様子から、体調がよくないのであろうとは思っていましたが、かくも早くお亡くなりになるとは想像もできませんでした。正直驚きと共に訃報を聞いた次第です。

  正直、もう文学には興味を失っているのではないかとすら思っていましたが(特に2000年代に入ってから)、それはそれとしてとても残念としか言いようがありません。

 村上龍さんは、ひところ村上春樹さんと共に、「W村上」などと称されていましたが、社会に対して文学で対抗するという、言うなれば日本の戦後文学の嫡子と言っても過言ではなく、ご本人たちはどう思っていたかは分かりませんが、大江健三郎―中上健次―村上龍という「戦後文学」のリレーが確実に手渡されていたと、個人的には考えています。

 村上さんの作品の系譜で言えば、『愛と幻想のファシズム (上下)』(1987年)、『五分後の世界』(1994年)、『イン ザ・ミソスープ』(1997年)、『共生虫』(2000年)、『希望の国のエクソダス』(2000年)、『半島を出よ(上下)』(2005年)、『歌うクジラ(上下)』(2010年)、 『オールド・テロリスト』(2015年)に至る一連の流れがあります。恐らくはこの『オールド・テロリスト』辺りで、村上さんの中で、何らかの見極めのようなものが付いたのかも知れません。

 個人的には、テーマ設定をされた短篇小説集『村上龍料理小説集』(1988年)、『村上龍映画小説集』(1995年)などや、エロスの極限を描いた『エクスタシー』三部作(『エクスタシー』1993年、『メランコリア』1996年、『タナトス』2001年)のとりわけ『エクスタシー』が文学的には極点ではないかと思います。

 併せて、『村上龍全エッセイ』全3巻(1991年、講談社)における「批評的視点」の深化は目を瞠るものがあると考えます。

 かつて、批評家の三浦雅士さんが、今井裕康名義で書かれた『限りなく透明に近いブルー』(1976年)の文庫解説に村上さんの本質が尽きている気がします。すなわち「全的に見る」存在、つまり、「ただ見ているだけ」だとしたことです。言い換えれば、それは「批評的存在」ということになりますが、村上龍の小説家としての基盤、土台はこの「批評的な」あり方によって支えられていたと言っても過言ではないかと思います。

その意味でも、現在入手困難かと思いますが『村上龍全エッセイ』全3巻は極めて重要な作品と言えます。

村上さんの小説作品はほぼ全作品、目を通しているはずですが、正直申し上げて、2005年の『半島を出よ』以降、ご無沙汰になっていました。

この機に読み残していた作品を手に取り、村上龍という偉大な小説家(映画監督・経済評論家?)をしっかりと定位したいと考えています。

もしかしたら、どなたかが触れているかもしれませんが、『限りなく透明に近いブルー』の最後に出てくる「鳥」の存在が極めて重要かと思っていますが、うまく論じられるか自信がありません。わたしに余力があれば、満を持して『村上龍論』を論じたいところですが、寿命的に難しいかもしれません。

村上龍さん、お疲れ様でした。安らかにお睡り下さい。

2026年10月23日 

🐤鳥の事務所

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